第三百四十三話・老夫婦の新しい夢
老夫妻は顔を見合わせ、頷いた。
「アタト様、わしらはとっくに気付いておりましたよ」
えっ。
僕が『異世界の記憶を持つ者』だとバレた?。
「アタト様は、あの『ライス』がとてもお気に召したようでしたからねぇ」
ドキドキ。 老婦人はニコニコしながら僕を見ている。
「私たちも店をやるなら普通とは違う店にしたいと考えておりました」
違う、バレたわけじゃない。
大丈夫だ、落ち着け。
「辺境伯様はわしらにアタト様について行けと仰った。 その意味が良く分かりましたよ。 旅の間、わしらは様々な新しい味、料理、食材に巡り合わせて頂いた」
老兵もまるで孫を見る祖父のように目を細める。
ここで辺境伯が出て来るとは思わなかった。
「えーっと、では、あの」
「わしらで出来ることなら何でも手伝わせて頂きますよ、アタト様」
「あ、ありがとうございます」
僕は胸が詰まる思いがした。
正直に言うと、僕はこの老夫婦には辺境地の領主家で働いてもらうのが一番良いと思っていた。
そうすれば、ヨシローは懐かしい料理が食べられるし、僕は遠慮なく食材を持ち込んで売り込める。
僕が食べる分に関しては、ひとりでこっそり楽しめばいいのだと。
でも、アリーヤさんの実家が経営する店では、あんなにたくさんの、この世界の人たちが『ライス』や『うどん』を食べていた。
美味しいって言ってくれたじゃないか。
世界なんて関係なく、美味しいものは正義だ。
僕は、あの光景をこの辺境の町でも見たい。
仲の良い友達やお世話になっている人たちに「美味しいもの」を食べてもらえたらいいな。
いやまあ、多少の好き嫌いや個人の好みは仕方ないけどさ。
「夫婦共々、これからもよろしくお頼みしますよ」
「こ、こちらこそ」
お互いに礼を取る。
一度、住むことになる森の中の別荘を見てもらうことにした。
「ほお?、これはなかなか良い場所だな。 でも、何度かここを通ったが気付かなんだ」
老兵は小さな声で呟く。
狩猟の手伝いで何度か森に入っているが、分からなかった。
僕が不在の間は結界で見えなくしていたことを説明する。
「今は認識阻害で建物はあると分かっても興味は引かないようにしています」
だから猟師は素通りして行く。
『どうぞ、中にお入りください』
モリヒトが玄関の扉を開くと、キランと双子がいた。
「いらっしゃいませ。 あ、爺さん!」
キランが礼を取りながら老夫婦を見て固まった。
「お、キランじゃねえか」
確か、この老兵が辺境伯邸でキランを鍛えていたんだったな。
つまり、訓練をさせていた教官だったらしい。
あまり良い生徒ではなかったようで、キランの顔が引き攣っていた。
「こんにちは」「違うよ、ハナ。 いらっしゃいませ、だ」
双子も揃って挨拶する。
「あらあら、あなたたちもこちらで働いてるのね。 これからは私たちも仲間よ。 よろしくね」
王都で少しだけ顔を見たせいか、初対面という感じはしない。
「わあっ」「よ、よろしくお願いします」
夫婦の部屋は1階使用人用を二部屋ぶち抜いて一部屋にした。
多少の金はあるそうなので、ベッドとタンス以外は自分たちで買って持ち込むそうだ。
その日は顔合わせと打ち合わせだけで終わり、キランに夫妻を領主館まで送らせる。
積もる話もあるだろうしな。
夕食の時間に合わせるようにガビーが戻って来た。
トスを連れて。
「やあ!。 サンテ、お前も修行するんだって?」
トスはサンテが自分と同じ魔力異常の子供だと知っている。
お互いのスライム型魔物も見せ合った仲だ。
僕がサンテたち双子を引き取ったことは、すでに町の噂になっているようだ。
「アタトー。 オラ、サンテの修行に付き合うよ」
何故か、トスが先輩ぶっている。
「修行?」
サンテが訊く。
「ああ。 こう黒い石みたいなヤツを擦るんだ」
トスはサンテに手振りで教える。
いやいや、擦るんじゃなくて磨るんだよ。
トスを塔で預かってた間、精神を集中して安定させるために墨を磨らせていた。
今は安定しているが、魔力が溢れそうな時は飼っているスライム魔物に吸わせるように指導している。
サンテは現在も駄々漏れ状態なので、常に魔物を入れた袋を身に付けていた。
魔力異常者同士で意気投合しているところ悪いが、僕は2人に声を掛ける。
「夕食後に説明するよ。 トス、お前、泊まってくのか?」
「うん。 久しぶりに師匠の仕事も見たいし、漁も休みだから、しばらくお世話になります!」
勝手に泊まると決めてガビーに着いて来たらしい。
トスの養い家族も森の別荘なら近いし、許可してくれたそうだ。
漁師たちは、しばらくは海に出ないことにしたらしい。
あれだけの量なら、しばらくは食うには困らないし、この町の住民たちのほとんどは仕事を掛け持ちしている。
漁が出来ない間は茶畑や酪農場で働く者が多いらしい。
外出から戻って来たキランに、トスの宿泊の用意を頼んだ。
夕食後、僕はガビーに固形墨が作れるかを訊ねる。
「材料があれば。 型も持って来てます」
「良かった。 おそらく教会から注文が来るだろうから幾つか頼む」
魔道具店から買って来た黒インクを渡す。
「教会からですか?」
僕は頷く。
「湖の町で女性神官に修行をさせてるんだけど、それを国中の教会に広めてるみたいなんだ」
「修行?。 あの墨を磨るヤツを、ですか」
ガビーたちは僕が墨で文字を書くのを見ている。
「魔力を乗せた文字を書くには、かなりの集中が必要だ。それを墨を磨ることで集中を覚え、魔力を乗せられるようになる」
文字に魔力が乗らないと意味がない。
魔石に魔方陣を描くように、紙に魔力を宿す文字を書く。
ちゃんと文字に魔力が乗せられるようになれば、修行は終了だ。
魔獣素材を使った墨と筆は、辺境地なら手に入り易い。
この町で作り、教会に売る。
「僕の工房で固形墨を作って魔道具店に卸すことにした」
配合や乾燥具合はガビーが記録している。
「トス。 これは鍛治仕事ではないけど作ってみる?」
「いいの?。 ガビー師匠の手伝いなら喜んで!」
固形墨はここで作ることになりそうだな。




