第六百二十話・人間の甘さは異常
仲間たちの乗った馬車は、護衛たちとバムくんに任せて先にエンディの領地へ向かわせる。
馬車の窓から少女たちとゼイフル司書の顔が、心配そうにこちらを見ていた。
ウィウィは朝が弱く、馬車の中で爆睡しているらしい。
「キラン、こっちは心配いらない。 先に行ってくれ」
僕とモリヒトは後から追いかける。
「アタト様」
分かってるよ。
キランが心配してるのは僕じゃなく、相手側だ。
モリヒトなら、下手したら闘技場だけでなく、この領地ごとキレイに更地にしちまうからな。
大丈夫だよ、そこまでやる気はない。
「承知いたしました。 先に行ってお待ちしております」
キランは、護衛の教会警備隊とバムくんに出発の合図を送った。
「こちらに来てくれ」
僕は領兵隊の隊長について行く。
闘技場のすぐ近くに、詰所のような天幕が張られていた。
簡易テーブルの周りに、雑に置かれた椅子の一つに座る。
隊長はすぐ近くに座り、世話係りらしい少年がお茶を入れたカップを運んで来た。
茶葉は悪くないが、淹れ方が拙い。
これなら僕の方が上手いぞ。
ズズズ……。
サッサと飲み干すと、先ほどの少年が嬉しそうに微笑んでいるのが目に入った。
「それで、何か御用ですか?」
隊長は薄い上に温いお茶を一気に飲み干す。
「息子から聞いたが」
隊長は筋肉眼鏡の父親である。
「闘技場を壊しに来たのであろう?」
「ええ。 ご領主様との交渉が決別となりましたので」
悪いのは僕じゃない。
今回の闘技場は、クロレンシア嬢の婚姻が決まって、何故か不機嫌なお嬢様を慰めようと思ってのことだった。
その闘技場使用料にケチ付けたヤツが悪い。
「分かっとる。 悪いのは、あの頑固爺だろ」
自分も爺だが、それなりに融通は利くと隊長は笑う。
「それでも、闘技場を壊さないでくれ、と言ったら?」
笑顔が消えた。
「そうですね。 僕としても、この闘技場を壊すのは惜しいと思っています」
だけど、仕方ないじゃないか。
領主が商談を蹴ったのだから。
僕は天幕の中から、闘技場に集まる住民たちの姿を見る。
彼らはこれから、この建物が消えるとも知らず、夏の剣術大会に想いを馳せ、笑顔で話し合う。
「去年の剣術大会の後、まあ色々あった」
隊長は目を細め、喧騒に耳を傾けている。
領主館の隣に居た中位貴族は、僕が温情を掛けて「以降、関わりを持たないこと」を大旦那に進言するに留めた。
本当なら領主殺害の大罪人。
しかし、領主である大旦那は彼らの行為を暴かないことで存続させて来たのだ。
そんなヤツらが黙っているわけがなかった。
「まあ、色々とやらかしてくれてな」
次期領主のお嬢様や、剣術大会にも難癖をつけ、自分たちも領主の候補だと言い出したのである。
さすがに公に訴えたのは拙かった。
領主に対する不敬として領兵隊に捕まり、その後、囚人として王都の貴族管理部に送られたらしい。
今では領主館の隣りは、建物自体はあるが中身は空っぽになっているそうだ。
「そうですか。 知りませんでした」
隣国に行っていた間にそんなことになっていたとは。
厄介な隣人が居なくなって、お嬢様ももう問題はない、すべてが上手くいくと信じていた。
「街の警備隊の復活。 広い領地を巡回し、人々の声を聞く領兵隊。 領内は一年前とは段違いに治安は良くなってきた」
それでも領民は皆、心に傷を抱えている者が多い。
「不安なのだ。 これからどうなるのか」
そんなことを僕に言われても、領主でもない他種族の子供である。
何も出来ないし、領主の意思に従うしかない。
「だから、せめて闘技場を残してほしいと?」
隊長は頷いた。
「脳筋爺の影響でな。 ここの領民は力の強い者に憧れる傾向が顕著だ」
闘技場は、領民の心の支えになると言う。
「使用料はワシらがなんとかする」
はあ。 もうこの人が領主になればいいんじゃないか。
「失礼いたします」
天幕に客が訪れた。
筋肉眼鏡とお嬢様である。
「お話中に申し訳ありません。 どうか、アタト様ともう一度、お話をさせてください」
お嬢様は必死だ。
気持ちは分かる。
闘技場の解体をどうしても止めたいのだろう。
「分かりました」
僕は事前に作っておいた紙を取り出す。
闘技場の存続の熱意を感じたら、出す予定だった。
「これは契約書や念書とかではなく、ただの手紙ですけど」
まずは隊長に見せる。
「これは」
「ご領主の実子、辺境伯夫人に宛てたものです」
大旦那には血の繋がった子孫は、もう彼女しかいない。
前領主だった孫はいるがアレは勘当されている。
僕のお得意、丸投げだ。
「早い話。 僕にはご領主の気持ちを変えることは出来ません」
次期領主として引き取った養女であるお嬢様にも無理なんだから、当たり前である。
「ですから、説得は夫人にお任せしようと思います」
「これが奥の手……」
筋肉眼鏡が呟く。
今朝、お嬢様と2人で部屋に来た時、僕は大旦那との交渉には期待していなかった。
だからもし決裂状態になっても、2人には決して感情的にならないように念を押していたのだ。
「奥の手は用意してある」から、と。
その手紙が隊長から息子の筋肉眼鏡に渡る。
「もうすぐ王都からの戻りで、辺境伯夫妻が領地を訪れます」
その時に今回の事情を話し、どうするのかを決めてもらいたい。
「いくら辺境伯閣下でも他領のことに口出しは出来ません」
だが、領主の実の娘なら父親に意見しても許されるだろう。
「あれは娘には弱いからな」
隊長は苦笑する。
「いいえ。 他領に嫁いだ娘だから、父親は彼女を蔑ろに出来ないんです」
前とその前の領主の件さえ隠していた大旦那は、やはり貴族であり、体面に拘る。
それは領民のためだったとはいえ、悪循環を生んでしまった。
「領内にいれば抑え付けられる相手でも、他領の、しかも武闘派で知られる辺境伯の妻です」
領地の外からの彼女の意見なら、聞く耳を持つかも知れない。
「分かりました。 必ずお伝えします」
「よろしくお願いします。 闘技場についても辺境伯夫人の決定に従いますので、それまでは現状維持です」
そこが一番、喜ばれた。




