笑顔を忘れた氷の女王陛下の意外な弱点は、公爵令息の放つダジャレでした
シュネイ王国の女王ラーナ・レダスは前王の早逝を受け、18歳の若さで即位した。
前王の娘とはいえ若く、女系君主がすんなり成立したのは、周囲を固める者たちの黒い思惑もあった。すなわち「ラーナならば容易く操り、自分が権勢を握ることができる」という思惑が……。
ところが、ラーナはそんな甘い女王にはならなかった。
自身を操ろうとしたり、あるいは媚びを売るだけで無能だったりする佞臣は徹底的に排除。時には粛清も辞さなかった。
こうなると、ラーナを女王の座から引きずり下ろそうとする者たちも現れるが、ラーナは苛烈な決断力と実行力で政敵らに打ち勝ち、即位から五年も経つ頃にはその座を盤石なものとした。
権力闘争には勝利したラーナだったが、それと引き換えに大切なものを失ってしまった。
ラーナが鏡を見る。
鋭利ささえ漂う長い銀髪に、氷のような青く冷たい瞳。雪のように白い肌。これらの容貌を引き立てる群青色のドレス。即位してから十年が経過し、ラーナは誰もが見とれる美しい女性に成長を遂げていた。
だが、その表情は鉄仮面のように冷たい。
「最後に笑ったのは……いつだったかしら……」
唇の両端に力を入れても、ぎこちなく吊り上がるだけ。これではとても笑っているとは言えない。
ラーナは“笑顔”を失ってしまったのだ。
いつしかラーナは決して笑わぬ“氷の女王”と呼ばれるようになり、人々から畏怖されるようになっていった。
ある時、腹心の部下である大臣マルコスからこんな指摘を受ける。
「女王陛下、あなたは……笑いたいのでは?」
マルコスは50代のベテラン政治家であり、即位当初からラーナを支えてきた。ラーナが権力闘争を勝ち得たのは彼の尽力による部分も大きい。
「あなたには隠せないわね」
ラーナはしてやられたという風に目を細める。
マルコスはそんな彼女をまっすぐに見つめる。
「今やあなたは盤石な女王となった。私すら必要ないほどに。しかし、その代償としてあまりにも大きなものを失ってしまった。私の最後の仕事は、あなたの氷を溶かすこととしたい」
「止めはしないわ。だけど……溶けることはないでしょうね」
マルコスはラーナに笑顔を取り戻させるべく、一流の音楽家、画家、彫刻家などを呼び寄せた。
一級品の芸術に触れれば、ラーナも自然と笑むだろうという考えだった。
だが――
「素晴らしい曲だったわ。心が洗われるよう」
「大胆な構図と繊細な筆さばき。とても素敵な絵画だわ」
「これほどリアルな彫刻を作れるなんて、見事ね」
賛辞しつつも、その顔に笑みはない。
ラーナとて芸術の価値を解さないわけではない。
一流の作品と出会えば心に響く。だが、笑うまでには至らない。
“氷の女王”の名はますます強固なものとなってしまい、いつしか「笑わせよう」と挑戦する者もなくなっていった。
***
ある日の午後、玉座に座るラーナに兵士から報告が入る。
「女王陛下、ラッヘン家のリデル様が謁見をしたいと……」
「ラッヘン家は公爵の家系ね。だけどリデルという者がいたかしら?」
ラーナは女王として有力貴族のことは全て記憶している。だが、リデルという名は初耳だった。
マルコスが答える。
「ラッヘン家の令息ですな。かなりの放蕩息子と聞いていますが……」
「ふうん……面白いじゃない。会ってみましょう」
マルコスは目を丸くした。
会うことにはもちろんだが、ラーナが「面白い」という表現を使うこと自体めったにないことだった。
これは何か予想だにしないことが起こるのでは、と感じた。
玉座の間にリデル・ラッヘンが参上する。
黒髪に黒い瞳、目つきは涼しげで、紺色のスーツが良く似合う貴公子然とした20代の美青年だった。
マルコスも「とても放蕩息子とは思えん」と内心で漏らす。
「お初にお目にかかります。女王陛下」
「リデル・ラッヘンね。ずいぶんな放蕩息子とのことだけれど?」
「これは耳が痛い。貴族の暮らしはどうも性に合わず、ここ数年家を出ておりました。旅芸人一座などに参加し、日銭を稼ぐ日々。苦労はありましたが、楽しくもありました」
「それがどうして、貴族暮らしに戻ることにしたの?」
「父が体調を崩したと知りましたのでね。いつまでもふらふらはできないと帰ってまいりました。放浪生活で得た経験も、決して無駄ではないと思いますし」
受け答えはしっかりしており、ラーナはさほど悪くない印象を抱いた。脇に控えるマルコスも同様だった。
この青年には自分なりの信念や哲学があり、それに基づいて生きているのだと感じた。
「よく分かったわ。それでは私に謁見を申し出た理由を伺いましょうか」
本題に入る。
「女王陛下、あなたは笑いたいそうですね」
「そのぶしつけぶり、嫌いじゃないわ」
