第四百九十七話・騎士の卵と見習い神官
「アタトさん、お世話になりました」
僕は目をパチパチさせて、目の前のニーロくんを見る。
12歳の少年は、いつの間にかしっかりとした顔付きになり、今日、別棟の部屋を出て行く。
「騎士への第一歩ですね」
「へへっ」と、照れ笑いはまだ幼い。
「ではまた」
手を振って別れる。
……領兵の宿舎に移動するだけだが。
ニーロは来月から騎士養成学校に行く。
寮生活になるため、基本的なことを学ばせる目的で、まずは兵舎で集団生活を体験することになったのである。
僕は、羨ましそうにニーロを見ているサンテに声を掛けた。
「サンテも一緒に騎士学校に行くか?」
貴族の推薦と魔力、そして本人のやる気さえあれば入学出来るらしい。
サンテは首を横に振る。
「ううん。 僕はアタト商会で働きながら勉強して、神官になる」
神職につくには教会に入るのが一番早い。
しかし、サンテが教会に入るには、有り余る魔力の安定が必要なのと、出身地である大国の問題があった。
成人までは僕が身元引受人というか、保護者だ。
「そか」
そして、その日から書道の生徒はイブさんとサンテの2人になった。
と、思ったら。
「申し訳ありません、アタト様」
イブさんが教会から女性の神官見習いを連れて来た。
エルフのソフィさんの世話係りをしている女性である。
「どうしました?」
子供たちや見習い神官への指導のほうは特に問題ないと聞いていたが。
「は、はい、あの、私。 どうしても早く神官になりたくて」
僕に特別指導を頼んで来たのである。
教会の中庭にある聖域。
見習いの女性は、エルフの巫女ソフィさんの指名により世話係りをしている。
先日、教会にて王族が御神託の確認に来る行事があった。
その時は案内役のひとりとして、当日限定で見習いから神官に格上げして対応していた。
しかし、実際にはまだ見習いである。
「見習いでは専属になれなくて」
修行中の見習い神官には様々な仕事がある。
そのため世話が行き届かず、ソフィさんに申し訳ないと言う。
とりあえず、落ち着け。
僕の部屋の客用ソファに座ってもらい、モリヒトがお茶を出す。
イブさんが隣に寄り添い、アダムが椅子の後ろに立っている。
「私はちゃんとお世話したいんです」
彼女は、やはり見習いということで色々と制限されてしまっているそうだ。
「神官と認められていないので、修行が優先されるのは分かりますが」
神官の条件というか、見習いから昇格するには信仰、魔力、民からの信頼などを、教会の上層部が認めるかどうかにある。
神官昇格には試験などの合否を判定するような、明確な基準がない。
「ふむ。 それって」
そろそろ落ち着いたかな。
「あなたを特別扱いしろ、ということですか」
今でも十分、特別扱いされているよね。
「えっ、そうではなくて。 ただ私は巫女様の世話係りとして」
たった1日でも神官になれた。
特に不都合はなく、自分はこのままやっていけると感じたのだろう。
「他の見習いとは違う、と言いたいんでしょう?」
僕がそう言うと女性は俯いて黙り込んだ。
教師役をしていた神官たちも同じだが、一度その地位に着くと落ちるのは怖い。
収入が減っても生活水準を下げられないのと同じ。
「そんなに神官って役職は良いものですかね」
僕はフッと息を吐き、イブさんを見る。
「責任はかなり重くなりますが、確かに周りの目は変わりますね」
イブさんは苦笑する。
住民からの信頼が厚い高位神官は、王族とも対等な立場なのだ。
「で、でも、イブリィー神官もまだ光魔法は習得されていませんよね」
ほお、そこを突っ込むか。
「イブリィーさんが神官になったのは、精霊様に気に入られたからだって」
「そうですよ」
間違いない。
イブさんは精霊に気に入られて、人間との仲介役になった。
精霊は古来より気紛れで恐ろしいもの。
湖の街の教会では精霊の怒りを恐れて、彼女を神官に昇格させ、責任者にしたのである。
「では、眷属精霊を持つエルフ様に指名された私も!」
まるで僕に食ってかかるように身を乗り出す。
気持ちは分かる。
巫女の役に立ちたいという気持ちも本物だろう。
だが、今の彼女に必要なのかね。
「それって要するに、あなたは特別だということでしょうか?」
神官長もヤマ神官も、彼女が誰よりもがんばっていることは知っているし、何より巫女にとって必要な人材だ。
だから経験させた。
それが裏目に出てしまったけどな。
「そう、かも、知れません」
女性はポロポロと涙を零し始める。
「僕が指導しているのは、魔力が増えるかも知れない集中方法です」
それを神官になるための条件である光魔法の習得に使う。
既に使える者は、より多くの魔力を消費する魔法が使えるようになる。
光魔法は回復と浄化が基本だが、他に毒消しや洗浄など使える魔法が増えていく。
「たとえ今、あなたを無理に神官にしても、苦しむのはあなた自身ですよ」
光魔法が使えない神官は民からの信頼を得られない。
だから今は修行が必要なんだ。
「すみません、私」
神官見習いの女性は涙を拭い、顔を上げた。
「焦ってしまいました」
指導する僕が王都にいるのは冬の間だけ。
早く神官になるために、もっと指導してほしい。
「でも間違っていました。 こんな私では巫女様に相応しくありません」
僕はお茶のカップを手に取り、謝罪の礼を取る女性を見る。
「先ほどのお願いは取り下げます」
彼女は頭を下げたままだ。
「ふうん。 じゃ、巫女の世話係りはどうするの?」
「それは辞退した方がよろしければー」
僕はお茶を飲んで一息吐いた。
「それは僕が決めることではないな」
元々、指名したのはソフィだからね。
ガチャリとカップをテーブルに戻し、足を組む。
「アダム」
教会関係を任せている眷属精霊の名を呼ぶ。
『はい、アタト様。 この女性の魂は穢れておりません。 巫女様の世話係りは継続で問題ございません』
「だそうです」
「あ、ああ」
止まっていた涙が再び溢れ出す。
「修行時間を増やします」
僕は彼女に、イブさんと一緒にこの館から教会に通うように伝えた。




