ネット荒らしの毒島さん
「またかよ…」
私はスマホを握り潰したい衝動に駆られながら、画面を睨みつけた。
そこには、見慣れた毒島とかいうアカウントからの通知が、まるで害虫の群れみたいにズラッと並んでいる。
「死ね」「クソ」「脳みそ腐ってんのか」――毎度おなじみの罵詈雑言だ。
最近じゃ「目玉くり抜いてやる」とか「家族ごと燃やしてやる」とか、エスカレートして、もはや芸術的な域に達している。
フリーライターとして記事を一本上げると、必ずこいつが湧いてくる。私のSNSはまるで毒島さんの憂さ晴らしのキャンバスだ。
警察に相談したって、「具体的な被害がないとねぇ」とお巡りさんはニヤニヤしながら肩をすくめるだけ。 ネットってのは無法地帯だ。ゴミ溜めだ。
ある日、偶然が重なって毒島さんの住所を突き止めた。私の住む街の外れ、ゴミ袋と雑草が主役の寂れた一角にあるボロ家。表札すら錆びていて、「毒島」の文字がかろうじて読める程度。
「どんな奴なんだろ…」
好奇心と……いや、ほんの少しの復讐心。で、私はその家に足を踏み入れた。 踏み入れるも何も、門は半開きで、庭は荒れ放題。チャイムを押しても反応なし。窓から覗くと、カーテンの隙間から薄暗い部屋が見えた。
そこに、痩せこけた影がボソボソ独り言をつぶやいている。毒島さんだ。
「うわっ……」
その異様な雰囲気に思わず後ずさった瞬間、隣の家から声が飛んできた。
「毒島さんのとこかい?」
振り向くと、ピンクの花柄の割烹着を着た小柄なおばあちゃんが立っていて、手にはカリントウの袋。シャカシャカ鳴らしながらしわくちゃの顔でニコッと笑う。
「ええ、まあ…ちょっと気になって」
曖昧に答えると、おばあちゃんはカリントウをポリポリかじりながら言った。
「昔はあんなんじゃなかったよ。あの子、寂しいんだよ」
「寂しい?」
「そうさね。誰かと話したいんだろうねぇ。でも、言葉がさ、ひねくれちゃって出てくるんだよ」
おばあちゃんはそう言って、カリントウを一つつまんで私に差し出した。
「ほら、お嬢ちゃんも食べな。甘いよ」
素朴な甘さが口に広がって、なんだか毒島さんへのイライラが一瞬薄れた。
後日、ライターの仕事で地区の福祉担当の山田さんに話を聞くチャンスがあった。
毒島さんの担当だという山田さんは、でっかいメガネをかけたおっとりした人で、話すたびに首をかしげるクセがある。
「毒島さんねぇ、若い頃に色々あったみたいなんですよ。友達に裏切られたり、仕事でも揉めたり。で、心がポキッと折れちゃって。それで認知症も入ってきて、今じゃ誰かに頼るって選択肢が頭から消えてるみたい」
「でも、ネットで絡んでくるのは…」
「うーん、それも一種の叫びなのかもしれませんね。自分を誰かに見てほしい、気づいてほしいって。でも、それがああいう形になっちゃう。被害者の方からすれば、許しがたいし、難しい問題ですよねぇ」
山田さんは首をかしげて、苦笑いした。
「罪を憎んで人を憎まず、か…」
私は呟きながら、毒島さんの最新の「死ね死ね」コメントをスルーした。
あのボロ家の痩せた影と、おばあちゃんの「寂しいんだよ」が頭にこびりついて離れない。
確かに、毒島さんの言葉は許せない。
けど、あの独り言をつぶやく老人の姿を思い出すと、怒りより先に切なさが胸を締め付ける。
それから私は、毒島さんとは距離を取ることにした。
コメントは見ない。反応しない。
でも、時々おばあちゃんの家に寄って、カリントウを分けてもらう。
「お嬢ちゃん、毒島さんのこと、まだ怒ってるかい?」
おばあちゃんがカリントウを差し出しながら聞いてくる。
「うーん、まあ、ちょっとね。でも、カリントウ食べてると落ち着くよ」
「そりゃ良かった。甘いもんはさ、心を丸くするからね」
カリントウの素朴な甘さが、私の尖った気持ちを少しずつ溶かしていく。
毒島さんとの距離は、きっとこれでいい。
「罪を憎んで人を憎まず」――簡単じゃないけど、カリントウ片手に、私はそうやって生きていくことにした。