0x27 凛の隠し事
夕暮れの光がマンションの窓から差し込み、リビングには柔らかい橙色の光が揺らいでいた。透華は湯気の立つ紅茶を二つ準備し、静かな空間に落ち着いた空気を作り出した。
「凛、ちょっと話せる?」
透華は自然な口調で問いかける。
「……うん。」
凛は少し戸惑ったようだったが、その表情には警戒心はない。
透華は紅茶のカップを凛に差し出し、自分もソファに腰掛ける。
「今日は本当に大変だったわね。港の風、ちょっと冷たかったし。」
透華は軽く微笑みながら話を始める。
「ああ……うん、寒かったかも。」
凛はカップを両手で包みながら、小さく息を吐いた。その指先がかすかに震えているのを透華は見逃さなかった。
「でも、こうしてみんな無事に帰ってこられてよかったわ。」
透華の声は穏やかだったが、その視線は凛のちょっとした仕草に注意を向けていた。
凛はゆっくり紅茶を口に運ぶが、何度か飲む前に少し手を止める。
「……透華、朔くん……心配してた?」
「当然じゃない。あなたたちが突然いなくなったんだから。」
透華は紅茶の縁を指でなぞるようにしながら、ゆったりと言葉を紡ぐ。
「でも、今はこうして話せるから、安心してるわ。」
凛はカップをテーブルに置くが、指先がその縁を何度か触れる。
透華は視線をゆっくり落としながら、慎重に言葉を選ぶ。
「……ねぇ、凛。」
凛の肩が微かに揺れる。
「もしかして、何か私に話しにくいことがあるんじゃない?」
凛の呼吸が浅くなる。透華は直接問い詰めることなく、柔らかく続けた。
「大丈夫よ。無理に言わなくてもいいけれど、私はあなたを信じてる。」
凛の視線が一瞬、紅茶の表面へと落ちる。
透華は静かに待った。
凛の呼吸が少しずつ落ち着きを取り戻す。
「……透華……」
その言葉には、ためらいが含まれていた。
「ゆっくりでいいわ。」
透華は紅茶を口に運びながら、微笑んだ。
凛は迷いながらも、小さく唇を開く。
凛の指が、カップの縁をそっと触れる。
透華は静かに観察しながら、ほんの少しだけ言葉に柔らかさを加えた。
「港で、凛が電話をくれた時……少し様子が違った気がしたのよね。」
凛の肩が微かに揺れる。
透華は、一気に問い詰めることなく、ゆっくりと間を取った。
「大丈夫よ。無理に言わなくてもいいわ。
でも……もしかして、何か話しにくいことがある?」
凛は息をのむように、ほんの一瞬だけ口元を押し当てた
透華はその小さな仕草を見逃さず、さらに静かな空気を保つ。
「私は凛の味方よ。」
その言葉は静かに部屋に響いた。
凛は息をのむようにして、一度目を閉じる。
「……でも、私……」
声はかすれていた。言葉を探そうとしているのに、喉がひどく乾いているようだった。
透華はあえて何も言わず、ただ待った。
凛は、ぎゅっと紅茶のカップを握りしめると、
ほんの小さな声で呟いた。
「透華たちを巻き込みたくないの……。」
透華の瞳がかすかに揺れる。
「……それはどういう意味?」
凛は呼吸を整えようとするかのように、ゆっくりと肩を落とす。
「私……知ってるの……。」
透華は何も言わず、ただ紅茶を指でなぞりながら、待ち続ける。
凛は視線を落としたまま続けた。
「……でも、話したら、きっと……透華たちも危ないことになる。」
透華は凛の言葉を慎重に受け止める。
「だから、自分だけで抱えようとしているのね。」
凛は何も言わず、ただ唇を噛んだ。
透華はそんな彼女を見つめながら、静かに言う。
「でもね、凛。誰かに話すことで、少しは楽になることもあるのよ。」
凛の瞳が揺れる。その一瞬、ほんのわずかに視線が透華へ向かった。
「……もし私が、この話を聞いたところで、あなたを責めることはないわ。」
凛は息を止めたまま、透華の言葉を待った。
「むしろ……あなたがこれまで一人で抱えていたことがどれほど辛かったのか、それを知りたいの。」
静かな沈黙が部屋に広がる。
凛は指先で紅茶の縁をなぞりながら、言葉を探していた。
「透華……」
その声はかすかに震えている。透華は紅茶をそっと口に運び、穏やかに微笑んだ。
「ゆっくりでいいわ。」
凛の指がカップの持ち手を強く握る。
――身体の緊張。
彼女は少し息を整えてから、ぽつりと呟くように言った。
「……私、何も知らないの。だから……話せない……」
その言葉に、透華はわずかに目を細めた。
「本当に?」
凛の肩が微かに揺れた。透華はその小さな動きを見逃さず、紅茶のカップをテーブルに置いた。
「何も知らないなら、そんなに緊張する必要はないわよね?」
「……それは……」
透華はじっと彼女を見つめることなく、ふっと視線を紅茶の表面へ落とした。
「もし、何か話したいけれど話せないなら……無理に言わなくていい。でも、大丈夫。
私は凛を信じてるから。」
凛の唇がかすかに震えた。
「……私、透華たちを巻き込みたくないの……。」
その言葉は、ごく小さく、しかし確かな決意を帯びていた。
透華はゆっくりと頷いた。
「そう。じゃあ、それをちゃんと守るために……私にできることはないかしら?」
凛は驚いたように透華を見つめた。
「……え?」
透華は微笑みながら、ほんの少し顔を傾ける。
「あなたが話せない理由を、私は責めたりしない。
でも、もしその理由があなた一人で抱えるには重すぎるものなら……私も力になりたい。」
凛はその言葉に息をのんだ。
そして――
彼女は透華の視線から逃れられないまま、静かに唇を開いていった。




