既読無視・既毒
その通知を見た瞬間に私はびくっと上に伸び上がり、驚きで目一杯に開いた指からスマホを取り落としそうになってしまうのでした。とっさに膝を曲げてしゃがみ込み、まるでアツアツの肉まんでも触っているみたいに何回か手の平の上で跳ねさせてから受け止める。そのまま安堵とともに、ふぅううと息を吐いて目を見開いたまま呆然とスマホの画面を見つめた。
春咲れんげ、十六歳。高校一年生のうら若き乙女だという自覚はあれど、この間、咄嗟に出た声は「うわっ、わ、わっ、ああぁ・・・ふぅう」というものでちっとも可愛くなんてない。
届いた連絡はスマホの画面の上から通知として吊り下がっていて。間違っても開いて既読にしてしまわないよう、私はそおっとそれを画面向かって上流側に押し流した。続けて間髪いれず、中指でピッと液晶を撫でるようにして素早く下流にプルダウン。通知センターを開いて、彼、佐野川冬馬から送られてきた言葉をいそいそと確認する。
〈探すと意外とないものなんだね……何日さまよったことか〉それと、写真が一枚。
アプリの方からも確認して、私はやっとこれがマンゴープリンの写真だと分かったのでした。どうやらコンビニで売っているものらしく、私にも見覚えがある商品だった。
私が送ったのはグラスに入った店のもので、丁寧に飾られたそれの特別感が悔しかったのだろうか。〈今度喫茶店に行こ、〉という呟きが追加で添えられている。
マンゴープリン。佐野川くんが前に好きだと言っていたスイーツだ。確か食べるならプリン派かゼリー派かなんてことを談義していたときに飛び出した話題で、私が「一度も食べたことがない」と告白するとひどく驚いていた。「あ、そうなの。あれはねえ、一回食べてみるといいよ。美味しい」だなんてしみじみと呟いていたから気になっていたのだ。
というのが、もう既に一年前の話です。
うっかりその会話を覚えていたものだから、少し前に母と中華調理屋に行ったとき、メニューに「マンゴープリン」の文字を見つけた瞬間に思い出した。そしてそれが予想外に美味しかったものだから、佐野川くんに自慢してやろうと思って写真を送ったのだった。すっかり忘れていた。
何しろ既読はすぐについたものの一週間ほど何の音沙汰もなくて、てっきり無視されたのかと思い込んでいたのだ。
とはいえこれは別に、私、春咲れんげと佐野川冬馬の間では珍しいことではない。佐野川くんは基本的に一日以内には既読がつくけれど、そこから返事が返ってくるまでは三日から一、二週間ほどの間隔が開く。そもそも話の切れ目だと認識していて返信がないことだって多い。だから見えている「既読」の文字が会話の打ち切りなのか、それともまだ返信の可能性があるものなのかが分からない。そんな相手とのやり取りは大層厄介でもどかしいけれど、私は別にそれでも良かった。
中学卒業後、別々の高校に進学した私たちの関わりが途切れていないこと。その事実だけが何より大事で嬉しかったのです。
そんなこんなで、一週間越しの返信が〈探すと意外とないものなんだね……何日さまよったことか〉という言葉とマンゴープリンの写真。
七日間も既読無視されていたという過去は、その間彼が私の送った自慢に仕返しすることを考えていたという事実に反転していく。
そっか、探してたのか、マンゴープリン。見つからなくてコンビニで妥協して、それが悔しかったのか。そっか。
そう考えると何だか可笑しくって、私はにんまりと笑いながら鼻を鳴らして上機嫌に身体を揺らした。ざまあみろ、といった気分ですね。何の期待もしていなかったときに出しぬけに貰うプレゼントなんて、嬉しいに決まっている。
こういうことが定期的にあるから呆れ果てて離れることも諦めることもできやしなくて。とはいえ、私だって返信がないことを気にしないわけではなくて。ただそれ以上に、緩くてもいいから繋がっていたいというだけで。
本当に馬鹿みたいだ、完全にこっちが振り回されているじゃないか。
