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アヤカ

作者: L.Caffe

 電話が鳴り、車を路肩に止める。


 錆びた丸いバス停標識と、古いベンチ、そこに座る少女が目に入る。

 スマホを覗いていた顔を上げ、少し腰を浮かすが、来たのがバスでは無いことを知ると、すぐに元の姿勢に戻っる。


 電話から聞きなれた高い声が響く。


「かあちゃんかよ」


「かよ、とはなに。なかなか来ないから心配して」


「運転中に電話に出る方があぶなかっぺな!」


「そんなこと知るか!」


「まあ。……もうすぐ着くから、待っててくれ」


「ん、気をつけて来なさい」


「ああ」


 電話を助手席に置いて、エンジンを掛ける。少女はそのままバスを待っている。午後の日差しに目を細めながら俺は車を出す。


 なにか後ろ髪を引かれるような感覚に陥る。田舎道、本数の少ないバス、帽子もかぶらず、真夏の日差しにさえぎるものが何もないバス停のベンチ。

 だからといって中学生くらいの女の子に声なんて掛けたら、事案発生だろ、と少し笑う。


 バックミラーの中で、デニムのホットパンツと白いTシャツ姿の少女は、やはりスマホだけを見ていた。



 しばらく走ると、防風林が疎らに見える畑に出る。その影に老人が居た。 なにやら大荷物を背負って、昔の行商人のような格好だ。ほっかむりの手ぬぐいを取って、それを振り回し始めたのを見て白旗を上げる。俺は車を止めた。


「こんにちわあ、いやいや、すまんね」


「こんにちわ。どうかなされたので?」


「いやね、大丈夫だと思って背負ってきた荷物がねえ」


「重すぎた、と」


「そうなんだよ、そうなんだよ。にいちゃん、ちょっくら乗せていってもらえんかなあ」


「いいですよ。急ぐ旅でもないのだし」


「そうかい、そうかい。いや助かる。本当に助かった」


 軽自動車。それもオープンスポーツだ。座席は二つしかない。背負子のような大きな荷物をトランクに入れるが、トランクの蓋は全くしまらなかった。


「まあいいだろう」


 他人事であった。


「スピードださねば、これでもよし」


「まあ、そうなんですけどね」


 少し大きめな本棚をリサイクルショップで買って、オープントップの助手席にそれをねじ込み、風圧を片手で堪えながら家まで帰った時を思い出す。 あの必死さに比べたら、大丈夫だろう。

 おまけに爺さんは、目にも留まらぬ速さで背負子についていたヒモで荷物とトランクの蓋を縛り付ける。益々安心感が増す。


「どこまで行くのですか?」


「三キロくらい先だ。道路からわしの家が見える」


「そうですか」


「しかし連日、暑いね。兄ちゃんはなんだ、里帰りか」


「ええ。暑いので今年は諦めようかと思ったのですが。ちょっと風邪気味だし」


「ご両親も喜ばれるな」


「ええ、まあ」


「それはそれは。上々じゃわ」


 爺さんの家に着くと、助かったという言葉をその辺中にぶちまけながら、あっという間に荷物を外し、にこやかで穏やかな顔を向けてきた。


「では、これで」


「はい」


「楽しいドライブだったよ」


「いえ、どういたしまして」


「お礼には、つまらんもんだが」


 これまたすごい手さばきで、背負子から芋を5~6個取り出して、コンビニの袋に入れ渡してくる。


「いや、お礼には及びませんよおじいさん」


「いや、いいからいいから」


「そうですか。では有難く……」


「じゃあ、気をつけて。ああ、彩華によろしく言っておいてくれ」


「ア……ヤカ? 誰ですそれ?」


 爺さんは、ただにこやかな顔で笑いながら、玄関へと消えていった。


「ちょっと、おじいさん! アヤカって!」


 言うだけ無駄なのはわかっていたが、声を張って、大きな瓦屋根の家に言ってみる。反応はなく、俺は仕方なく車に戻る。

 ボケてたのかな、とか呟いて車を出した。


 5分ほどあれこれ考えてはみたが、まあ良いことをした、という単純な回答を優先し、アヤカさんのことは封印した。我ながら、単純ボジティブシンキングで素晴らしいと思う。

 思うと喉が渇いた。


 15分ほど走り、見つけたコンビニへ入る。コーヒーとちょっとしたお菓子を買って出口を出ると、少年がうずくまり、自転車のチェーンを見ていた。今日は、こういう日なのだろうと思い、声を掛けてみる。


