第五百話・新設の工房の魅力
「いいですよ」
僕は食事を終え、モリヒトにお茶を頼む。
「本当ですか!」
ベッキーさんは嬉しそうに身を乗り出す。
「アタト商会を辞めたいということでしょう?」
「えっ」
モリヒトは、僕の前にお茶のカップを置き、食卓の上を片付ける。
「あの、ガビーさんのように独立した工房を」
「ええ。 勝手にやってください。 僕は別に構いません」
彼女は苛立ったように立ち上がる。
「私はアタト商会の売り上げに貢献出来ます!。 あんな田舎の工房ではなくて、王都や他の街でアタト様のために働きたいんです」
僕はお茶を啜る。
「だから!。 ああ、アタト様は子供だから分からないでしょうけど、私はもうひとりで出来るんです」
すごいな、この女。
僕を子供扱いしてくるなんて。
「出資しろ、ってことでしょ?。 新しいアタト商会の工房として、自分のベッキー工房を僕に作れと」
「ええ、まあ、そうです。 勿論、儲けは一部お支払いいたします」
僕はニコリと笑う。
「申し訳ありませんが、お断りします」
「何故ですか!、先日の売り上げを見たでしょ?。 私はガビーさんがいなくても売れる商品が作れます」
たった一回の成功で自信満々かよ。
「だから、ご自分の力で資金を調達されれば良いのではないですか」
そもそも僕は、この女性に興味がない。
ベッキーさんは何か勘違いしている。
僕はロタ氏から彼女を預かっているだけだ。
王都のドワーフ街は規模が小さい。
女性ではなかなか仕事に就けない。
辺境地の大きな地下街で修行したいと言うから、ロタ氏に頼まれて王都から連れて行ってあげた。
同じ工房で働きながら、ガビーの仕事を見せていたのも修行の参考にしてもらうためである。
彼女はなかなか良い腕をしているし、色々学んで実力がつけば、後はうちで働くか自立するかは好きにすれば良い。
と、思っていた。
「あの、あの、アタト商会から出資するから、自分の工房を持てということ?」
なんでそうなる。
「今の状態では出資は難しいですよ。 なんなら、ロタ氏にも訊いてみますか?」
ロタ氏は今、王都に滞在している。
「人族の職人の工房を系列店に加えたばかりでして」
そちらの店の設備や備品の調達に動いてもらっている。
「人族の工房を?」
「ええ、先日、契約したばかりです。 良かったら見学に行きますか?。 参考になると思いますよ」
「ぜひ!」
午後から2人のドワーフの女性を連れて工房街に行くことになった。
バムくんの馬車で工房街の近くまで行く。
馬車を預けて、僕とモリヒト、ドワーフ娘2人と護衛にバムくんで改装中の工房に向かう。
「こんにちは、改装は進んでますか」
店の前にいた職人兄に声を掛ける。
「やあ、アタトさん」
挨拶しながら中に入り、簡単に2人を紹介する。
「ロタさんは来てますか?」
「ああ、来てるよ。 下で妹と打ち合わせ中だ」
皆で地下へ移動する。
1階はごく普通の人族の工房。
元はおもちゃの工房だったが、最近では教会の御守りの一部工程を担っている。
ドワーフの工房から舐めした魔蛇の革が届く。
教会からは、辺境地の魔道具店から文字が書かれた上質紙が届く。
それを蛇革に挟み込んで腕輪や首飾りに成形するのが職人兄の仕事である。
売れているので常に仕事はあるが、原材料待ちになることが多いのは申し訳ない。
地下に降りると、試し切り用の人形、打ち合わせ用の空間、そして。
「あの結界付き扉はドワーフ街に繋がっている」
僕は隣に立つガビーに説明した。
「へえ。 それは便利ですねー」
「だろ?」と、僕がニヤリと笑うと、ガビーは嬉しそうに微笑む。
「おや、話し声がすると思ったら。 ガビー、来てたのか」
鉄壁の扉からロタ氏が顔を出す。
「はい!、ロタさん」
ロタ氏の顔も崩れる。
「お前の鍛治室だ。 中を見るか?」
「お願いします!」
皆で中に入った。
中に入ると職人妹と、ちょこまか動き回るドワーフの少年の姿が見える。
「こんにちは、アタト様。 ガビーさん、戻ったんですね」
「はい!、またお世話になります」
女同士でキャッキャッと喜ぶ横で、僕はドワーフの少年を捕まえる。
「やあ、クン」
「どうも、お邪魔してます」
ロタ氏の弟子で行商人見習いのドクンこと、クンである。
「早いな。 もう炉が入ったのか」
「はい。 いつでも作業が始められるようにがんばりました。 ガビーねえさんのためですからね!」
クンはドワーフの少年としては珍しく、鍛治より戦闘が得意である。
ちょっと脳筋ぽいところがある少年だ。
その面でもクンは、戦闘も強いガビーを姉のように慕っていた。
「ガビー、どっか不都合がないか見てくれ」
「はい!」
ガビーはロタ氏とクンに説明を受けながら、部屋の設備を確認していく。
僕は妹さんに証明器具や洗い場、御手洗い等の魔道具の一覧表を見せてもらう。
うわあ、かなりの額だな。
「地下街への通路に関しては、ドワーフの顔役さんが負担してくださるそうです」
へえ。
「それは助かります」
僕はベッキーさんを連れて鍛治室をでる。
「どうですか、新しいガビー工房は」
打ち合わせ用のテーブル席に座ると、モリヒトがお茶を淹れてくれた。
ここには今、僕と彼女とモリヒトだけだ。
ベッキーさんは軽くため息を吐く。
「ガビーさんが羨ましいです」
彼女はモリヒトが置いたカップのお茶をグイッと飲み干す。
その様子は、朝食の時の自信満々の彼女ではなかった。
「本当は分かってたんです。 ガビーさんには皆を惹きつける魅力というか、人気があります」
職人としての腕は勿論のこと、戦闘能力さえも、普通の男性ドワーフに引けを取らない。
辺境地の工房でも、皆、ガビーを頼りにしていている。
しかし、工房の皆はあまりにもガビーに頼り過ぎて、自分で何かを創り出そうとしない。
彼女はそれに苛立っていたと言う。
「私ではダメなんですね」
勝手に自分の作品を売り込みに行ったことは、結果として商会の利益にはなったが、組織を蔑ろにしたことに代わりはない。
僕は、彼女の腕とその行動力があれば、ひとりでやっていけると思っている。




