第六十七話・魚醤の量を増やしたい
『ただいま戻りました』
「お帰り、モリヒト」
あ、拙い。
台所に、使った鍋なんかが汚れたまま重なっている。
モリヒトの機嫌が悪くなる前に早く片付けないと。
「あ、今、終わったところだから」
僕は慌てて、ガビーに食べられないように分けておいた菓子皿をモリヒトに差し出す。
眉を寄せていたモリヒトの顔が少し綻んだ。
ニャニャ
タヌ子にもお裾分け。
『薬草飴、ですか?』
モリヒトは普通の飴ではダメなのかと訊いてくる。
「町で売ってる飴とは違う物にしたいからさ」
わりと調味料が入手し易い土地なのだが、やはり砂糖はお高め。
店で売っているお菓子は手土産用だ。
『長老の所でもらった菓子類は高級店の物でしたね』
そうそう、お土産用は平民には手が出ない。
ただ、蜂蜜は養蜂が盛んなため安く出回っていた。
だから、蜂蜜飴は家庭で母親が作る定番の菓子の一つだ。
僕もワルワさんからもらったことはあるが、甘過ぎる。
やっぱり醤油味にしたい。
「醤油味のほうが薬っぽいだろ?」
薬草入りだから薬なんだけどね。
『お茶ではなく、飴にする理由は?』
「長く口の中に留めて、喉に効く薬にしたい」
この世界にノド飴というものがあるのかどうか、ワルワさんの知り合いの薬師さんに訊いてみたいところ。
『また試食が必要ですね』
「あー、そうだな」
今度また行く時までに試供品を作っておこう。
モリヒトが菓子を手にしたまま訊いてくる。
『ですが、アタト様。 これを作るには魚醤の量が少な過ぎるのでは?』
「は、そうだった!」
小瓶一つしか無い。
「むう、来年の新しい魚醤が完成してからかなあ」
僕は机に突っ伏した。
そのままの体勢でチラリとモリヒトを見る。
醤油味の水飴を掛けた菓子をゆっくりと味わって食べていた。
「本当はさ、団子とか、饅頭とか、色々作って食べたいんだよなあ」
時々、無性にこっちの世界には無いものが欲しくなる。
『それは美味しいんですか?』
「ああ。 もちろんさ。 米があれば酒なんかも作れるんだがなー」
酒と聞いてモリヒトの体がピクリと反応する。
でも「無い」んだからしょうがないねー。
トスが居なくなって、僕は塔の日常が少し寂しく感じている。
ここに居る間は墨磨もがんばってくれたし、魔力制御もモリヒトの合格が出た。
町のほうも外からの客がいなくなって静かになったので、トスはもうここに居る必要がない。
分かってはいるんだが。
やっぱり子供の熱量はすごかったなあ。
一人の存在がどれだけ大きいか分かる。
それが好ましい相手なら尚更だ。
ワルワ邸のモリヒトの分身にも、今のところ、特に変化は無し。
次の三十日までにはまだ余裕がある。
僕たちはまた釣りと狩り、そして採集の毎日に戻っていた。
ある日の夕食後、ガビーは自室に戻り、僕は文字の練習。
モリヒトはワルワ邸の自分の分身と交信中である。
『アタト様』
「んー?」
僕は手元の紙から目を離さずに空返事をする。
最近は細めのペン筆で横書きが出来るようになって楽しい。
時間は掛かるんだけどね。
『ワルワ様から薬草茶の追加注文がありました。
次回、町に来るときに多めに持って来て欲しいと』
僕は筆を置いて、顔を上げる。
「理由は?」
『たちの悪い病気が流行っているようです。
来るなら気を付けるように、と。 出来れば、アタト様は来ないほうが良いとまでおっしゃってます』
季節の変わり目だし、朝晩は冷え込むようになってきたからかな。
「分かった。 明日にでもモリヒトは薬草茶の在庫を全部持って行ってくれ。
僕はガビーを連れて、森へ追加分の薬草を採集しに行く」
『お届けは承知いたしましたが、アタト様が森に入られるのは承知いたしかねます。
森は危険ですから』
今の時期はエルフたちも森で狩猟や採集を行なっている。
冬越しの準備もあるので、かなり広範囲で動いているはずだ。
「大丈夫だよ、僕も結界魔法が上手くなってきたし」
タヌ子やトスを守るために発動していたら、いつの間にか気配を消すことも出来るようになっていた。
『いえ。 アタト様の魔法はまだまだ不完全です』
む。 まだ合格ではないらしい。
『ご自身で魔法を使われるより、もっと精霊魔法を使いこなしてください』
「えー。 今でも結構こき使ってる気がするんだが?」
モリヒトは首を横に振る。
『いえいえ、もっと頼って頂きたいです』
僕は首を傾げて眷属精霊を見る。
「それって、僕をモリヒトに依存させたいだけじゃないの?」
精霊王の差し金か?。
『そんなことはございませんよ』
と、モリヒトは涼しい顔をしている。
本当かねぇ。
今回は妥協案として、僕たちにモリヒトの分身を同行させることで合意した。
ワルワさんからのお願いは緊急ではないにしても、やはり病人がいるとなれば早いほうが良いだろう。
モリヒトは夜明け前に荷物を持って出発。
僕とガビーはいつも通りの日課をこなし、朝食を食べ、弁当代わりのおやつと干し肉を持って森に向かった。
「晴れてる日に森に入るのは初めてですねー」
「そうだっけ」
ガビーと出会ってまだ一年経っていないはずだけど、そうか、初めてか。
僕は森に近付くと防御結界を発動し、気配を遮断する。
同じように、身体にピッタリと沿う形の結界をガビーとタヌ子にも貼り付け、その上で気配を消す。
かなり高位のエルフでもない限り見つからないはずだ。
「これで大丈夫か?」
光る精霊の玉が上下に揺れる。 大丈夫らしい。
これはモリヒトの分身。
僕たちにフラフラとついて来て、何か拙いことがあれば激しく動いて僕たちの動きを阻止してくることになっている。
モリヒトはもうワルワさんに町の様子を聞いただろうか。
「なあ、何の薬が必要か訊いた?」
立ち止まって分身に話し掛ける。
ポケットから以前ネルさんからもらった長老の走り書きを書き直したメモを取り出す。
薬草の一覧である。
それを分身に見せ、どれが必要なのか、モリヒトに確認したい。
「これ?、違う?。 これは?」
一つ一つ指差して、玉の動きを見る。
「これかー」
ようやく欲しいものが決まった。