「あ、ありがとうございます。できたら工具を貸していただけたら助かります」


 高校生くらいなのに、球児っぽいしっかりとした態度だった。俺は快くトランクを開けた。もらった芋を脇に寄せ、工具を取り出す。少年はこれまた素晴らしい手さばきで泥除けを外して、挟まっていたチェーンをもと通りに直した。


「ありがとうございます。助かりました」


「いやいや、急ぐ旅でもなし」


「そうですか。申し訳ありません。僕は少し急ぎますので」


 言いつつ、少年はスポーツドリンクを差し出してくる。

 真っ黒に焼けた肌。自転車のカゴには、野球ヘルメット。練習中にでも飲もうと持ってきたのだろう。


「これは、無いと困るだろう? 俺はほら」


 運転席のドリンクホルダーに入れていたコーヒーのカップを指さす。


「いや、それでは……。申し訳ないので、どうか。球場にはマネージャーが入れてくれる麦茶もあります」


「いやあ、少年からそのようにされるのはバツが悪いがなあ」


「どうか、どうか」


 本当に急いでいるのが目に見えてわかる。しかし、少年はペットボトルを差し出す手を引っ込めようとしない。


「わかった。ありがとう。頂くよ」


「こんなことしか。本当に助かりました」


 きびきびと頭を下げ、流れるような動作で自転車にまたがると、2コギ3コギしたところで、ブレーキ音がした。


「お兄さん! 海についたら、彩華によろしくお伝えくださ-い!」


「あ……またなの? アヤカって誰?」


 少年の自転車はバイクのように加速し、みるみるうちに視界から出て行ってしまった。とても元気だと感心しつつ「だれ? なに?」と、呟いてしまう。


 俺はブツブツ言いながら、運転席に収まる。ぬるくなったスポーツドリンクを助手席に放り投げ、それがスマホと少し当たった音でびくりとしながらも、アヤカのことを考えていた。