思い返せば、佐野川くんの天才的なマイペースには毎度驚かされてばかりだった。
中学の頃からずっとそう。忘れっぽくて気分屋で飽き性。周りに流されることなく堂々としていて、嫌いなものは「嫌い」と言い切る。だからといって協調性がないわけでもなく、人とのコミュニケーショに長けていた。
そういう諸々を含め、あんなに残酷な人は見たことがない。
中学一年生の春のことだ。「佐野川冬馬が戻ってくるらしい」という噂は瞬く間に学年中に広まって生徒たちを騒めかせた。
私の母校は中高一貫校で、そこでの春咲れんげは小学校五年生時に転入してきた転校生。そして私が転入する前にすれ違うように転出していった生徒が、佐野川冬馬だ。二年越しの帰還という何ともドラマチックな展開は、彼をよく知る者たちにとっては格好の話題だった。ただ何しろ転出入が激しい学校だったから、私を含めた半数ほどは彼のことは知らなかった。
そうして注目を集めた状態で隣のクラスに転入してきたその少年は「とにかく声が大きくて行動に迷いがなく、気の利いたトークで場を盛り上げるムードメーカー」といった印象で。正直、私があまり関わることがないタイプだった。
「佐野川、なんか面白い話してよ」なんて突拍子もないことを言われても「え?嫌だけど。そのフリっていっちばん困るやつじゃん。それで嬉々として話し出せる奴ってあんま居ないけどね」だなんてスラスラと言葉が出てくるのだ。感心しちゃうほど生意気で、腹立たしいほどに頭の回転が早かった。
そんな性質も相まってか「雑に絡めるし何を言っても返してくれるから安心感がある」と評判で常に話しかけられる側だったように思う。
そんな彼、佐野川冬馬とは中学一年と二年ともに別クラスだった。私と彼の唯一の接点は登下校の時間。通学路が同じ方向の生徒たちで一緒に集まって帰る「登校班」のメンバーだったのだ。約七人ぐらいのグループでがやがやと好き勝手に話しながら、学校までの十分にも満たない距離を歩いていた。懐かしいあの頃の話ですね。
中学一年生のとき、夜中に大雨が降った日があった。朝起きてさぁそろそろ家を出ますか、という時間になっても霧雨が降っていたので私は傘を差して登校班の集合場所に向かったのだ。
かなり細かい雨だったから、佐野川くんを含めた何人かは傘を差さずに歩いていた。パーカーのポケットに手を突っ込んで、大股で堂々と歩く彼の姿を傘越しに見たことを覚えている。いや、正確にはその横顔だ。その日はたまたま、車道側を歩く佐野川くんの右隣を私が歩いていたのだ。
二人一列で四列ほどになっていて、車道のアスファルトが大きく凹んでいる場所に差し掛かっていた。私は巨大な水たまりができたそこにチラリと目をやりながら、みんながしているよく分からないゲームの話を聞いていた。
と、前方からやってきた自動車が段々と加速していくのが目に入って。
あ、と思った次の瞬間にはザッッバァアアンと轟音に包まれる。当時160cmだった私の背丈ほどもある、海の波みたいな水飛沫だった。そのあまりの物量と勢いに気圧されて、私は咄嗟に恐怖で傘を傾けて自分の身を守った。そう。自分の傘を車道側に、傾けて、守った。つまり佐野川くんが立っている左側に、傾けて、守った。
そういうわけで傘の先端は彼の右腕に突き刺さり、軽く傘の骨がたわんだのを私は感じ取ったのだった。幸い、そんな尊い犠牲もあって私は全く濡れなかったけれど、他のみんなの有様といったら酷かった。
「きゃあぁああ」とか「うわぁあっ」とかの悲鳴が上がり、自分たちの状態を認識した途端に阿鼻叫喚だ。「あれ絶対わざとだったよな⁉︎」「私見たんだけど、あの運転手笑ってたよ」「うっわ最悪。乾かさないとじゃん」「ズボンびしょ濡れなんだけど。もろに浴びたわ」「嫌だ、きもちわる〜い」などど大騒ぎ。
