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一章/一話『青年と少女』

 深い深い森の中、鬱蒼と茂る木々を掻き分けて走る少女が一人。頬からは汗が伝い落ちて、もう息も絶え絶え。

 彼女がこうまでして駆ける理由は単純――


「ッグァラァぁぁぁあアッッ――!」


「――ひぃ!」


 巨躯の獣が放つ、研ぎ澄まされた爪の一撃――躱して、少女は転ぶ。

 唸る怪物、闇夜に光る赤い目は、少女ただ一人に向けられていた。後一拍もあれば、涎に塗れたその牙は少女の首を噛み切るだろうという頃合いに――、


【宝剣よ、万物斬り伏せ給え――滅旋】


 夜の闇も、獣の赤い眼光も、何もかもを明るい剣閃が切り裂く。

 一筋か、二筋か、一体何本なのやら、数えることも馬鹿らしい量の剣撃が降り注ぎ、少女を襲う悪しき獣は切り裂かれたのだった。


「おいおい、ここまでヤベーやつ、一体全体どっから出てきやがった。――まぁ、ともあれともあれ、お嬢さんやお嬢さんや、大丈夫かい?」


 震える少女に手を差し伸べて笑うのは、今しがた神業たる剣撃を披露した当人。宝剣と呼ぶにはあまりに不格好な、一本の木の枝を握りしめた、一人の青年。

 

「あ、あの!」


「よせよ、僕は名乗る程の者じゃ――」


「ち、違います! 後ろっ!」


 夜闇深く、赤き眼光より鮮烈に。獣――全くの、健在なり。

 かすり傷一つ負っていない万全の状態で、再び咆哮する怪物。身をぐるりと回して、それに追従させる尾で青年を軽々吹き飛ばす。

 轟音が響き渡り、数本の木を薙ぎ倒しながら青年は墜落。


「――え?! ちょ、大丈夫そうですか!?」


「ははっ、僕がこれしきの事で……グハッ」


 やたらに遅い足取りで駆け寄った少女の腕の中、気丈に振る舞うこともままならず吐血。


「あの登場の仕方で、そんなに弱いことって在るんですか?!」


「馬鹿言うんじゃねえっ! 僕は全く以て、弱くなんかないんだからなっ!」


 威勢だけは良し。しかして、そんなもの、今々一歩二歩と迫りくる脅威にすれば、負け犬の遠吠えでしかない。

 それに実際の所、偽り無しでいくと、正真正銘、先程の剣撃は青年の全力だった。幾らかは武器のせいにもできようが、如何なる名刀をもってしても、大した結果の違いを望めないことは――他ならぬ、当人が一番理解している。

 つまるところ――


「一旦! 一旦一旦! 本当に一旦! あくまでも戦略的に、撤退だ!」


 青年は体制を整えた後、少女の手を引き駆け出そうとする――が、目に付いた一筋の傷跡にその足を止められた。

 少女のか細い足に残された、特大の爪痕。あまりに深刻な一撃、ともすれば骨ごと断ち切られているのではないかという程の。


「――まじっすか?」


「ご、ごめんなさい」


「いやいや、問題ないとも! ――っ」


 言って、少女を抱えた瞬間、青年の顔が苦痛に歪む。


「え、私ってそんなに重いですか?!」


「お、い、おい……冗談、言うんじゃあねえよ。こうも可憐な君が、重い、わけ……ないだろっ?」


 それは何も、少女が重すぎたなんて失礼極まりない話ではなくって、本当の本当に、青年の問題。

 歩くこともままならず、人一人を抱えたとなれば、それが例え羽根のように軽い少女だろうとも、耐え難い苦痛に襲われる。それ程の――虚弱体質。否、体質というより、状態。虚弱状態。

 所謂――弱体化。


「――ガルッゥゥルルゥゥゥゥ……」


 なんていう言い訳もまた、していられない。

 獣が数歩先で足踏みをして――どうしてだか、()()()()()()()()()()()()()()今の内に、


「ちゃっちゃと行こうか! マジで二人揃って死んじまうっ!」


 今度こそは気丈に笑って、青年は駆け出す。

 軋む身体。潤む瞳。悲鳴上げんとする喉。何もかも、今が凪いだ夜でなければ白日の元に晒されていたかも知れない。だから、今ばかりはこの深い夜に感謝して、木々の合間を縫って逃亡し続ける。

 

 無理の限界値を幾度と無く越えながら、そして――そして、辿り着く。――小高い山の麓、暗い暗い洞窟に。

 ふらふらと、よろよろと、浅い場所まで立ち入って、少女を岩陰に下ろした後、青年も側に腰を下ろす。

 或いは――倒れたとも言うけれど。


「本当に、本当にごめんなさい……私がもう少しお菓子を我慢してれば……!」


「はっはっは! 君も引きずるねえっ?! 冗談抜きに大丈夫だとも。これは僕の問題で、君の問題じゃない。君は重くなんかないよ」


「でも……」


 そんなことを言っている青年の現状――うつ伏せで倒れ伏している彼を横目にしていれば、少女が口ごもるのも無理はない。

 

