1 好きになれない顔は、どう頑張っても無理な話
世の中には「性格が良ければ顔なんて関係ない」とか、「見た目より中身が大事」とか、もっともらしい言葉が溢れている。
確かにそれは、ある種の理想論としては正しいのかもしれない。けれど、現実として「どうしても受け付けない顔」というものは、確実に存在する。
それは、整っているとか不細工とか、そういう記号的な話ではない。
もっと直感的で、本能的で、生理的な拒否反応。
見るだけで胃がムカムカして、笑われると鳥肌が立つ。
視界に入ると、反射的に目を逸らしたくなるような顔が、あるのだ。
言葉にするのは難しい。
けれど、あえて言えば「自分の中のセンサーが警報を鳴らす」感じ。
その顔が発する空気感、表情のクセ、喋り方、距離感の詰め方──全部が、無理。
一瞬でも「優しそう」とか「面白いかも」と思える余地すらない。
“恋愛対象外”どころじゃない。もはや“存在を近くに置きたくない”レベル。
そういう人に限って、なぜかこちらの拒否を「試練」だと勘違いすることがある。
「見た目じゃなくて中身を見てほしい」
「時間が経てば、きっとわかってくれるはず」
──いや、わからないし、わかりたくもない。
生理的な嫌悪感は、時間では覆らない。
努力や優しさでどうにかなる問題なら、とっくに誰も苦労していない。
でも現実は、いくら相手が「いい人」でも、「いいことをしてくれても」、嫌なものは嫌なのだ。
心が拒否しているのに、理屈で好きになれると思っているなら、それはただの傲慢だ。
本当に怖いのは、「なぜ嫌われるのか」を自分で考えず、「相手の見る目がない」と片付けてしまう人。
こちらがNOを突きつけても、「まだいける」と思い込んで迫ってくる。
好きになる可能性を1ミリも感じていないのに、勝手に夢を見て、勝手に失望される。
こちらは最初から、「無理」と言っているのに。
顔や声、雰囲気や所作、すべてが生理的に無理な相手に対しては、正直どうしようもない。
どんなに人格が立派でも、助けてくれても、尊敬はしても恋愛感情は湧かない。
いや、尊敬すら湧かないことだってある。
「ありがたい」と思うよりも、「早くどこか行ってくれ」と思ってしまう。
そう思う自分を責めたこともあるけれど、今はもう違う。
人間の感情は、選べない。
無理なものは、どこまでいっても無理。
それを「冷たい」とか「自分勝手」だと言う人がいたら、言わせておけばいい。
だって、私の心と体は、私だけのものだから。