「さっきの爺さんと少年は家族? いや、俺の知り合いにアヤカって人居た?」


 今度は10分ほど考えた。

 しかし考えてもわかるはずもなく、俺はやはり俺らしくアヤカのことは忘れ、一日で二善もしたことを誇って、それまでとする。

 ラジオを点ける。


「海に行ってきましたよー。やっぱ、海で食べる焼きそばが一番」


「伸さんいいなあー」


――パーソナリティ海にいったんだ……、あれ、少年も確か海についたら、とか言ってたな。


 海に行く予定はない。実家は内陸でクソ熱い梨畑の真ん中だ。なんだって少年は……。


 深く考える間もなく、懐かしい街並みが見えてくる。何もない、面白い出来事もない、ただの田舎町、これが俺の懐かしの故郷だ。


「正月は忙しかったから……一年ぶりか」


 変化の乏しい田舎町。

 クモの巣がかかったボロい自動販売機は、ボロいままあったし、コインランドリーの鉢植えは毎年同じままだし、置き去りの廃車はやはり草に覆われてそこにある。


「ああ、懐かしのわが故郷。只今帰りましたよ」


 知らず笑顔になり、恥ずかしいことを口走る。街行く人たちは知らない顔で、出迎える友人も居なかったが、それなりに浮いた気分にはなるもので。


「まったく。電話してから何時間かかってんの!」


 なのに、玄関で会った母親からの第一声がこれでは、台無しだろう、と苦笑した。


「色々あったんだよ」


「なんで色々あるのさ。車で走って来るだけなのに」


「心配し過ぎ」


 居間のソファーに収まり、麦茶を飲み、途中手渡された芋を母親に押し付ける。


「ああ、丁度よかった。肉じゃがしようとおもってたんだけど芋がなかったのよね」


「じゃあ、危なく”肉”という料理を食わされるところだったのか」


「なんでよ」


「あんたならありえるだろ。マジで」


 なにやらブツブツ言いながら台所へと向かう母親に、それなりの笑顔を向けながらも、車に置きっぱなしのスマホを思い出して慌てて取りに行く。


 電話が鳴っている。


「はい、青田?」


「おお、いまどこ?」


「唐突だな。今着いたところだ」


「車出してくれよ。俺の壊れたんだよ! 軽トラはおやじが乗っていっちまったし」


「なんでだよ。自分でなんとかしろよ。疲れてんのに」


「誰もいないんだよ、海行っちゃって。みんなを海に置いて猪原がそのままキャンプ行くから、俺が迎えにいかないとなんだよ」


「知らねえよそんなこと」


「冷たいやつめ」


「つめたくねえよ!」


 ……これで三善目となった。


何か月かぶりに動かそうとした青田のワンボックスはバッテリーが上がっていただけだった。青田はこれ以上できないぞと顔に書いてあるかの如くありがとうを繰り返してから、一緒にイカね? と誘ってくる。


「別にいいけど」


「久しぶりだもんな! 猪原は居ねえけど、浦安、蒲田、南、伊豆原は居るしよ。ついでに花火とかしてよ」


「ああ、まあいいけど」


 夕方5時の約束をして、早すぎる夕食を母親の憮然とした顔を見つつかきこみ、夕空の中、実家を出る。


 青田の家に着くと、まだ少年のスポーツドリンクが助手席に転がったままなのを見つけ、何気なく手に取ってそのままワンボックスに乗り込む。


 半端にキャンピングカー的な改造を施された車内は、安っぽいスナックみたいなテーブルと対面の長椅子に作り替えられていて、居心地が悪かった。


「助手席来るか?」


「いや……まあ、いい」


 スポーツドリンクをクーラーボックスに押し込め、コンビニで仕入れたらしい残念な花火セットを見ていたら、そういやさ、と青田が言い出す。


「お前、井口しらないよな」


「ああ、知らんね」


「仙台からこしてきたんだけど、移住者? みたいな感じで」


「へー、こんなところに。変わった人も居るもんだ」


「南んちに修行にはいってさ」


「農家?」


「そうみたい。女の子なのに一人で大丈夫か、ってことになって。みんなで」


「それはそれは。かわいいのか?」


「はい、その通りです」


 まあ、この辺じゃ貴重だから仕方ないか。伊豆原まで首を突っ込むなら、いい子に違いない。とは思う。


「写真とかねえの?」


「会ってのお楽しみ、で、いがっぺな!」


 漫画の吹き出しみたいに、ははは、と笑う青田に俺もつられて笑う。


 高校時代の思い出話、それ以降の友人たちのあれやこれやを、半分くらいは聞いたことのある話だったが、青田は話し続ける。

 それはそれなりに楽しい時間だった。お互いに歳をとって家族とか出来てしまったら、こういう時間は段々と短くなってゆくに違いない。


 ラジオは午後7時を告げ、俺たちは夜の海へ着いた。


「ひさしぶり! 正月来なかっただろ!」


 俺は一次的に人気者となり、美人だけど俺より背が高い伊豆原には、恒例の頭ナデナデをされた。


「で、井口さんとやらは」


 地味なワンピース水着にパーカーを羽織った、小柄な女の人が申し訳なさそうな笑顔で暗闇から現れる。


「井口ですーぅ。よろしくー」


 皆一斉に、大活躍の様子、失敗談、時々集まって食事をすること、インテリアデザインが得意で青田の車もいじってもらう予定だ、などと喋りまくる。 人気は瞬く間に井口さんに移ってしまう。


「じゃあ、俺は井口さんになにをしてあげられるのだろうか……」


「あんたは東京の空の下で、幸運でも祈ってなさい」


 伊豆原に言われ、俺は肩を落として見せる。申し訳なさそうな笑顔のままで、井口さんは伸ばした腕の先で両手の平を俺に向け振っている。

 ちょっと意味がわからない。


 彩音。 うん? 妹は? と何気ない会話が伊豆原と交わされた。


「海に来てまでスマホ覗き込んでるから、ほってあるよ」


 眉毛を八の字にして笑いながら井口さんはレジャーシートのほうを指さす。


 確かに、人が寝ているような影が見える。


「あやかー! こっち来なさい。花火やるって!」


 俺はなんだか気になって、影を凝視してしまう。そして一瞬のあと、アヤカ! と叫んだ。


「あんたが呼び捨てすんなよ」


 伊豆原が太い声をだすが、俺の意識は人影と、青田の車にあるスポーツドリンクに向かっていた。


「あーやー! はやくおいで」


 アレ? アレ? と井口さんはかわいい顔で困っていたが、俺は即座に反応した。


「伊豆原! 熱中症じゃないか? はやく見てこい」


 陸上部で短距離をやっていた伊豆原の美しくも物凄いダッシュに見とれる暇もなく、俺は青田の車に向かった。


「ちょっと、あや! 聞こえてる? 彩華!」


 意識の無い妹の頭を膝に乗せ、今や本当に困った顔の井口さんに、俺はキンキンに冷えたスポーツドリンクを渡した。


――ポットパンツに白いTシャツ。


――バス停に居たあの子だ!