無理もないことだ、今思い返しても悪趣味だと思う。とはいえこういった非日常的なハプニングは実は楽しかったし、事実こうして記憶に残っているのだから何とも言えない。感謝するほどにはないにせよ、だけど。
佐野川くんはといえば、車道側の左半身が上から下までビッタビタに濡れていた。そんな状態で登校した私たちは当然注目を浴び、どちらのクラスでも同級生に囲まれる一時的な人気者。「え、お前らどうしたの」「何があったの?」と訊かれると、悲痛な顔をしていかに自分たちが酷い目にあったのかを滔々と語り始めていた。
笑いながらその様子を見ていた私なんかは、自分もいっそびしょ濡れになっておけば良かったと羨んでしまったくらいだ。佐野川くんは私よりも15cmほど背が高く、大柄で肩幅もあったので私は本当にちっとも濡れなかった。
そんな騒ぎのなか、隣のクラスからこちらの様子を見に来たお調子者が「あれ、春咲さんは濡れなかったん?」と訊いてきたのに何となく悪戯心が働いて、満面の笑みで「うん、佐野川くんが盾になってくれたよ」と返す。
それを訊いて、ふゅうぅと軽やかに口笛を吹いた彼は自分のクラスに戻り「やるじゃん佐野川ー!」と叫びにいった。と、すぐに明らかに冗談と分かるような声色で、それでも苛立し気に「春咲さあんんん!」と佐野川くんが声を荒げているのがぼんやり聞こえた。
多分、身を挺して庇ったとかそんな風に受け取られたんだろう。そんなことはないのに。全く濡れなかった人間に感謝されるというのはさぞや腹立たしいだろうなぁ、あはは。だなんて性格悪くひとしきり笑っていた私です。まさに他人の不幸は蜜の味とはこのことだろう。
とはいえ流石に傘で突き刺してしまったことは申し訳なかったので、その日の帰りに佐野川くんには謝った。すると彼はくいっと顎を上げてこちらを見下ろしながらこう言い放ったのだ。
「まぁ、そういう咄嗟の判断を要求される状況って人間の本性が出るからね。君は“そういう人間”ってことだよ」
「ビックリした、フォローされるのかと思ったら嫌味だったわ。……言っておくけど、私だって隣が佐野川くんじゃなかったらあんなことはしなかったんだからね」
「フォローされんのかと思ったら嫌味だったな」
「っ、君なあ!」
こんな風に、大抵の場合は私が彼にやり込められるという形で会話が終わった。けれど、この皮肉と嫌味をふんだんに散りばめたユーモアたっぷりのやり取りが私には堪らなく楽しく。他にはない刺激としてヒリヒリと胸を焼いたことも確かだ。
多分、軽く中毒になっていたんだと思う。予想を上回る言動が楽しい。私の皮肉に笑ってくれるのが嬉しい。もっと話したい。もっとこの人のことを知りたい。何が嫌いで何が好きで何を許せないのか。君はどうしてそんなに堂々としていられるのか。
私が彼に向ける眼差しは憧れと尊敬が半分、好奇心が半分だった。異常なまでの興味というべきかもしれない。そうやって「仲良くなりたいんだけどなあ」と密かに思い続けること二年。
中学三年生で初めてにして最後、春咲れんげと佐野川冬馬は同じクラスになった。
クラス名簿を見た瞬間に歓喜が私の身体を包み、やった、やった、と感動が湧き上がる。今まで登校班の会話のなかで言葉を交わすことこそあれど、一対一で彼と話すことはなかった。同じクラスならまだ機会があるだろう。近くで観察できるだけでもいい。私の純然たる好奇心は最早我慢の限界だった。
そしてこれに留まらず、幸運は続けて降り注ぐ。
登校班といっても、通学路を進むにつれて分かれ道に突き当たると段々と同じ方向の人は減っていく。全員が同じ場所に住んでいるわけでもない。学校を出て左に曲がるところまではみんな一緒で、そこから暫く歩いてさらに左に曲がる子、右に曲がる子と分かれていく。私と佐野川くんは最後の三人になるまで一緒だった。
ここで大きな直角三角形を想像してみよう。いわゆる逆三角形というやつで、直角の部分は左斜め上にくる。そうすると尖った鋭角が手前に来ると思うのだけれど、そこで斜辺を辿って右に進むのが佐野川くんともう一人の男子。垂線に沿って左側に進むのが私だった。こうして説明するとまるで数学の作図のようですね。
