第六百二話・夫人の気持ちと少女
「アタトくんはどう考えている?」
高位貴族と平民の間柄のため、辺境伯はいつもと違う「くん」呼びになっている。
僕としてはそのほうが気楽だ。
「そうですね。 オーブリー隊長からはこの街の見習い神官の女性を神官にするという提案をされましたが、実際には簡単に出来ることではありません」
いくら僕が指導したところで、彼女たちが真面目に修行する気があるのか、周りの神官や貴族たちが邪魔せず、協力してくれるのかが問題になる。
「僕としては、上のお嬢さんを然るべき所で見習い神官として修行させるのが早いのかなあと」
僕は前回、オーブリー隊長に、娘に見習い神官の修行をさせればいいと伝えた。
「いや、それはー」
やはりまだ子供である娘には、教会の修行は無理だと思っているのだ。
だが、そろそろ10歳になるなら早くはない。
教会本部ならヤマ神官もいるし、アリーヤさんも安心だと思うよ。
「ううむ」
しかし、隊長は娘さん可愛さに決心がつかないようだ。
考え込んでいた辺境伯夫人が顔を上げた。
「ねえ、あなた」
珍しく甘えたような声で夫である辺境伯に声を掛ける。
「お嬢さんをうちで預かりません?」
「え?」
全員が驚く。
「アタト様からの依頼で、私共が行儀見習いで預かったことにすればよろしいのよ」
そうすれば、オーブリー家は辺境伯家の後ろ盾を得られる。
この街の領主一族は公爵家派閥。
辺境伯は公爵ともさほど変わらない高位貴族であり、娘を預けるとなれば、より親密な関係になる。
「どうかしら?、アタト様」
奥様は僕のほうを見て微笑んだ。
「素晴らしいお考えだと思います」
辺境伯夫人の子供好きは有名なので、『歌姫』の娘を預かったとしても不自然ではない。
「ただ、本人の意向も確認すべきかと」
「あら、そうね」
アリーヤさんがすぐに娘を呼んできた。
「お父様、何か御用でしょうか」
幾分、緊張した顔で入ってきた長女は丁寧に言葉を選ぶ。
「あー、うん。 こちらの方がお前に、行儀見習いに来る気はないかと仰るのだが」
「私がですか?」
目をパチクリする。
「お父様は先日、私に教会に修行に行かないかと訊かれましたけど。 そんなに私は外に出なければならないのですか?」
少し口調が強い。
「いや、そうではないが。 ただ、お前もそろそろ将来のことを考える時期だと」
オーブリー隊長はオロオロし出す。
母親であるアリーヤさんは、自分のために夫が娘に頼ろうとしていることを知っているので、自分からは強く言えないでいる。
さて、どうしたものか。
はっきり言えば、高位貴族からの提案は余程のことがなければ断れない。
ガタッと音がして、辺境伯夫人が立ち上がる。
「お嬢さん。 お名前を教えて頂ける?」
「デイジーでございます、奥様」
デイジーは軽く腰を落とす礼を取った。
僕は今まで知らなかったけど良い名だ。
名付けた人は少なくとも僕より名付けのセンスはある。
奥様は、ゆっくりと彼女に近付く。
「とても良いお嬢さんだわ。 あなたは、お母様が平民出のせいで困っている姿を見たことはないかしら?」
「あ」と声を漏らし俯く。
「はい、あります」
話す声が小さくなる。
父親の実家である領主の館で、何度となく目にしたと言う。
ーーいくら『歌姫』という才能があっても、平民だからねぇーー
それは妬みや嫉妬からくる言葉だと最近になって分かってきたが、それでも母親が寂しそうな顔をするのは避けられない。
「お父様は、あなたにそんなお母様を守ってほしいとお考えなのよ」
「えっ?」
デイジーが顔を上げ、父親を見る。
父親は、少し恥ずかしそうに頭を掻いていた。
「あなたが教会で立派な神官になれば貴族からの嫌がらせから守れます。 あなたが父親の実家より高位の貴族と縁が出来れば、無理な要求は断る口実が出来ます」
「わたし……」
奥様は彼女の前で少ししゃがみ、目線を合わせる。
「あなたはアタト様をどう思いますか?」
え?、こっちに振るの。
僕はサッと姿勢を正す。
「あの年齢でご両親もいない彼は、他人のために力を惜しまず尽くしてきた。 だから私共とのご縁もでき、教会での取り引きも立派にやってらっしゃる」
デイジーの目が僕を見る。
僕は彼女より一つ年下だ。
だけど、エルフ族だったお蔭でエルフの爺ちゃんやモリヒトに会えた。
彼女とは根本的に違うと思うけどー。
ここは口を出さず、奥様に任せよう。
「私共は明日の朝まで隣の宿に泊まっております。 答えはゆっくり考えてもよろしいですよ」
そう言って立ち上がる。
「旦那様。 そろそろ失礼いたしましょう」
「あー、そうだな。 急に邪魔をしてすまなかった」
夫妻が護衛を連れて部屋を出る。
モリヒトに案内を頼み、僕は部屋に残った。
「ふう」
立ち上がり、礼を取っていたオーブリー隊長が、ガクリと椅子に座る。
アリーヤさんがお茶を淹れ直す。
デイジー嬢は僕の傍に寄ってきた。
「私、どうしたら良いかしら」
大人ではなく、同じ年頃の僕の方にきたか。
少し涙目になっている。
そうだよなあ。
今まで何の苦労もない良家のお嬢さんに、急に家を出て他家の世話になるなんて怖いだろう。
僕は彼女を連れ、そのままテラスに出て庭に降りた。
部屋の中から声は聞こえないが、僕たちの姿は見えるから親たちは安心する。
「君は先日、父親から教会の修行の話を聞いて嫌だったんだね?」
どうして外に出なければならないのか。
彼女は父親にそう言った。
「家にいたい。 少なくとも、まだ親と一緒にいたい。 そうだよね」
気持ちは分かるさ。
僕だって、彼女のような環境なら、外に出るのはまだずっと先だと思う。
「だけど人生には、絶好の機会ってあると思う」
普通なら望んでも決して得られないもの。
「僕はそれを何度か逃してきたかも知れないけど、絶対に逃したくないものは自分で掴んできた」
彼女は僕の言葉に耳を傾けている。
ごめん、生意気なこと言うけど。
「僕は君に何かあったら、きっと助けるよ」
そう言って微笑む。
心配なこと、理不尽なこと、親に言えないことは僕に知らせてくれ。




