第三十七話・長老の知人が来た
僕とモリヒトはブラブラと森を歩きながら、とりとめのない会話をしていた。
そのせいで大事なことに気付くのが遅れた。
『アタト様!』
モリヒトが鋭く声を上げた時には、僕の目の前に一人の女性がいた。
「うわっ!」
エルフだった。
モリヒトが咄嗟に僕を庇って前に出る。
「うふふ、あはは、そんなに警戒しなくていいよ」
金色の長い髪、白い肌、鮮やかな緑の瞳としなやかな身体。
三十代前半のようだが、エルフの年齢は見た目では分からない。
おそらく、この女性エルフは眷属精霊への対処の仕方も知っていたのだろう。
……精霊魔法士、あの長老と同じ匂いがする。
僕の気配察知はまだ完璧ではないにしろ、こんなに接近されるまで気付かないはずはない。
だけど、相手がエルフで、しかも僕なんかよりずっと魔力の操作に長けている場合は諦めるしかなかった。
だが、モリヒトの警戒まですり抜けるとは只者ではない。
「あたしはネル。 アンタの身内に頼まれて様子を見に来たんだ」
ニカッと笑う女性はエルフらしい傲慢さがない。
何だか拍子抜けした。
「あー、その顔。 あたしのこと、本当に忘れちゃったんだ」
え?、僕の知り合いなのか。
「アンタ、小さい頃から、あんまりかわいくなかったもんねぇ」
『ネル様、申し訳ございませんが、お話しなら我々の住処まで来て頂いて』
モリヒトが丁寧に頭を下げて懇願する。
「いや、移動させてまでアンタたちの邪魔をする気はないんだ。 ただ、なんか困ってるんじゃないかって思ってさ」
思いがけず、この女性は僕たちを助けるために姿を見せたそうである。
僕たち三人は、近くの大木の根元に座った。
邪魔が入らないようにモリヒトが結界を張る。
「あの、僕の身内に頼まれたってことは、長老のお知り合いですか?」
ネルと名乗った女性エルフは「そうだ」と頷く。
おそらく、村の長老の家に来ていた客の一人ではないかと思う。
僕のことを知っているなら、村から追い出されたことも承知しているのだろう。
「長老は、その、お元気ですか?」
ちょっと今は顔を上げられない。
僕は黙って村を出てしまい、申し訳なくて長老に合わせる顔がなかった。
「ああ。 ずいぶんとアンタのことを心配していたよ。
まあ、優秀な眷属精霊がついてるから、急いで探す必要はないと言われたがな」
もしかしたら、長老自身が長期不在のついでに僕を試そうとしていたのかも知れない。
そうか。 やはり、この女性も精霊魔法士だ。
姿は見えないが何処かに眷属精霊がいるなら、モリヒトを欺けたのも納得である。
長老自身は、まだ村には戻っていないそうだ。
僕の噂を聞いてネルさんに依頼したらしいけど、いったい何処で何をしているのやら。
ネルさんも詳しいことは知らないらしい。
だけど、僕がエルフの森を歩き回るのは危険だということは分かっていた。
村を追放されたエルフは「はぐれエルフ」と呼ばれ、罪人扱いである。
村単位、集団で生活するエルフは、村の意向に逆らうだけで追い出され、その後は殆どが一人で生きて行く。
人族や他の妖精族の町で生活する者もいるが、一度「はぐれ」になるとエルフの村には戻れない。
それほどエルフの結束は固く、それから外れることは本人にかなり問題がある、ということになる。
僕の場合は、まだ子供だから受け入れてくれる所はあるかも知れないが、それでも僕の村に知られると、また有る事無い事吹き込んで追い出しに掛かるかも知れない。
そうしたら、もう森には入れなくなるだろう。
それは良い。 僕もエルフとはいえ、森に住む必要は感じないし。
だけど、長老に恩を返すまでは森との縁は切りたくなかった。
「それで、アンタらは森の中で何をしていたんだ?」
「あー、えっと、実は長老の薬草茶が飲みたくて、自分で色々作ってみてるんですが」
美味しくない、というか、あの味を再現出来ないと話す。
ネルさんはフムと考え込む。
「そりゃあ、全く同じものは無理だろうな」
長老の薬草茶は長い付き合いのエルフでも無理だと言う。
「私もアレが楽しみで通っていたくらいだ」
「そうなんですか」
初めて知った。
「長老の眷属精霊、覚えているか?」
「はい。 妖精のような小さいやつですよね」
「そうそう」と頷き、ネルさんは話を続ける。
「あのチビ眷属が味に関係あるんだよ。 あれは癒しの力を持つ泉の精霊だ。
お茶の工程の最後に、薬草の効果を高める魔法を掛けていたんだよ」
そうして、ネルさんから一枚の紙を渡された。
それは薬草茶の作り方だった。
僕は目を見開いて、そのメモを読む。
『なるほど。 従来通りに作っても長老の味にはならないが、最後に魔法を掛ければ良い、ということは分かりました』
モリヒトが納得したなら、完成したも同然だ。
魔法に関してもすぐに調べてくれるだろう。
簡単な走り書きのため、僕の知らない植物名や、パッパッとかドパーンとか擬音が多い。
そうそう、長老ってばそういう感覚的な表現をするんだよ。
なんだか懐かしい。
「元気そうで良かった」
どうも年寄りは涙脆くていかん。
僕が涙ぐんでいるのを見て、ネルさんは少し困った顔になる。
「あっちは心配しなくても簡単にくたばったりしないよ。
それより、村を出たアンタがお茶を飲めなくて寂しい思いをしてるんじゃないかって。
いつか会うことがあったら、その紙を渡してやってくれって頼まれたんだ」
変なヤツだと笑う。
「はい。 ありがとうございます。 元気でやってますと伝えてください」
ネルさんは頷く。
「分かった。 とはいえ、あいつは何処にいるか分かんねーから、向こうから連絡があったら言っとくよ」
それじゃ、とネルさんはフッと姿を消した。
「不思議な女性だったな」
モリヒトはしばらく黙って目を閉じていた。
僕が首を傾げていたら、ふいに目を開く。
『あの方は、違う村の精霊魔法士様で長老様のご友人でいらっしゃる方ですね』
え?、それくらい僕でも分かるよ。
『眷属精霊は、わたくしと相性が悪い風の精霊です』
あー、それで姿を見せなかったのか。




