第六百二十九話・宿への移動と旧市街
翌朝、朝練なしで移動の準備をする。
「ゼイフル司書と護衛の皆さんはここに残っても構いませんが?」
「いやあ、やっぱ街中がいいです」
警備隊の皆は首を振る。
「最初は豪華なのが嬉しくて興奮したんですけど、段々と飽きるというか、部屋を壊したり傷付けるのが怖くなってきちゃって」
やはり普通の宿が良いらしい。
朝食後、馬車を玄関に回す。
久しぶりに白馬のキランだ。
「お世話になりました」
それぞれが担当だった侍女たちに礼を言って別れの挨拶をしている。
親密になった者もいるようで、なんか甘酸っぱい雰囲気もあった。
いやまあ、僅かな日数でそこまで入れ込むのはどうかと思うが、若いっていーね。
「ではエンディ様、また来ます」
「うん。 何度でも来てくれて構わないよ」
「ヘイリンドさんにもお世話になりました」
「い、いえ、私はー」
なんかモニョモニョした受け答えだな。
僕の秘密を知ったせいか。
「ヘイリンドさん、忘れないでくださいね。 あなたの一族は我々の敵ですから」
小声で囁く。
「ヒッ」
アハハハハ。
「なーんてね。 もう亡くなっている者には手は出せませんから、忘れることにしました!」
僕は、そう言って馬車の窓から手を振った。
エンディ領の領地は狭い。
街道沿いが一番広いくらいだ。
宿はその街道沿いにある。
「こんにちは、お世話になります」
「アタト様、お待ちしておりました」
すぐに部屋に案内される。
僕の部屋はいつも通りの高級な部屋だけど、領主館より趣味は良い。
宿屋らしい部屋だ。
キランは続き部屋、ゼイフル司書と護衛さんたちも同じ階だが別々の部屋になる。
普通の部屋だと喜んでいるのは、良いってことなのかな。
基本的なことは変わらない。
ゼイフル司書に交代で護衛に着いてもらい、残りは自由行動。
宿は街の中心地にあるので、どこへ向かうにも近くて便利だ。
領主館は街から離れているし、山の中腹なので馬が必須だった。
「この街の教会に行ってみたいのですが」
「はい。 ではご一緒に」
今日はゼイフル司書に案内してもらう。
教会警備隊がいるのでキランは留守番な。
「もしエンディ様や誰か訪ねて来たら対応を頼む」
領主館にいるときは遠慮していた奴らも押しかけて来そうだからね。
「承知いたしました」
歩きで充分の距離なので、馬車もお休みである。
新市街地はドワーフ工房街くらいだ。
街中の殆どは旧市街地であり、以前の寂れた様子を知っている者としては、復旧が早いのはさすがエンディという感じ。
「そんなに酷かったのですか?」
あー、ゼイフル司書は知らないか。
「ええ。 街中に犯罪者が溢れて、旅人は素通り。 皆、怯えて暮らしていましたね」
治安を守る警備兵が不足していた。
領主は自分たちのことしか関心がなく、住民は減り続ける。
ついに領主が処分されて居なくなると無法地帯となり、近隣の領地も困っていた。
今は建物の傷は残っていても、人々の顔は明るい。
やはり誰も生まれ育った故郷を離れたくないんだろう。
それは僕が宿屋の主人に対して感じたこと。
湖の街に、住民の希望者と共に一時的に避難してもらい、そこで開業。
しっかりと利益も出たが、結局、この街に戻って来た。
やはりこの街を好きだから、かな。
「アタト様。 あそこです」
「なるほど」
小さい。
入り口から入ると、すぐに祈りの間。
広い玄関ホールの奥に石像があり、人々はそこで祈り、すぐに出て行くという感じである。
神像は他の街と変わらない。
違うのは建物だ。
ゼイフル司書に案内され、教会の神官長に面会させてもらう。
「どうしてここは他の街に比べて規模が小さいのですか?」
子供らしく訊ねる。
「坊ちゃん、それはね」
高齢の神官長は一応、ゼイフル司書の紹介ということで親切に話してくれた。
最初はちゃんと3つの棟があり、子供たちを預かる施設や見習いを教育施設もあったようだ。
「この周りにあったんです」
と、窓から周りの建物を見る。
どうやら入殖した当時から悪徳業者が横行していたらしい。
「人が少ないから不要だろうと、建物を奪われたようです」
「でもー、教会は平民の味方で貴族とは戦うのでしょう?」
僕が首を傾げていると、ゼイフル司書が答えた。
「建物を奪った者たちもまた平民だったのです」
あー、そうきたか。
自分たちの商売を広げるために、わざと弱い振りをして土地や建物を奪っていった。
すぐに他の人が住み始めたため、取り戻せなくなる。
「約束が違うと何度も抗議したらしいですが」
昔のことなので、あまり詳しくはないが、要は騙されたのか。
「建物の周りを見学してきます」
神官長に許可をもらい、ゼイフル司書と護衛を連れて外に出る。
勿論、モリヒトもいる。
「敷地ギリギリに広げるのは難しい?」
『そうですね。 地盤改良から必要になります』
あまり硬くない土地のようだ。
だから、最初から尖塔があまり高くないんだ。
確かにドワーフ工房街でさえ、地下には作れなかった。
では、どうするか。
僕はフラリと歩き出す。
潮の匂いがした。
「海が近いね」
「昔からの漁港がありますから」
鉱山と漁港の街だったが、途中で鉱床は尽きて閉山になった。
そのため、それからは漁港中心に街が広がっている。
しかし、海岸線が長い割に小さな港しかない。
古くから使われている船着場と魚醤の倉庫が並んでいる。
「最近は魚醤の注文が増えたそうで蔵を増やしたいのですが、建てる場所がありませんからね」
地面が足りない。
「なら、造ればいい」
「えっ」
ゼイフル司書と護衛の若者がポカンとし、モリヒトは「またか」というか顔をする。
僕は護衛の若者にエンディに伝言を頼む。
「分かりました、すぐに」
彼は宿に戻り、馬で領主館に行ってくれる。
僕はその間にメモを取り出して、モリヒトと意見交換だ。
「海底はどこまでいける?」
『手を出せる範囲は浅瀬だけです』
ふむ。 大地の精霊と海の精霊でも、やはり縄張りはあるか。
「まずは、街中にある教会をこの辺りに移したい」
使われていない岩壁の上。
尖塔が低くても目立つ位置だ。




