第三百四十六話・印章のお披露目と試作品
僕が住んでいた塔は、今では全体がガビーの工房になっている。
鍛冶室に、倉庫に、泊まる部屋や休憩室。
いつの間にか、護衛の若者もひとり増えたという。
彼らにとって釣りは娯楽で、時折襲撃して来る魔魚や魔獣さえちょうど良い稼ぎになる。
干し魚や燻製もガビーの指導で工房の稼ぎになっていた。
僕としては、いつエルフの村から誰かが尋ねて来るか分からない。
その時に僕がどこにいるか、知らない者が多くなるのは悪くないと思う。
でもガビーはダメだ。
「ええっ、何故ですか!」
「お前の工房なんだから傍でしっかり監督しろよ」
こちらには時々来ても良いから。
「じゃ、私の部屋もこちらに移します!」
スーが別荘に拠点を移したと聞いて、ガビーまでが休みの日はこちらに来て泊まるんだと宣言した。
「バカヤロウ。 ガビーの名前が付いた工房だぞ。 お前がいなくてどうするんだ」
「ちゃんと顔は出します」
それは当たり前だっちゅうの!。
この別荘のガビーの部屋は、鍛治室とまではいかないが、作業が出来る程度の広さはある。
トスも「塔より近いから」と毎日のように通って来ていた。
サンテがいるから遊びに来ているのか、魔力の修行なのか分からんが。
結局のところ、身近な者たち多数から押し切られる形で決まった印は、ドワーフの鍛治組合へ届け出が完了した。
「で、これが焼印で、こっちは紙とかに付ける型です」
3日ほどドワーフ街に行って戻って来たガビーは、これから使うことになる道具を見せてくれた。
大小ある鋼鉄製の焼きコテは、銅板や金属製の食器や武具などに印を付けるものだ。
紙や布など、熱によるコテが使えない場合は木型にインクを付ける。
僕の元の世界の知識でいうハンコだ。
片手に収まるくらいの球体を半分に切った半円形。
その切り口にスーの図案が彫られている。
もちろん、創ったのはガビーだ。
元の図案よりくっきりとした、装飾まで入った代物になった。
このハンコは特殊な魔法インクを使う。
水に濡れても落ちたり、滲んだりしないように。
魔道具店で買うことは出来るがかなりお高いらしい。
しかしガビーは作り方を知っていた。
「こちらのインクは私が作ると魔力が足りません。 なので、アタト様、お願いします!」
はあ、なんだって?。
魔法インクを作らされる羽目になった。
「これを魔力で固定すれば良いのか?」
「はい!」
何故か食堂に全員が集まっている。
そんな状態で、その真ん中で。
これはたんに晒し者にされてないか、僕。
原液っぽいものが入った灰色の壺がある。
大きさは一升瓶をずんぐりむっくりにした程度で魔力は感じない。
「中身を見せろ」
僕が命じるとガビーが壺を持ち上げる。
持ち手が付いているので、容易に傾けて深めの皿にあけた。
モリヒトが『特に問題は無い』というので信用するしかないか。
魔力を込めろというので、皿に触れて集中する。
なんだ、コレ。
触るだけで魔力が吸われていく感覚。
サラサラの液体だったものが多少粘り気が出た気がした。
これが魔法インクなのか?。
「ありがとうございます。 これをこうしてー」
ガビーは片手大の半円球体の平面を押し付ける。
「ハナちゃん、アレ持って来て」
「はあい」
ハナがパタパタと走って持って来たのは、先日あげた『花』の紙だ。
おい!、額に入ってるじゃねえか。
後で説教だぞ、ガビー。
サンテが手伝って額から外し、トスが厚紙の下敷きの上に乗せた。
そして、ハンコを紙の隅に押し付ける。
「どうですか?」
紙に浮かぶ装飾された円形の中に、白い短髪に褐色のエルフの顔。
耳飾りが強調されている。
簡略化された図とはいえ、なんか小っ恥ずかしい。
まあ、いいか。
僕はため息を吐きながら頷く。
「ガビー、色は何でもいいんだよな?」
「はい。 今ならまだ変えられます!。 やっぱり黒にしましょうか。 私としては金色とか、銀にしても良いと思います」
滔々(とうとう)と話してるところ悪いけど。
「無色で頼む」
「は?」
「色を抜いてくれ。 つまり、紙に凹凸で表現する。
出来るか?」
半円球のハンコの片割れに同じように彫り、ピッタリと凹凸を合わせる。
それをホッチキスのように挟むと紙に凹凸で印が浮かぶ。
浮き出し加工だっけ。
元の世界ではエンボス加工って言ってたな。
「難しい場合は上から押し付けて引っ込ませるだけでも良い」
少し耐久は落ちそうだけど、これなら簡単に出来るだろう。
この世界のハンコを魔道具化すれば良いんだから、有っても不思議じゃないと思う。
「は、はい、出来ます!。 やります、やらせてください」
これならインク要らないし、僕が楽になる。
「クーッ。 これだからアタト様のそばから離れられないんです!」
何か不穏な言葉を発しながらガビーが作業場に向かい、それをスーが追いかけて行った。
一同がポカンとしていると、
「そうだ、忘れないうちに」
と、老夫婦が何かを取り出す。
「ガビーさんが作ってくれたんじゃが」
しっかりとした板の看板のようだ。
縁取りが、美しい絵画用の額縁のようになっている。
その四角い色紙大の板にはスーの図案の焼印が押されていた。
「店が完成するまでこの館に飾りたいが、よろしいかな?」
老夫婦が出店予定の飲食店は現在、改装中だ。
その看板だけがあっても仕方ない。
「飾るのは構いません」
色々あって、改装が遅れていて申し訳ないので許可する。
夫婦は嬉しそうにどこかへ飾りに行った。
それをキランに手伝うように頼んだ。
トスが色々な大きさの焼きコテやハンコを見せてくれる。
こんなに試作品を作ってたのか。
「売り物、全部に付けるんだよね?」
まずはガビーの工房で扱っている量産型銅板栞。
柄の邪魔にならないような隅っこに丸い印が入っている。
うん、これなら良いか。
「この布はなんだ?」
さっそく、白い布にさっきの魔法インクを押している。
「ああ、これ、爺ちゃんの干し魚の店の旗にしようかと」
販売している干し魚や燻製に印は付けられない。
だから目印の旗を店の屋根に掲げることにしたらしい。




