第九十五話・雨の中の喧騒
「ケイトリン嬢は?」
「大丈夫だ。 落ち着いている」
ティモシーさんたちは、騒ぎを聞いてすぐにケイトリン嬢の様子を見に行っていた。
要人警護の基本だそうで、何かあったと思ったらまず要人の傍につく。
あっちが落ち着いたようなので、他の護衛と交代してこちらの様子を見に来たらしい。
「どうやら、どこかの商隊の馬車が」
先ほど外の様子を見て来てくれた教会警備隊の若者がティモシーさんに報告し始める。
相変わらず、外は騒がしい。
「うちの土塀の回りに人が集まって来てやがる」
護衛の一人が不安そうに呟く。
ヒュッと一瞬光ってモリヒトがエルフの姿で現れる。
この旅で同行している者たちには見慣れた光景だ。
『この先で道が崩れています。 先ほど無理に通った馬車のせいでしょう』
斜面になっていた街道の一部が崩れて、馬車が通れなくなっているそうだ。
『街道以外の場所はぬかるんでいますから、馬車が通るのは難しいかと』
歩く人ならば通れるだろうが、今は祭りのために荷物を満載した荷馬車や要人を乗せた馬車が多い。
『それと、崩れた場所を直そうとしておりますが、人の手には余るかと』
「まあ、暗い中での作業、しかも雨も激しいしな」
もし朝になって晴れたとしても、領都から作業員を連れて来て街道を直すとなると、緊急措置としても軽く数日は掛かる。
「おそらく、到着するのが遅れますね」
僕が日程の心配をしているとヨシローが「そこかい」と突っ込む。
「崩れたとなると怪我人とか出てるんじゃないの?」
そうかも知れないね。 僕たちには関係ないが。
「とにかく、このままじゃ拙いんじゃないのかな」
ヨシローは相変わらずお人好しである。
土塀の外から声が聞こえた。
「おい、誰かいるんだろ!。 さっき人が出入りするのを見たぞ」
ドンドンと叩き始めた。
「魔術師か誰かいるんじゃないのか。 助けてくれ!。 こっちは怪我人がいるんだ」
僕もモリヒトも全く知らん顔である。
この世界、特に辺境地での旅というのは、短期間であっても何があるか分からない。
そのための準備というのは当たり前だと聞いた。
だから金持ちなんかは魔道具の荷物が多くなるし、護衛には必ず回復用の魔術師を連れて行くという。
まさに自分たちで何とかしなければ生き残れない。
しかしヨシローにはこの世界の常識は通じないようだ。
「なあ、モリヒトさんなら何とか出来るんじゃないの?」
僕を見ながら言わないで欲しい。
「何とか出来ると言えば、モリヒトにさせるんですか?。 このたくさんの人の前で」
「じゃあ、外にいる全員に見るなとか言えばいいのかよ」
ヨシローが剣呑な顔でこっちを見る。
大声を出さないでほしいな。 ほら、また外が騒がしくなる。
「お願いです。 子供がいるんです。 せめてこの子だけでも中に」
雨はますます激しくなり、土塀によじ登ったり、壊そうとする者まで現れた。
ぬかるんだ街道には水溜まりが溢れ、山から水が川のようにチョロチョロと流れ始めている。
「あの」
ケイトリン嬢がメイドと一緒に部屋から出て来た。
あー、嫌な予感がする。
ケイトリン嬢が僕の前で腰を落として礼を取る。
「エルフ様、眷属精霊様。 こんなことをお願いするのは失礼とは存じますが。
何卒、私たちを含め、ここに居る者たちに力をお貸しくださいませ」
声も、身体も少し震えている。
おそらく僕たちのやり取りや、外の声をずっと聴いていたのだろう。
分かってる。 辺境に棲む人たちはお互いに助け合って生活している。
そうしなければ生きていけないからだ。
僕はモリヒトの顔をチラリと見る。
何も言わないのは、僕に任せるということだ。
僕はため息を吐く。
「ではここにいる者たちに僕からの命令です」
お願いではない。
打ち合わせは手早く、なるべく分かり易く話したつもりだ。
「もし少しでも綻びが出るようなら僕は手を引きます」
僕とモリヒトだけなら、ここから塔に戻るのは簡単だからな。
他の皆が頷くのを見て、僕はモリヒトに命令を下す。
『承知いたしました』
モリヒトはエルフの姿で、装備をいつもの使用人風ではなく魔術師風に変える。
全員がフード付きの雨具を羽織るとゆっくりと小屋から出た。
雨の音と外からの喧騒は、まるで怒号のように聞こえ、ケイトリン嬢の顔が青白くなっている。
「大丈夫。 後はアタトくんに任せて」
「は、はい」
ヨシローがケイトリン嬢に寄り添い、何故か手を握っていた。
準備が出来た合図をすると、使用人たちが土塀の門を開く。
今まで騒いでいた人たちが一瞬、静かになった。
僕はこっそり魔法を使い、声を全体に届くようにする。
「皆さま、準備が整いましたので、これから支援を開始いたします」
そして横にいるヨシローに頷く。
頷き返し、一歩前に出たヨシローが声を張り上げた。
「では皆さん、怪我人と小さなお子さんやその保護者の方は中へどうぞ」
騎士らしい服装に着替えたティモシーさんがケイトリン嬢の後ろで睨みを利かせている。
「ありがとうございます!」
使用人たちが中に入れた怪我人らの面倒を見ることになる。
「へへっ、助かったー」
「お前はダメだ」
剣を抜いたティモシーさんが、男性や若者は容赦なく門前払いにする。
ギャアギャアと喚き出す人たちを前に、再びケイトリン嬢が声を上げた。
「まだ動ける方々には街道の修復のお手伝いをお願いいたします」
「なんだとー」
「俺たちに働けっていうのか」
文句を言う者も当然現れる。
さて、僕たちの出番だ。
『ではわたくしが』
モリヒトが前に出てフードを取る。
「エ、エルフだ」「なんだってー」「本物なのか?」
ザワザワと声が伝わっていく。
『お嬢様のために、少しだけお手伝いをいたしましょう』
「おおー」と喜びの声が上がる。
『しかし、わたくしにも限界がございますので、どなたか手伝ってくれませんか?』
エルフを見た者たちが興奮した声を上げる。
「よし、おらが手伝ってやる、いや、手伝います、エルフ様」
「わ、わしも」
エルフに恩が売れる。
喜ぶ姿に、僕は口元を歪めて笑った。




