0x31 最終話 四人の絆
透華の動きが止まった。母親の言葉が、部屋の中に重く響き渡る。
「……父?」
透華の声が、震える。
これまで、透華の人生には「父」という存在はなかった。
母親の研究の被験者として生まれた自分には、遺伝上の父はいても、実際に存在する父はいないからだ。
母親は、その反応に満足げな笑みを浮かべる。
「そうよ。あなたが『最高の知性』を持つために選ばれた、提供者。
彼もまた、あなたの知性の可能性を信じているわ。
もしあなたが、どうしても私の元にいることができないのなら、彼の元で、その知性を開花させる手助けをしてもらうしかない」
母親の言葉は、透華の心の奥深くに、これまで感じたことのない恐怖を植え付けた。
見知らぬ「父」という存在。
そして、その存在が自分の知性を狙っているという事実。
透華は、体育館での事件を含めて、自分を付け狙っていた黒幕は母だったのだと悟った。
その時、朔が透華の前に立ちはだかった。
「冗談じゃない! 透華は、誰のものでもない! 誰にも、こいつを勝手に支配する権利なんてない!」
朔の言葉に、凛もバルスも力強く頷く。
「そうよ! 透華は私たちの大切な友達!
あなたみたいな母親に、好き勝手させるわけにはいかない!」
凛が叫んだ。
バルスは無言で、しかしその目に強い決意を宿して、母親を睨みつける。
母親は、そんな三人の姿を冷めた目で一瞥した。
「子供の戯言ね。あなたたちに、この世界の現実が理解できるわけがない」
「現実だと? 現実は、透華が今、あんたから離れたがっていることだ!
透華は、あなたの道具じゃない!」
朔が、一歩も引かずに言い放った。
その声には、透華を守るという強い意志が込められていた。
「俺たちは、透華を絶対に渡さない。
どんな危険があっても、俺は絶対に透華を守る。
あんたにも、その『父親』とやらにだって、
指一本触れさせない!」
朔の言葉は、まるで固い岩のように、母親の心を揺さぶった。
母親は、彼らの目の奥に宿る、透華への強い友情と覚悟を感じ取った。
それは、彼女がこれまで見てきた、どんな研究者や投資家の目とも違う、純粋で揺るぎない感情だった。
透華の母親は、ふと、自分の過去を思い出す。
かつて、自分が知性への探求に夢中になり、友情を顧みなかった。
その結果、手に入れたものは、尽きることのない孤独だった。
彼女は、静かに息を吐いた。
「……分かったわ」
その声は、驚くほど冷静だった。
「今回は、引きましょう。
それまでの間、あなたたちの覚悟、しかと見届けさせてもらうわ」
母親は、透華をじっと見つめた。
その目には、諦めと、そして微かな、しかし確かに存在する戸惑いのようなものが宿っていた。
「ただし、忘れないで。これは一時的なものよ。
世界はきっと、これからもあなたの知性を求め続ける。
いつか、あなたは自ら、私の元へ戻ってくることになるでしょうから」
母親は、そう言い残すと、ゆっくりと部屋を出て行った。
その背中は、どこか寂しげに見えた。
母親が去った後、部屋には重い沈黙が流れた。
透華は、まだドアの方を呆然と見つめている。
朔が、ゆっくりと透華に近づき、そっと肩に手を置いた。
「透華……大丈夫か?」
透華は、はっとしたように朔を見上げた。
その瞳には、まだ不安と混乱が入り混じっていたが、朔の温かい手が、彼女の心を少しずつ解きほぐしていく。
凛が、透華のもう片方の肩に手を置いた。
「透華、私たちはいつもそばにいるからね。一人じゃない」
バルスは何も言わず、しかしその大きな手で、透華の背中を優しくポンと叩いた。
その不器用な優しさに、透華の心は温かくなった。
透華は、ゆっくりと顔を上げた。
目の前には、自分を心から心配し、守ろうとしてくれる三人の仲間がいる。
彼らの温かい眼差しが、透華の心に深い安心感を与えた。
「みんな……ありがとう」
透華の声が、震える。これまでの人生で、彼女は母に「道具」として扱われることばかりだった。
しかし、今、目の前の彼らは、透華を「人間」として、一人の「友達」として、心から受け入れてくれている。
「本当に……ありがとう」
透華の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
それは、これまでの孤独と、今感じている温かさが混じり合った、安堵の涙だった。
朔は、透華の涙をそっと拭った。
「透華、俺たちは、これからもずっと一緒だ。どんなことがあっても、絶対に守るから」
凛が、明るい声で続ける。
「そうだよ! 透華が望むなら、どこへだって一緒に行くよ! 新しい場所で、新しい生活を始めよう!」
バルスは、不器用ながらも力強く頷いた。
透華は、三人の顔を一人ずつ見つめた。
そこには、偽りのない友情と、未来への希望が満ちていた。
「うん……みんなと一緒なら、きっと大丈夫」
透華は、そっと微笑んだ。
その笑顔は、これまでにないほど穏やかで、そして自由に満ちていた。
四人の心は、固く結びついた。
未来にはどんな困難が待ち受けているか分からない。
しかし、彼らはもう一人ではない。
友情という確かな絆で結ばれた四人は、どんな困難も乗り越えていけるだろう。
Q.E.D.
※物語はもう少し続きがあります。
エピローグ① (閑話)を経てエピローグ②へと続きます。