ただ結局のところ大切なことはひとつ。この三角形の斜辺部分に住んでいた男子生徒が中学二年生の末に転出していったという、それだけの事実だった。
それから学年が上がってからの最初の下校で分かれ道を前にしたとき、佐野川くんはふと立ち止まる。立ち止まって「そっか、もう一人だから。じゃあこっちから帰るわ」と言って左側に足を踏み出した。私の帰り道。いとも容易くひょいっと土足でこちら側に上がり込んできたのだ。
私は呆気に取られて「なんで。遠回りなんじゃないの」と言ったけれど「大して変わらないでしょ」と平然とした顔で跳ね除けられた。
彼は知らないだろう。それを聞いて、隣を歩く彼を見上げながら私がどれほどの衝撃を受けていたのか。こんな些細な気まぐれがただ、震えるほど嬉しかったこと。言葉に詰まり平静を装ったこと。当たり前のように君が与えてくれた機会が私にとってどれだけの価値を持っていたのか。
どうかずっと、知らないままでいて下さい。
中学三年生。私と佐野川くんは同じクラスになり、通学路では最後の二人になった。
思い返せば、佐野川くんと同じクラスになってから分かったことは幾つかあった。
ひとつ、やっぱりとても人気者。男女問わずから話しかけられていたし、とにかく言動が面白かった。
ひとつ、すごく生意気で傲慢。隙を見つけるとすぐに煽ってくるし、座右の銘が「媚びない」だったくらいには誇り高かった。
ひとつ、とても字が綺麗。筆圧は比較的濃いめで、特に横線は真っ直ぐと平行に整っている。平仮名は漢字よりも控えめに小さく書かれていて、「い」の書き方に少し癖がある。
……だなんて語ると、わたくしの高校の御学友からは「なんかちょっとそれは流石に気持ち悪いけどな、れんげちゃん」との言葉を頂いてしまったのだけど。
だってしょうがない。もともとフォントとか筆跡とかそういうものが好きなのだ。どうにもその人の人間性が見える気がして記号以上の何かを見い出してしまう。
そんな私の様子に「まぁ、本人に伝えないんならええか」と譲歩した彼女に対して「いや、直接言ったんだよね」「言ったん⁉︎」なんてやり取りが続く。
「うん。私は佐野川くんの字が本当に好きだから、君の字が欲しい。だから卒業したら漢字ノートをくれないかって頼んだの」「ようやるよなホンマに」「流石に断られちゃったんだけど」「まぁせやろな⁉︎」「でもね、気持ち悪いからとかそういう理由じゃなかったんだよね」
そう言った私をじっと見つめる御学友です。へえ、と目を見張る彼女に「なんて言ったと思う?」だなんて意地悪く聞いてみる。
「えぇ……いや、正直わからん。だって話聞いてる限り、その佐野川くんって人は相当厄介やん。会って話してもついていける気がせえへんもん」
あれはとある日の下校時のことだ。
「私ね、本当に佐野川くんの字が好きなんだよねえ。堪らなくいい」
「はぁ、そりゃどうも。もう何回もそれ言われてるけど、正直不思議だね。人の字にそこまで執着したことない」
「これはね、多分説明できるようなものじゃないんだよ。何ならさ、卒業したら漢字ノートくれない?私、君の字が欲しい」
「嫌だね」
「なんでさ!減るようなもんじゃあるまいし」
「だって君は下手したら一生大事にするだろ」
え。
何も言い返せなかったことに自分で驚いた。そんな風に思ってたのか、いやまぁそうだけど?それはそれとして本人に指摘されるのはなんていうか恥ずかしいわけで。気持ち悪いと一蹴してくれればそれで良かったのに。承諾されたらされたで、きっとこの人にとってはどうでもいいのだと受け取れたのに。軽い気持ちで渡せないだなんて変な答えだ。何なんだよその自信は。私に対する無遠慮なその確信は。あぁそうだよ、合ってるよ!大事にするだろうさ。