 

 青田がありったけの氷や、冷えた飲み物をもってきた。伊豆原は足を上げたり、脇に飲み物を挟んだりすごい手際で処置をする。流石元運動部だと感心する。間もなくアヤカは目を開けた。

 ゆっくりとスポーツドリンクを飲み干して、ごめんといって少し笑った。


 花火や、夜の海辺の歓談は無しになり、近くの診療所の待合室でのヒソヒソ話に入れ替わる。


「いや、こんなことになるなんて」


「そだな。こんなんだったら、よばながったほうが」


「責任どうの言ってたってしかたなかっぺな」


 青田と南がボソボソとつぶやき合っている。伊豆原がパーカーを羽織っただけの水着のまま、買って来たスポーツドリンクを皆に配っている。井口さんは泣きそうな顔になって、待合室の椅子に小さく縮こまっている。


「はやく飲んで。私らまで倒れたら洒落にならないから」


 しかし、俺の元にはスポーツドリンクが届いてない。


 皆の暗い顔が暗い待合室で暗い照明に浮かび上がっている。


――ああ。

 と思った。



 本日は異常な気温上昇……内陸部は37度……体温を越えた危険な……


 そんなアナウンサーの声と共に、パンクの音が蘇る。


「俺は。パンクして、タイヤを変えて……」


「なんだって、熱中症になるまで外に居たんだ」


「パンクしたらしい。タイヤが緊急用に変わっていたらしいから」


「そうだ、付け替えたんだ。そこで意識が……」


「朦朧としたまま、後ろの車に手を上げたんだけど」


「車の人が駆け寄るより早く、倒れたんだって聞いた」


「そうだ。海に居るから来いと電話で言われて……」


「実家に帰ってそのまま休んでいれば、こんなことには」


「風邪ひいて熱があったっていってたもんな」


「コーヒーは、逆に脱水するから水の代わりにはならないって言ったのに!」


 伊豆原の低くすすり泣く声が聞こえた。

 伊豆原の泣くところなんか、見たことなかった。

 そうか、考えもしなかったけど、伊豆原が泣くところは見たくなかったな。



――意識を無くし、取り戻したらしい。


 俺は母親からの電話を切って、バス停でバスを待つ少女を見る。


 少女はスマホをポシェットにしまい、ホットパンツから伸びる長い脚をぶらぶらさせて、俺に微笑みかけた。


「面白かった?」


 車の外、5メートルは離れているのに、耳元で囁かれるようにはっきりと声が聞こえる。


 何もかもが理解できた。


「まあ、紛らわしにはなったかな。死ぬのが怖いとか考える暇もなく、善い事してたし」


 そういうと俺は笑った。笑うことができた。


「あなたの人生は、おわり。――これからどうしたい?」


「俺に決定権があるのか? 彩華ちゃんが決めるんじゃないのか」


「どうしたいか聞くのも、私が決めたことだよ」


「ああそうか。そうだな」


 俺は車のドアを開けた。

 突き抜けた青の空、眩しい日の光はそのままだが、不快な湿気と気温は感じない。清々しい風が吹き、彩華のさほど長くはない髪をもてあそんでいる。


「座る?」


「そうだな。そうしようか」


「ゆっくりでいいよ」


「例えば……どんな願いが叶うんだ?」


「最近の流行だと、転生? とか? あれもできるよ」


「それは面白そうだな」


「そうイイもんじゃないけどね。トイレからして中世だし」


「ああ……なるほどぉ」


 天を仰いだ俺は、思い出した。


「老人と野球少年が、君によろしく伝えてくれと……」


 そう、と言う彩華の声は、少しだけ、確かに嬉しそうだった。

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