10A列車 東海道新幹線
翌日6時50分。東京駅。今日はここからスタートだ。
「レイ。ちょっと今日はハードだぜ。鹿児島中央まで行くからな。」
「鹿児島中央。そこまで新幹線で行くの。」
レイは信じられないという声を上げた。まぁ、ふつうなら飛行機で行こうということを大概の人が考えるだろう。しかし、僕はそんなこと考えたくはない。そもそも、飛行機でいく理由がないからだ。
「文句言わない。まぁ、あっちに着くのは9時ぐらいだから。」
「9時っ。午後の9時だよねぇ。12時間以上新幹線に乗ってるってことが・・・。」
「降りるなら今だぞ。」
「・・・。」
レイはしばらくの間答えなかった。
「分かったよ。とことん付き合ってやる。」
と回答が返ってきた。僕は切符を渡した。もうすでに人が並んでいるはずだ。静岡方面への需要は大きいはずだ。いくら「こだま」でも・・・。
と思ったのはとんだ思い過ごしだったらしい。静岡に行くならなおさら「ひかり」のほうがいいと考える人が多いということだろう。「こだま」の方はそれほどの客ではなかった。まぁ、僕たちが「こだま635号」に乗ったのが東京駅に入線してから、5分くらいしかたってなかったということも絡んでいただろう。
「こだま635号」に使われているのは初代「のぞみ」の300系。これの登場により東京~新大阪間2時間30分を実現できたのだ。しかし、現在は700系とN700系に押されて廃車が進み、2012年3月には現役を引退することが決まっている。
7時26分。東京駅を発車。「こだま」は途中「のぞみ」に追い抜かれまくりながら、名古屋まで行く。僕は発車と同時に床下から聞こえてくるモーター音に耳を傾けた。このVVVFの音は気に入っている。これももうすぐ聞き納めなのだ。
「シャーク・・・。」
「静岡までは結構時間かかるから寝てていいよ。」
レイにそう言って、僕は外の景色を見た。2列席から見るこちらの風景は富士山を見ることができる。
新幹線は快調に飛ばしてきて、熱海に到着。熱海から先は新丹那トンネルというトンネルに突入する。東海道新幹線では最長のトンネルだ。ここ新丹那トンネルの熱海口で起工式が行われ、東海道新幹線の建設が行われ始めたのだ。しかし、新丹那トンネルはすでに一部が掘られた状況での開始となった。この理由をご存じだろうか。恐らく知らない人が多いと思う。東海道新幹線計画(当時は新幹線と呼ばれていなかった。)は戦前から存在した。しかし、第二次世界大戦の影響で戦前の弾丸列車計画が頓挫。そのため、新丹那トンネルは途中まで掘り進められた状態で残ったのだ。そのほかに、新幹線は5年しか建設にかかっていない。これも弾丸列車計画で買収された土地のほとんどを流用したためでもある。
新富士近くになると左手に富士山がそびえた。まぁ、この近くで富士山が見えないというのはよほどの悪天候だけだろう。
そうだ。フジサンは右側からしか見えないというイメージが強いかもしれないが、静岡~新富士間なら左側の3列席からも見ることができる。それを教えておこう。
列車は静岡に到着。この先名古屋まで行くが、ここで後続の「ひかり463号」に乗り換える。この新幹線で名古屋方面にいくと「こだま635号」を三河安城で抜くことになる。ホームに降りるとその「ひかり」目的の乗客がたくさんいた。4号車の名古屋方面のドアに並んでいた列の一番後ろについたが、これでは座れないことは見えている。
「レイ。乗りこんだら、どこでもいいから座れ。俺は次の浜松に止まった時に空いた席に座る。」
「それはいいとして、次はどこで降りるの。」
「そのまま。新大阪まで行く。新大阪着いたら降りろ。」
「分かった。」
「新大阪についたら、4号車の東京側のドアに行け。俺もそっちに行くから。」
「こっち側のドアが近くてもか。」
「絶対ありえん。」
9時06分に「ひかり463号」が入線。車内に乗り込めば案の定だった。レイは11番席のD席に座ることができたが、僕は立つことを余儀なくされた。発車1分くらい前に「のぞみ」が博多方面に向かった走って行った。そして、静岡を発った。
浜松に到着直前。レイの隣の11番E席が空いたので、そこに行った。どうやらレイの隣に乗っていた女性はここに用があったらしい。レイが窓側のほうに詰めたけど、今は文句を言っている暇ではない。腰かけた。ここでも「のぞみ」が博多方面に向かって走って行った。
名古屋に来るとところどころに雪が残っているのが見えた。これは関ケ原付近は最悪だろう。しかし、今日は昨日より冬型が弱まっていたこともあって徐行運転は行っていなかった。岐阜羽島あたりから眼下が白に変わり始め、関ケ原付近は真っ白になった。除雪用のスプリンクラーも動いていた。左側の風景を見ていると鉄道線の架線が見えてきた。東海道本線だ。しばらく走ると車両基地のような場所も見えてきた。僕はこっちのほうはそんなに詳しくないから、ここら辺の拠点なのだろう。
京都も多少白に染まっていて、新大阪は日陰になっている部分だけ雪が残っている程度になった。
「さて、これからちょっときつくなるぞ。」
「えっ。きつくなるのはいいけどさぁ、お昼どうするの。」
「時間がない。岡山で食べよう。」
「岡山まで昼無し。」
「文句言わない。」
レイを促して、20番線に行った。
東海道新幹線が開業する前これは「世界の必要ないものトップスリーの中に入る」とまで言われていたそうです。結果はどうでしょうか。