そんな風に心中を荒らしながら、私は固まって赤面することしか出来なかった。今思い返しても屈辱だ。だって、あんなのは、ずるい。
佐野川くんはいつもそうだ。絶対に私が欲しい言葉をくれないくせに、予想外の方向から私が望んだ以上のものを放り投げてくる。拒絶されたというのにこんなにも嬉しいだなんて。どうして見透かされてしまうんだろう。
そんな二年前のやり取りを思い返しながら「ほ、んっとおおにタチが悪い」と顔を覆う私に「ひぇええええ恐ろし」と言いながら御学友は憐れみの目を此方に向けてきた。
「それで今はお預け喰らってる、っていうわけか」と言われたので、「そう。まだ去年はポツポツと連絡取ってたんだけどね。マンゴープリンの話とかしてたんだよ?」と返して大きくため息だ。
春咲れんげ。十六歳。高校二年生のうら若き乙女だという自覚はあれど、何事も若さでどうにかなるわけじゃないのだと悟りつつあるところです。
「でもね、もういいんだ。来るはずもない通知を気にするのはもうやめたから」と諦観を滲ませる私に「本当に?とてもそんな風には見えませんけど」と容赦のない言葉が返ってくる。「う、ぐ」と苦しみの呻き声をあげながら私は改めて現状を振り返った。
マンゴープリンの話をしたのが去年の十一月頃で、年が明けて今はもう七月の真夏日だ。その間、佐野川くんとの連絡は二往復もできていない。返ってこないのだからしょうがない。
一往復目の返信だって、既読がついてから一ヶ月空けて届いたのだ。もう意味がわからない。私は南極の昭和基地と文通でもしているっていうんだろうか。七日間で返信が来ていた時期が懐かしいくらいだ。
そして当然のように次のメッセージも既読無視。それから二ヶ月が経って流石に心配になったので「もしもし?」と送ったのが最後。追って連絡するなんてことは絶ッ対にしたくなかったというのに。そしてその最後の一言でさえ既読がついているけれど、なあんにも返ってこないまま一ヶ月が経過している。
この状況にやり場のない怒りを感じながら、私は机の上に置かれた冷たい金属板をチラッと睨みつけた。それでも荒れる心中とは裏腹に、次々と口から溢れ出てくるのは言い訳じみた言葉ばかりで。
「まぁでも、本当にこれはしょうがないことなんだよ。だって物理的距離ってどうしようもないし。相手の状況が分からないんじゃお互い気も遣うでしょう」
「そもそも私は大阪の高校で、あの人は関東だし。それも中学の時から分かっていたことだったし。だからお別れを前提として中三の一年間めいっぱいを使って、せめて、せめて後悔のないようにって。好き勝手にやりたいことはやったんだよ?おかげで仲良くなれたし」
「正直、飽き性で忘れっぽくてマイペースな佐野川くんと高校でも連絡が取れるとは思ってなかったからね。寧ろ今までが奇跡っていうか」
諦めて、折り合いをつけて、納得して、忘れる。そのために必要な言葉がこんなにも多いだなんてことは知らなかった。
ふたりになった通学路で、同じ道を歩いて下校していた。三分にも満たない時間で、少しずつ色んなことを話したものだ。
たいていは皮肉の応酬だったけれど、ある日は軽口を叩いてふざけ合いながら、ある日は心地よい沈黙のなかで、ある日は受験勉強のことを憂いながら、ある日はぼんやりと自然を愛でながら。繰り返し同じ場所を歩いたのだ。
その会話のなかでふと「私は記憶力がいいんだよね、人との会話とか何気ない出来事とかよく憶えている」という話題が持ち上がったことがあった。確か、中一のときにあったことを振り返っていたのだ。
そんな私の発言を聞いて佐野川くんは「うわぁ、真逆だね。正直、俺は去年のクラスメイトの顔とか名前さえも怪しい」と答えた。「去年⁉︎流石に憶えててやりなよ、別に大人数ってわけでもないのに」と騒ぐ私に「いやぁ本当に。人に興味を持てるっていうのは一種の才能だと思うよ」と受け入れた様子でぼやくものだから、それ以上は揶揄う気にもなれなかった。
