1・2 姫様の優しい結婚相手
今日の夕方、結婚を祝うパーティーが始まる直前に、アーデルの私室に彼が迎えにきたときのことだ。
誰もが目を見張る美しい顔立ちは真顔だと冷ややかな印象だけれど、ひとたび微笑めばとたんに親しみやすいものに変化した。
黒い髪は艶やかで上質な絹のよう。
黒曜石のような瞳は理知的で、光りの加減なのか時たま金色に輝いた。
(あれがリーデルシュタイン王族はかつて竜族だったといわれる由縁の瞳ね。強力な魔力の持ち主の証でもあるとか。たしかに不思議な感じだわ)
エルゼは彼の姿をやや離れたところから、身を隠しつつのぞき見ていた。
というのも、エルゼとアーデルで意見の相違があったからだ。
エルゼは、姫様の代わりで初夜を過ごすのだから、なるたけ自分の存在をハインツに知られない方がいいと考えた。
けれどアーデルは、顔も知らない相手と初夜を迎えるなんて恐ろしいでしょとエルゼを気遣った。
その結果が中途半端な位置からの、ハインツ王子見学だったのだ。
王子はアーデルの花嫁姿を丁寧に褒めたたえ、居並ぶ侍女たちにねぎらいの言葉をかける。
(よかった、姫様の言うとおりに優しい方みたい。初夜さえ乗り越えれば、きっと良き夫婦になれるはず……!)
姫様、ひいては国の将来がすべて自分にかかっていると思うと、エルゼは緊張と恐怖で身体がぶるりと震えた。
そのときだった。ハインツが、柱の影に隠れるように立っているエルゼに気づいたのは。
彼はまさかそんなところに侍女が控えているとは思わなかったようで、大きく目を見開いた。
慌てて膝を折り頭を下げるエルゼ。
(どうしよう、ひとり離れて隠れていたことをなんて説明しよう)
エルゼが焦りながらそっと上目遣いに伺うと、ハインツはなぜか満面の笑みを浮かべていた。エルゼと目が合うと、ゆっくりとうなずく。
思わぬ反応に戸惑うエルゼ。けれどすぐに思いつくことがあった。
(もしかして私の身元をご存じで、遠慮していると解釈してくれたのかしら)
エルゼは元伯爵令嬢で、本来ならば家族とともに処刑されるはずだった。
けれど幼いころから親しくしていたアーデルが救ってくれて、今がある。
(そうね、姫様の夫となる方だもの。反逆罪で処刑された一家の娘が、名を変えて姫様に仕えていることくらい説明されているわね)
エルゼが納得したころにはハインツはもうアーデルのほうを向いていた。そして柔らかな笑顔を浮かべたまま、新妻をエスコートしてパーティー会場に向かったのだった。
(時間が押してたからとはいえ、ハインツ殿下は隠れていた私を咎めることも、理由を問いただすこともしなかった。ご寛容な方なのだわ)
エルゼは暗闇の中で自分の頬をなぞる王子に意識を向けた。
(それにあの満面の笑顔は、どことなくヘンリヒに似ていた)
エルゼの胸中に甘酸っぱい初恋の思い出がよみがえる。
五年ほど前、エルゼがまだ伯爵令嬢だったときに避暑地で出会った、黒い瞳と赤い髪をした優美な美少年、ヘンリヒ。
一緒に過ごしたのは、ひとつきほどだったけれど、エルゼにとっては人生で一番楽しく幸せな日々だった。
けれどどこのご令息なのか知らないまま別れ、以来一度も会っていない。
別れてすぐに婚約が決まったこともあり、エルゼは彼を探そうと考えたことはなかった。
心の中だけにある、大切な思い出だ。
(そうよ。初夜の相手があの嫌な婚約者でなくてヘンリヒ似の人になるなんて、むしろありがたいぐらい)
エルゼは自分にそう言い聞かせると、ハインツの「怖いのか」という問いに対して「大丈夫ですわ」と答えた。
またも声はか細く震えていたけれど、ハインツはきっとはじらいのせいと思ってくれたことだろう。
ハインツは暗闇の中から、「愛しい君」とエルゼに呼びかける。
「わかってくれるだろうか。この夜を迎えることができて、私は心の底から嬉しい。神にこれほど感謝したことはない」
熱を含んだ口調だった。
それから、ハイツンはエルゼの額に静かにキスを落とす。
エルゼの胸がちくりと痛んだ。
(優しいこの方を騙さなくてはいけないのだわ。しかも絶世の美女である姫様に比べて、私は地味でつまらない娘だし)
けれどアーデルの名誉と、双方の国の良好な関係を守るためにはこうする他ないことは、重々承知している。
なにより初夜の入れ替わりを申し出たのは、エルゼ自身だ。
(この秘密は墓場まで持っていきます。ハインツ殿下、どうぞ許してくださいませ――)




