第四十四話・魔獣の躾は大事
「分かりました」
僕はティモシーさんにニコリと笑い掛ける。
「しばらく町に近寄らないようにしますね」
僕たちさえいなければ町の儀式は平和に行えるだろう。
誰も僕たちの住処を知らないし、探したところでモリヒトの結界で隠してしまえば見つからない。
ティモシーさんは悔しそうな顔をする。
「すまない。 君たちには何の落ち度もないのに、まるで犯罪者のように逃げ隠れしなければならないなんて」
「そんなこと気にしてませんよ」
僕は元々エルフの村から追い出された、いわば犯罪者みたいなもんだ。
いや、認めるのは悔しいし、嫌だけど。
「僕がこちらに来られない間の対応を考えましょうか」
何事も前向きに。
馬車が到着し、それに乗って僕たちはワルワ邸へと帰った。
儀式の日が近いということで、おそらく次の三十日目は来られない。
こちらが必要な物、ワルワさんが欲しい物などを書き出し、お互いに交換する。
「魔獣の素材や干し魚はモリヒトに頼んで届けてもらうことは出来ますね」
真夜中に姿を消したモリヒトが箱だけを庭に届けておけばいい。
「お借りしている本を別包にして一緒に届けるので、蔵書室へはティモシーさんにお願いします」
今日も寄るつもりだったけど色々あって行けなかったのでお願いした。
「ああ、了解した」
「ふむふむ。 ではワシは売上代金で紙や魔道具を買って箱に入れておくわい。
他に必要なものがあれば何かに書いて入れておくれ」
「はい。 ありがとうございます」
その場で金銭のやり取りが出来ないので決済は周回遅れになるけど、もう僕たちの間には信頼関係があるから問題ない。
ガビーも風呂の構造を調べさせてもらったようで満足気だ。
そして僕たちは見送りの人たちに手を振り、夜の森に静かに足を向けた。
ふう、今回は町で色々あって疲れたな。
塔に戻って来て、荷物を整理していたガビーが上機嫌で僕に本を渡してくれる。
「司書のお爺さんが選んでくれた本だそうです。 私にもあるんですよー」
と数冊の小説本を見せてきた。
「そか、良かったな」
その本が出発前に追加で届いたのは、僕たちがしばらく町に来られないと聞いたからだろうな。
司書さん、ありがとう。
僕は今回、紙と共に丸筆の予備と、普通の文字を書くペンも頼んでおいた。
次回に届く予定だったが、それも夕方までに届いたのは驚いたよ。
魔道具店の店主、モリヒトをかなり警戒してるな。
『単にアタト様に対するお礼でしょう』
絵の具の成分分析の結果はまだ出ていないが、ワルワさんに言わせると「魔獣的要素は無い」そうだ。
「それは良かったな」
僕は自分が間違っていなかったことに安心したんだけど、何やらモリヒトが僕を見て微笑んでいる。
『アタト様はお優しいですね』
だから、何がだ。
漁師たちの件もティモシーさんが様子を見てくれるだろう。
干し魚の件にしても釣り方を覚えたから、次からはそんなに急かされなくなると思う。
僕たちにしても魚以外のことに時間をかけられるのは嬉しい。
「薬草茶の件もあるし、しばらくは皆も忙しいな」
ワルワさんもティモシーさんも薬草茶の影響を調べることに協力してもらうことになっている。
かなり薄めた状態から始めてもらうようにお願いしたから大丈夫だとは思うけど、被害が出ないことを祈る。
『そんなにエルフ族と人族の魔力は違うものでしょうか』
えー、モリヒト。 そういうことって精霊のほうが詳しいんじゃないの?。
『いいえ、我々はあまり人族とは接触いたしませんので』
そうだったのか。
「じゃあ、今回はよい機会になるかもな」
精霊だって人間のことを知りたいんじゃないのかね。
モリヒトはしばらく考え込んでいる。
『そうですねえ。 エルフほど心も容姿も美しい人間がいれば、ですが』
あくまでも基本は美しいことなんだね。
だけどー、エルフが心は美しいってのは誤認甚だしいぞ。
僕は、こそっとモリヒトを睨んでおいた。
最近、タヌ子は少し落ち着かない様子を見せている。
「どうした?」
ギュギューー
いつもと違う鳴き声。
『魔獣ですからね、そろそろ発情期なのでは?』
は?、あの小さな毛玉だったタヌ子が大人になってしまったのか。
どうしてやればいいのか。
僕はオロオロとしてしまう。
『アタト様が過保護なので、タヌ子はこれから魔獣らしい躾をいたしませんと』
ほえっ、僕のせいなの?。
「じゃ、じゃあ、しっかり躾するよ。 とりあえず、タヌ子、お手!」
キュ?
あ、モリヒトの目が冷たい……。
間違ったぽいな。
こんな時は無心になれる書道をやることにした。
「アタト様、今回はお手紙ですか?」
ガビーが僕が広げたノートを不思議そうに見ている。
僕の書道は、紙一枚に文字一つか、二つ程度。 文字を上から下へと書く。
僕が今、書いているのは借りている本の丸写しの横書きだ。
筆を使うとガビーが興奮してしまうので、休憩時間の書道はペンにしている。
「今までと変わらないよ。 字体を変えただけ」
ずっと筆で書いていたが、やっぱり横に流れる文字はペンが書きやすい。
筆で一文字ずつ書いているうちに文字の書き方が分かるようになったし、本の丸写しでだいたいの文章も読めるようになってきた。
「美しい文章にはそれなりに美しい文字が似合うと思うんだよな」
この世界は所々に『異世界人』の知恵が入り込んでいる。
インクのタンク部分に一定量しか出ないよう工夫された魔道具を使用した万年筆は存在していた。
「うん、この筆ペンは良い」
その万年筆のペン先を筆のように固い毛にしてもらった。
「ガビーのお蔭だ」
「えへへっ」
可愛いなガビーは。
『アタト様、お茶が入りました。 休憩にいたしましょう』
「うん、ありがと」
休憩っていうか、もう夜も遅いから今日はここまでかな。
「おい、ガビー、何してる?」
「はっ、いえ、あの。 アタト様の字がとっても綺麗だから親父にも見せたいなーっと」
黙って持ち出そうとしやがったな。
「モリヒト」
『はい、アタト様』
ボッと紙が燃える。
「ええ、もったいなあい」
ガビー、煩い。




