第四百八話・別れの挨拶をする
ティファニー王女が傷心とは知らなかった。
他国の事情など僕が知る由もないが、少し同情するな。
『ご自分から婚約解消を申し出たそうで。 今回の親善大使は国内に居づらいため、ということのようです』
モリヒト、それ、盗み聞きしてきたね?。
まあ、事情が分かるのは助かるが。
僕は翌朝、いつものように早めに起きた。
「モリヒト」
『はい』
王女たちの出発の時間を確認して来てくれと頼む。
おそらく魔道具による空間移動だから一瞬でいなくなるし。
関わった者として、それはちょっと寂しい。
せめて挨拶くらいしたいと思う。
モリヒトが頷いて姿を消すと、僕はヨシローを起こしにかかった。
「ヨシローさん。 僕たちは領主館に行きますから起きてください!」
「うー、ムニャムニャ」
ほんっとにヨシローは朝が弱い。
「いいから、起きろっ!」
ガンッ
少し手荒いが頭に一発入れる。
「え、痛っ、なに?」
子供のゲンコツなんてそんなに痛くないでしょ。
「すみません、エンディ様からの呼び出しなので宿を出ますよ。 サッサと用意してください」
嘘だがな。
キランに馬車の準備を頼み、宿の従業員には軽い朝食を部屋に運んで欲しいと声を掛けた。
僕は部屋に戻ると引き続きヨシローの世話を焼く。
「ほら、目を覚まして、ピシッとして」
はあ、手が掛かる。
「そんなんじゃ、ケイトリン嬢にいつか捨てられるぞー」
低い声で囁く。
「ひえっ、そ、それは困るっ」
慌ててバタバタと動き出した。
モリヒトが戻り、僕たちは簡単な朝食を取る。
予定に変更はなさそうだが、王族の食事の時間がどれだけ掛かるかは分からない。
甘めのコーヒーを飲み干すと、僕は立ち上がって上着を羽織った。
「ヨシローさん、僕とモリヒトは先に行きます。 後でキランの馬車で来てください」
向こうの状況は分からないので早めに出ることにした。
「ゔ?」
パンを口に突っ込んだまま、ヨシローは僕を見る。
「ぼっ、ぶあぁた」
何言ってるか分からん。
部屋に戻って来たキランと打ち合わせ。
一行がいなくなれば、もう用は無い。
僕たちは辺境地に戻る予定だ。
キランに後を頼んで、モリヒトと領主館の玄関へ飛ぶ。
「おはようございます」
「おはようございます、ようこそ、アタト様」
守衛からの連絡で中年家令が飛んで来る。
「御一行の出発に際し、お見送りをさせて頂こうと思いまして」
僕は挨拶用の簡単な礼を取る。
ついでにエンディにも帰る挨拶もしなきゃな。
「さようでございましたか。 では、準備が整いますまで、こちらの部屋でお待ち下さい」
来客用の部屋に通された。
彼女たちはまだ食事中らしい。
間に合って良かった。
「おはよう、アタトくん。 ヨシローは置いて来たのか?」
お茶を頂いていたらティモシーさんが入って来た。
「おはようございます。 ええ、寝てたので」
「まったく、アイツは」
ティモシーさんは、僕よりヨシローとの付き合いは長い。
苦笑しながら向かいの椅子に座った。
昨日、あれからヨシローにドワーフ工房街を案内したことを話す。
辺境の町に戻ったら報告するのはティモシーさんだろうしな。
「ありがとう。 急にいなくなって焦ったけど、助かったよ」
ヨシローと2人で来たのに、着いた途端に相棒が消えたからね。
「すみませんでした。 ちょうど目の前にいたので」
タイミングが良過ぎて、こっちも焦ったよ。
とにかく、何も知らない状態でバッタリ出会うという状況は免れた。
何が起こるか予想できないのは怖い。
「ティモシーさんはお会いになったんですよね?」
王女とは顔見知りだと聞いた。
「ああ、うん。 まあ、身分が違うからね。 以前王都で会った時も挨拶くらいだよ」
覚えていないだろうと思っていたらしいが。
◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇
「ティファニー王女殿下、お久しぶりでございます」
「まあ、まあ、あの時の騎士様!。 ああ、失礼いたしました。 わたくし、エンデリゲン様から色々とお話は伺っておりましたわ」
「は、さようでしたか。 覚えていて頂けたとは恐縮でございます。 ティモシーとお呼びください」
「ふふふ、エンデリゲン様といい、騎士様といい。 本当にあの頃に戻ったようで懐かしいですわ」
「そんな。 昔を懐かしむような年齢でもないでしょう?」
「いえ、わたくし、実は先日、父王が決めた婚約を自ら破棄したのです」
「姫様!、それは」
「いいの。 自国に戻れば、わたくしはもう外に出ることはありません。 父王の怒りに触れたお蔭で、反国王派から目をつけられていますから」
「そんな」
「でも、『異世界の知識』は諦めずに研究は続けるつもりです」
「あ、ああ。 『異世界の記憶を持つ者』の保護に力を入れていらっしゃるとか」
「はい!、騎士様もお知り合いにいらっしゃいましたら、是非お力にならせてくださいな」
「はあ。 もしも困るようなことがあれば、その時はご相談させて頂きます」
「ウフフ、お待ちしておりますわ」
◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇
エンディの領主館の庭。
「大変お世話になりました」
「感謝いたします」
護衛の父娘に頭を下げられた。
「いえ。 お役に立てて嬉しいです」
ニコリと笑って礼に応じる。
そして自分から姫に近寄って、正式な礼を取った。
「ティファニー王女殿下。 お会い出来て大変光栄でございました。 数々の失礼、お許しください」
「失礼なのはこちらです。 迷惑をかけてしまいました。 でも、エルフ殿に巡り会えて良かった。 このことは、生涯忘れません」
僕たちは笑顔で挨拶を交わす。
一行は王都までの距離何ヶ所かに空間移転の協力者を配置し、丸一日をかけて移動する。
精霊のモリヒトなら一回で済む移動も、人族では距離も送る人数も魔力が足りない。
「お気を付けて」
「ありがとうございます、エンディさま」
「どうかご健勝で……」
ティモシーさんが最後の挨拶を終えた時、ガラガラと白馬の馬車がやって来て停る。
「あ、すみません!、間違えちゃって」
呆然とする人々の中にヨシローが降り立つ。
「あの方は?」
姫が驚いている間に移転が発動した。




