第六百二十八話・昔の話と闇魔法
そして、ヘイリンドくんの震えが頂点に達する。
「闇魔法だ!」
恐怖に怯えて叫ぶ。
「ええ、そうです。 でも、害を与えるものではありません」
僕は無害を主張した。
光でも急に明るくなれば目をやられる。
闇は夜と同じ、誰にも等しく与えられるものだ。
闇だけが悪とはいえないんだよ。
「あ、ああ」
ヘイリンドくんは頭を抱えてしまう。
中年家令はヘイリンドくんの傍に行き、そっと肩を叩いた。
「君の気持ちは分かる」
幼い頃から、危険で怖いものとして刷り込まれてきた。
それを僕が覆そうとしている。
「変化は精霊たちが得意としています」
白いエルフは自分の容姿に絶対的な自信を持っているので変化などしない。
だから、これは闇魔法というより、ダークエルフ族用の精霊魔法だろう。
ダークエルフの眷属にならなければ、精霊も人族やエルフに擬態しようと思わなかっただろうに。
「そして」
僕は立ち上がり、床の開けた場所に向かって両手の手のひらを向けた。
「神の慈悲をもって願う、この場所に通り道を作れ」
詠唱は、何度か繰り返しているうちに簡略化されていく。
2つの穴が開いた。
そして僕はキランを呼ぶ。
「キラン、こちらに」
「は、はい」
椅子から立ち上がり、穴に注意して歩いて来たキランをポンッと落とす。
「あ」
と、声が聞こえたかどうかは分からない。
すぐに隣の穴から吐き出されたからだ。
「え?」
モリヒト以外はポカンとしている。
穴を二つ開け、入口と出口を作るだけ。
「町から住民が消えたのは、これだと思います」
魔力量と魔法力の強い者が闇と闇を繋げば、かなり遠い距離でもいける。
「なんでも通れるわけではないので、荷物は諦めたのでしょう」
身の回り品や家具は、思い入れがあるものだけを持ち出せた。
「時間と場所を決め、住民の中で何人かがこの通り道を作れば、全員を送り出すのに時間は掛からないです」
エンディが立ち上がり、興味深々で穴に近付くのを中年家令が必死に止める。
「やめてください、エンディ様!」
「大丈夫だよ。 たぶん」
その足元に少しだけ穴を広げる。
「ヒッ」
そして、すぐに隣りの穴から出てきた2人。
中年家令は真っ青な顔でうずくまって呻いている。
「おー、なんも無かったなー。 あっという間だった」
エンディは呑気に笑う。
「アタト様、やり過ぎです」
キランに怒られた。 アハハハハ。
まあ、これで闇魔法が無害であることは分かってくれたと思う。
「それで教会との関係は?」
エンディが身を乗り出して訊いてくる。
モリヒトが薬草茶を淹れ直す。
僕には濃いめを、後の4人には人族用に薄めたお茶を。
「ふう」
温かく、飲み慣れた味でホッとする。
「ヘイリンドさんの先祖は自分たちが犯した罪に怯えていました」
すっかり容姿が変わってしまった男。
まるで『悪魔』のように。
そして、消えてしまった。
何の罪もない者を捕らえ、苛み続けた自分たちを恨んでいないわけがない。
「その罪から逃れるために何をしたのか。 僕には分かりません」
僕はヘイリンドくんを見る。
「他に資料はありませんか。 例えば、教会に何かを寄付したり、何度も訪れたような記録は?」
ヘイリンドくんは首を横に振る。
「いいえ。 でも、あの領主一族は教会に通うような家ではありませんでしたよ」
少し落ち着いたようで、口調が和らいだ。
高位貴族が教会を嫌うのは、平民と揉めた際、教会は必ず平民側に付くからである。
理不尽なことを言わなければいいだけなのに、貴族というのは平民を下に見ないといられない。
厄介な病気持ちだ。
「では、何に祈ったのでしょう」
「そりゃあ、神様なんじゃないか?」
エンディはモリヒトにお代わりを要求する。
「教会ではない場所で」
僕は驚いた。
そうか、そういうことか。
神に祈るのは必ずしも教会でなくてもいい。
僕だって自前の神社に参拝している。
「問題は、それがどこかってことだ」
僕は何度も頷く。
『今夜はここまでにいたしましょう』
突然、モリヒトが待ったを掛けた。
「何故だ!、もう少し」
『明日にいたしましょう』
モリヒトはガンとして譲らない。
こうなると勝てないことは知っているので、僕は引き下がる。
キランも僕の後ろに立ち、3人で礼を取った。
「エンディ様、遅くまで申し訳ありませんでした」
「いやいや、楽しかったよ。 またやろう」
は?、遊びじゃないんだが。
つい顔を歪めてしまったが、エンディは笑っていた。
実に楽しそうに。
領主用の居間を出て、僕たちは部屋に戻る。
「先ほどは失礼いたしました。 ではまた明日」
「はい、お休みなさい」
ヘイリンドくんは部屋を出て行った。
少しふらついていたけど大丈夫かな?。
『風呂の用意が出来ました』
「ん、ありがとう」
キランに脱がされ風呂場に入る。
窓から遠く街の夜景が見えた。
湯船に浸かりながら似たような場面を思い出す。
「あれは、王宮のエンデリゲン親子の部屋に泊まった時か」
王宮は街より高い位置にあり、街中のどこからでも城が見える。
逆に、王宮からも人々の姿が見える位置なのだ。
当時はまだ王子だったエンディと側妃の部屋は狭かった。
本当に王子なのかと思うくらいに。
「ここなら十分広いな」
そして王都ほどではないが、街の夜景も見える。
元側妃、いや、エンディの母上様はきっと気に入ってくれるだろう。
ぼんやりしていると、
「髪を洗いますから」
と、キランに体勢を変えられる。
「次は体を洗います」
「えー、いいよ、それは」
自分で出来るって。
僕は赤子でも王侯貴族でもないんだから。
「では、お背中だけでも」
いやに丁寧だな。
「僕の生い立ちを気にしてるのか?」
さっきの話し合いの中で、僕はこの世界に来てからの話をした。
キランが知らなかったことも多かったな。
「だけど、同情はいらん」
「……はい」
キランは頷いた。
風呂場を出て寝巻きに着替える。
モリヒトが髪を乾かせてくれてベッドに放り込まれた。
『キランもここの風呂に入ってきなさい。 今日までですから』
「え」
モリヒトは、キランを裸に剥いて風呂に追いやった。




