第八十一話・村への気持ちに気付く
一旦手が空いたのを見計らって、領主館から逃亡する。
ケイトリン嬢はまだ細々とした話をしたそうだったが、そこはまた後日にしてもらう。
疲れたので昼食を兼ねてヨシローの喫茶店に入ったのだが。
「アタト様、ようこそ!」
ここでも扱いがおかしかった。
いつもヨシローがいる中二階の席に案内され、頼みもしないのに最上級のお茶とお菓子が出てくる。
「あのー、これはー」
「はいっ、皆の気持ちですっ」
いやだから、何なの。
フード姿の僕たちに従業員の女性が微笑む。
「皆、感謝してるんすよ」
いつの間にかヨシローが隣に来ている。
「うん。 あの時はもうダメかと思った」
ヨシローが大袈裟に疲れた顔をした。
田舎の町では今まで魔獣の被害は多かったが、病が広がるということはあまりなかったそうだ。
「この世界の人たちって魔力があるせいかも知れないけど、皆、結構丈夫なんだよな」
ヨシローは異世界人なので知らなかったが、この世界の生き物たちは、空気中の魔素を取り込み魔力を作る構造を有する。
ワルワさんはヨシローの体の構造にも興味があったのだろう。
なるほど。 ヨシローは保護するだけでなく、観察の対象だったのか。
「それなのに町の人たちがバタバタ倒れて。 俺もワルワさんも軽くパニックだったよ」
そんなある日に、町の外、森の向こうから大音響が響き、町を強い風が吹き抜けた。
「ワルワさんがさ、アタトくんじゃないかって言って。 俺もそうかなって思った」
数日前に僕たちが森へ入って行ったのを見ている。
「アタトくんが戻って来た後、国境警備隊から領主様に報告があったんだ」
身分証は見せたから、僕たちの出入りは領主様も知っている。
どうやら彼らは爆発の跡地を確認に行ったらしい。
「アタトくんたちが何かをしたようだとね」
そしたら、地形が少し変わっていた。
「それはー」
おかしいな。 僕たちは痕跡を綺麗に消して来たはずだ。
『あの土地は隠れるものが大岩くらいしかありませんから』
遮るものが無く、国境門から望遠鏡、もしくはそういった魔法を使えば僕たちを見ることは可能。
変に全て隠すと逆に疑われそうだし、僕たちが何かやってると知っていたから、門はすんなり通されたのかもな。
モリヒトは知っていたはずなのに何も言わなかったのか。
肝心なところは大丈夫なんだろうな。
まあ、隠す必要があったのは僕の魔法くらいだけど。
そろそろ僕は限界だ。
「ガビー。 悪いけど先に買い物に行っててくれ。 ヨシローさん、ガビーの付き添いをお願いしても?」
「お、おう」
ヨシローなら断らないのを承知でガビーの買い物に付き合わせる。
金は事前にモリヒトが皮袋をガビーに渡してあった。
店での居心地の悪さに、早めに切り上げて外に出る。
こういう時に落ち着く場所が一つだけあるので、そこへ向かう。
すぐ近くの教会に入ると、まるで待っていたかのように声を掛けられた。
「ようこそ、我が町へ」
「先日はお疲れ様でした」
教会警備隊の顔見知りの騎士たちにも、参拝に来ていた町の人たちにも、笑顔で話し掛けられる。
「えっ、はあ」
困惑しているとティモシーさんの姿が見えた。
「やあ、アタトくん」
手を上げて近付いて来る。
「すみません、ちょっと」
グイッと腕を掴んで一緒に蔵書室へと歩き出す。
「いったい、何でこんなことになってるんです?。 聞いてませんよ」
どこに行っても声を掛けられ、感謝され、微笑まれる。
いつも通りのフード付きローブ姿なのに。
教会内を早足で歩きながら訊ねる。
「あはは、アタトくんのその恰好。 もうみんな慣れたんじゃいかな」
どんなに気配を消していても、フードを深く被った子供の姿を見ると、誰でも僕だと思うそうだ。
ぐぅ、正論。
蔵書室の半地下の扉を開く。
司書さんの穏やかな笑顔が迎えてくれた。
ああ、この人も僕にお礼を言うのだろうか。
「アタトくんはいったい何を心配しているの?」
ティモシーさんの声に振り返る。
「僕は……」
違うんだ。
僕はこんな風に感謝されたかったわけじゃない。
「本当は町の人たちのことが心配で動いたわけじゃないんです」
フードを取ると特徴的な耳が露わになる。
「薬草を取りに行ったら、エルフの森でも病が流行ってるって、知り合いのエルフから聞いて」
僕が森にいると、病が流行ったのは僕のせいだって言われる。
僕が呪いをかけたんだって言われる。
だから僕は森から連れ出された。
「森から、出なくちゃいけなかった」
顔が歪む。
「森のエルフたちなんてどうでもいい。 あいつらは自分たちで何とかするだろうから。
それに僕の心の奥には、エルフの村を追い出された憎しみが、ずっとずっとー」
何かが頬を流れる。
「僕は、悔しくて、エルフの村の誰かに、これは、僕のせいじゃないって、証明しなくちゃって」
よく分からない感情が溢れる。
「それでも。 エルフらしくないエルフでも、僕はー」
自分でも何を言ってるのか、分からなくなってきた。
「アタトくん」
優しく、司書さんが僕を抱き締めた。
「君は育った村の皆を助けたかったんだね。 誰にも感謝されることはない、と分かっていても」
「ちがっ、ぼ、ぼくは、あいつらなんて」
どこか長老に似た匂いがする腕に抱かれ、僕は首を横に振り続ける。
「だから、君はこんなに町の人たちに感謝されても、欲しかった言葉を掛けられても、違うと感じてしまうんだろうね」
「うっ……ううっ」
しばらくの間、僕は泣いていた。
おそらくこれは、アタトというエルフの少年の心の奥にあった複雑な感情を、転生したジジイが理屈で抑え付けていた弊害か。
僕は、心のどこかでエルフの村の皆に、
「がんばったね」「よくやった」
と、小さなアタトを誉めてもらいたかったのかもな。
だけど森に入れないアタトには、それは叶わない。
もっと早く泣かせてやれば良かった。
町の知り合いのため、と口から出るのに胸のモヤモヤが晴れなかった。
それが思いもしない町の住民からの感謝で表に出てきてしまう。
この差は何なんだろう、という疑問と共に。