「忘れると思う」というのは彼の口癖だった。「でもねえ、今こうやって楽しい、って思ってても俺は結局忘れると思うんだよな」だなんて何度も繰り返す。だから私はせめてもの抵抗のように明るい声でその話題に触れるのだ。
「じゃあ高校に入ったら、佐野川くんは私のことも忘れそうだね」
「うん、時間の問題だと思うよ。こんな感じの人が居たなぁってことは思い出せるかもしれないけど、名前とかが出てくる自信はないね」
「へえ、そっか。じゃあ今のうちに好き勝手やっておこうっと」
「そんな発想の転換の仕方が最悪なことある?いいですよ、倫理観のない小娘として記憶されることになるけど」
それは自分の記憶力に対しての不信感なのか、それとも時の流れというものに対する絶対的な信頼感なのか。
それは分からなかったけど「この人は私のことを忘れるのだ」という強い認識は逆に私を勇気づけてくれた。佐野川くんの心に爪を突き立てること。好きな本の話や食べ物の話なんかを沢山しておくこと。爪痕が残ればいいし、何かの弾みで埋めた種が芽吹いて思い出すことがあればいいと思った。
出来ることは殆ど全てやったつもりだ。傷つきたくはなかった。期待しないでいたかった。
それは私が、ちゃんと諦められるようにするための努力だった。
その覚悟が心の底から滑稽だと思ったのは、高校二年生の八月のことだった。部活帰りの電車の中で立ちながらスマホをいじって、何とはなしにメッセージアプリを見ていて気がついたのだ。
最後のメッセージとして「もしもし?」が表示されている、そのトークルームの名前が「メンバーがいません」になっている。息を呑んで開いてみると「unknownが退出しました。」という文字が表示された。どうやっても指が動かなくて、震えるように瞬きが増えている。顔の筋肉が強張って、少しずつ呼吸が浅くなる。絶縁、という熟語が頭に浮かんでは消えた。
そのまま暫くは呆然として、遂には最寄り駅に着いてしまった。私はそのまま電車を降りて改札を通り、駐輪場で自転車に跨って帰路についた。その全てが機械的な動きだった。
家に帰って椅子に腰掛け、左手を頭に当てて右手にスマホを持つ。同居人が退出したトークを開いてスクロールスクロールスクロールスクロール。何かが出てくるはずもなくて、私はやっとそこで理解した。
諦めるための努力ってなんだろう。失う覚悟?傷つきたくはなくて、期待したくない?とんだ思い上がりだ。もう話せないかもしれない、会えないかもしれないという事実がこんなに痛くて苦しい。私は記憶力がよくて、だから嬉しかったことも腹が立ったことも憶えていて。それから、それで……あれ、何だろう。
来るはずもない通知を気にすることと、私の言葉があの人に届きすらしないことには雲泥の差があるのに。「既読」のふた文字すら見られないなんて考えもしなかった。私はこれから佐野川冬馬を墓に入れて、長い時間をかけてこの感情を消化しなくてはならないのだ。
それは遅効性の毒だった。ひとりの不在を所々で意識しながら暮らしていくという残酷な現実。せめてもうちょっと綺麗に終わりたかったな。心からの「さよなら」すら貰えないまま、私と彼の縁は切れてしまったみたいだ。春咲れんげの名前は忘れられてしまうんだろうか。
そう考えた瞬間に、私はその「メンバーがいません」と表示されたトークルームをピン留めしていた。
何の意味があるのかは自分でも分からなかったけれど、ただ彼を忘れたくないと思った。このまま薄れていくのは悔しくて我慢ならない。向こうが勝手に去ったんなら、こっちは絶対に忘れないでやる。そんな意地だった。
でもそれは沈んだ抜け殻を掬い上げるような空回った感情で。随分と執着してたんですね、だなんて他人事みたいな感想しか出てこないから困る。
あぁそうか。これが未練で執着で、私はとっくに中毒だったんだなあと。遅すぎる気づきを得たまま、現実から目を背けるようにして眠りに落ちたのでした。