「ですので、私が笑わせてみせましょう」
リデルはラーナを笑わせると宣言した。
マルコスは内心冷ややかだった。
これまで一流といえる人間たちが、ラーナを笑わせようと努めてきた。しかし、いずれも失敗に終わった。
リデルという青年からはただならぬものを感じるが、それでもラーナを笑顔にできるとは思えない。
ラーナも同じ考えのようで、冷たい眼差しをリデルに向ける。
「やってみてちょうだい」
「では、私の卓越したユーモアセンスをお見せしましょう」
自分で“卓越した”とか言うなよとマルコスは心の中で苦笑する。
そんなリデルは――
「今日は素敵なステーキを食べたい」
「……は?」とマルコス。
「いかがです?」
「いかがと言われても……」
素敵なステーキ。まさかこんなダジャレが飛び出すとは思わなかった。
期待外れなんてものではない。思わず「打ち首にせよ!」なんて叫びたくなるほどだった。
だが、その時――
「ぷっ!」
ラーナだった。
「え、女王陛下……?」マルコスが見る。
「いえ、なんでもないわ……」
ラーナは慌てて首を振る。
リデルはさらに続ける。
「続いて……サラダを頼んだのに食器が出てきた。これ皿だ」
「……」
「ケーキに聞いてみた。景気はどう?」
「……」
マルコスはクスリともしない。
それどころか、「二番目のダジャレはせめて“ケーキ屋”にすべきだろ」などと指摘したくなってしまう。
こんな悲惨なダジャレを聞いて、女王陛下はさぞ不機嫌になるだろうと恐る恐るラーナを見る。
ラーナは目を見開き、下唇を噛んで、プルプルと震えていた。
「女王陛下……!?」
明らかに笑いをこらえている表情だ。
ラーナ自身も不思議だった。
なぜこんなにもツボに入ってしまっているのか。
しかし、彼女にも笑わないことに対して幾らかのプライドはある。
確かに笑顔を取り戻したい気持ちはあるが、いくらなんでもこんなダジャレで笑うわけにはいかないと必死に耐える。
マルコスもその気持ちはよく分かるので、あえて「我慢しなくていいんですよ」とは言わなかった。
「では続きまして、城シリーズ」とリデル。
シリーズとかあるの!?
ラーナはさらに笑いそうになってしまう。
「城を白く塗った」
「城壁を“攻撃”しようとする男が言った。『お、フェンス』」
「城が悲鳴を上げたがみんなから無視された。『キャッ、スルー』」
次々にダジャレが叩き込まれる。
いずれも場が凍り付くようなクオリティだったが、ラーナにはクリティカルヒットしていた。
もはや耐えきれなくなり――
十年分の笑いが――
喉の奥から――
「アハハハハハハハハハッ!!!」
ついに噴出した。
目じりを下げ、大きく口を開け、実に楽しそうに笑う。
「お、ウケましたか」
誰もが不可能だった快挙を成し遂げたのに、リデルは平然としている。
彼は自分のギャグの品質を全く疑っていない。
ラーナはその事実にさらに笑ってしまう。
「あーもう、おかしい! なんなのあなた! アハハハハハハハハハッ!!!」
ラーナは笑い続けた。
その姿はあまりにも気持ちよさそうで、朗らかで、誰も止めることはできなかった。
「あー……おかしかった」
笑い終えたラーナは目に涙まで浮かべていた。それを指で拭う。
「……ありがとう。あなたのおかげで久しぶりに笑えたわ」
「こちらこそお礼を申し上げたい。子供を産むための休暇のような気分です」
「へ?」
「産休」
「ぷぷっ! アハハハハッ!」
横のマルコスもニッコリと微笑む。
ダジャレはちっとも面白くなかったけど、女王陛下が笑ってくれてよかった……。
***
これが縁となり、ラーナはリデルと婚約し、婚姻に至った。
家柄的には申し分なく、リデルは決して政治的に無能でもない。理想的な相性だった。
女王の配偶者“王配”となったリデルは結婚発表の場で次のように述べた。
「女王陛下に選んで頂けて大変光栄です。嬉しすぎて声も大きくなってしまいます」
「ぶふぉっ!」
横にいるラーナだけが爆笑する。
もはやラーナはリデルのダジャレの魔力から逃れられそうになかった。
権力闘争で培った威厳に加え、笑顔を取り戻したラーナは“完璧な君主”といってよかった。
重臣らには崇められ、国民からは慕われ、海外からも賞賛され、シュネイ王国を経済的にも文化的にも飛躍的に発展させる。
いつしか“氷の女王”のニュアンスは冷たいというより、氷の結晶のように美しいというものに変化していく。
ラーナが女王として公務をこなす時、その傍らには常に夫リデルの姿があった。
「今日も夫婦で息を吹いて頑張ります。フーフー!」
「ぷぷぷっ……! もうリデルったら!」
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。