「まぁ、今暫く僕は横にならせてもらうが……ともあれともあれ、いつかは、どうにかしなくっちゃな」


 青年は洞窟の地面と接吻、少女は真横で体育座りと――構図だけでいけば中々シュールなものだが、現実はそうでもない。早急な対処が必須。


 顔だけをのそりと上げて、青年がちらと目を向けるのは、はるか遠くから洞窟まで続いている血痕。何処から続いているかと言えば、それこそ――彼の獣が居る地までであって、それはつまり、血を追われる可能性を残してきてしまったという事。そして、そうなればもう――お終い。

 加えて、獣と血痕で繋がれた対極の場所にて体育座りしている少女――その足元には、小さな血溜まりが出来始めていた。

 

「――んー……」


 勿論小声で発した、誰にも届かないはずの青年の弱々しい唸り声――だったのだけれど、その雰囲気だけは少女に届いたらしく、彼女がおずおずと口を開く。


「あの……これ……。意味があるかは分かりませんけれど、持っていってください。貴方が逃げる時に、少しでも役立てば――嬉しいです!」


 懐から小さな短刀を取り出して、それを地面伝いに青年へと提出する少女。伴って紡がれた空元気な言葉は、もはや自身の生存を諦めかけたものだったけれど、しかし、


「……ははっ、流石は僕だ。都合も運も、最高に良い。

  久しぶりに――頑張っちゃうとしよう」


「……?」


 当惑して、少女は首を傾げたのだった。


―――――


「――」


 酷い目に遭うのも随分久しいと、登山の最中に青年は思う。

 不幸で不運。可哀想で哀れでどうしようもない。奪われて、奪われて、奪われ尽くして、今はもう殆ど何も無くなってしまった。


「まぁ自業自得だけどさ、」


 流石に酷いじゃないか、と、青年は続けられない。

 ぬかるんだ地面、踏みしめ方を間違えて青年は転倒する。折角進んだ坂道を転がり落ちて、もう禄に動かない体は更に痛み出して、そして――また一歩、歩き出す。

 暴風と豪雨に晒されながら歩き続ける山道――目指すは頂上。そうまでするのは、ひとえに作戦のため。握力を奪われ、腕力を奪われ、脚力を奪われ、力という力は奪い尽くされたけれど、かつての様に剣撃の雨あられをもってして敵を討つことは出来なくなってしまったけれど――それでも、覚悟と重み重み(体重)だけは残されているから。

 

―――――

 

 少女の浅くなった息が、洞窟にこだましていた。彼女が虚ろな目で見据える先、洞窟の外――木々に遮られて何も見えないそこに、不気味な何かが居る。

 青年が立ち去って、少女が一人残されて、どれ程経ったのだろうか。どくどく溢れる血は、相変わらず止まっていない。血が足りなくなって死ぬのか、或いは、あの不気味な何かに追いつかれて死ぬのか。

 

 轟々と風が吹き始めた。横殴りの雨が降り始めた。寒さが増してくる。息がもっと浅くなる。体が固まってしまう。涙が溢れそうになる。何もかもが遠くなる。手元から消えていく。

 なのに、足音だけが――近付いて来た。


「――不幸な、人生だったなぁ……」


 今際の際、幼気な少女は口元で呟いた。もう、半分泣きながら。


 『哀れな少女が居て、諸悪たる怪物がいる』

 『ならば例え手元にあるのが伝説の宝剣でなくとも』

 『そこに立つのが――勇者ローヴェンゼムなら』


【さぁ、僕史上最低の一撃を――】


 伝説の勇者の声色は、夜の森を震わして、


【――お見舞いしてやろう】

 

 そして――落ちる。

 斯くして――落ちる。

 何処までも――落ちる。


 67kg分の質量。

 

 少女の頭上より。或いは怪物の頭上より。つまり――洞窟を内包する小高い山の頂上より、身投げした青年。

 豪速の落下。手元の短剣向く先は、獣毛に覆われた漆黒の首ただ一点で――


「――グャァァ゙あアッッッ!!!!!!!!!  アァがァぁっ!!!!  アガァ゙ぁ゙……ぁ゙――」

 

 弾ける血飛沫と劈く断末魔。一瞬の内に命の灯火は消え去り、彼の獣から禍々しさが失われる。

 それまではある種のミステリアスさを纏い、神秘のベールに覆い隠されていたはずの――「魔獣バウムッド」は、もはや生き物としての輪郭を晒され、ただの大きい狼と化したのだった。


「いやいや、ようやくようやく、格好が付いたぜ――」


 魔獣の残骸を足蹴に、逆光となる月明かりの中で青年は少女を向く。


「このベストタイミングで名乗らせてもらおう。僕の名は――勇者ローヴェンゼムだ

  ……って、あれ」


 少女は小さく呼吸だけをしながら、既に目を瞑っていた。

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