第三百三十四話・執事の修行と提案
午後、遅い時間に目を覚ます。
薄暗くした部屋の中にはキランもモリヒトの気配もない。
ん?、どこ行ったんだ。
枕元のランプに気付き、
「モリヒト、おはよー。 部屋を明るくして」
と、声を掛ける。
すぐに部屋に明かりが点り、僕は時間を確認した。
ロタ氏が来る夕方には間に合ったな。
洗顔や歯磨きなどで寝起きの体を目覚めさせる。
適当に動き易い服に着替えて部屋を出ると、ちょうどガビーはじめ女性ドワーフたちも仕事を終えて出て来たところだった。
「お疲れ様でした」
声を掛けると、皆、楽しそうに微笑む。
「明日もよろしくお願いします」「また明日ー」
バイバイと手を振った。
僕がこの工房の主だと知っても不安がらずに気安く接してくれた。
「皆を途中まで送って来ます」
ガビーはそう言って彼女たちを追い掛けて行った。
おそらくまだ「女子供が工房で働くなんて」と否定的な目で見てくるドワーフたちはいるだろう。
ガビーは、そんな中で彼女たちが嫌がらせを受けないよう見張るつもりか。
「うん、気を付けて」
ガビーは振り向かずに片手を上げた。
しかし、先に戻るガビーに塔の地下に入る許可を与えだけなのに、あっという間に改装されちまったなあ。
親方、いくら娘のガビーがかわいいからって、やり過ぎだよ。
地下道に続く廊下でガビーを見送っていたら、
「お目覚めでしたか、アタト様」
と、声を掛けられる。
階段を下りて来たのは、運動着姿のキランだった。
「おはよー。 何かしてたの?」
キランは汗を拭いながらやって来る。
「はい。 モリヒト様にお願いして鍛えて頂いていました」
おやおや、塔に来た初日から修行とは、モリヒトも容赦ないな。
キランが着替えるために部屋に入っていくと、僕の傍にモリヒトが現れた。
『うるさく付き纏われて仕方なくですよ』
ほお。 キランはモリヒトが目標だからな。
『人族が精霊に追い付くことなどあり得ませんよ』
モリヒトはため息混じりに言う。
「別に目標は高くても良いんじゃない?」
そのうち、気付いて折れちゃうだろうが。
地下道から近付く気配がある。
「アタトさん、モリヒトさん、こんばんは」
ロタ氏とクンが予定時間より早く来た。
「こんばんは。 すみません、ロタさんもお忙しいのに」
「いやいや、アタトさんほど忙しくはないぞ」
と、ロタ氏は笑う。
辺境地に戻ったせいか、ロタ氏も『さん』呼びに戻ってるな。
部屋に入ると、キランはすでに執事服に着替えていた。
「いらっしゃいませ、ロタ様、クン様」
キランはニコリと笑う。
「モリヒト、夕食を人数分、用意出来る?」
『はい。 少しお時間を頂ければ』
ならば、ここにいる全員とガビーとスーの分も頼んだ。
『承知いたしました。 キラン、この場は任せます』
少し驚いた顔をした後、嬉しそうにキランは「はい!」と答えた。
モリヒトが食事の準備を始め、キランがお茶を淹れて配る。
いつの間に食器や茶葉の置き場所を教えたのかね。
「人間がエルフに仕えてるの?」
キランのことをあまり知らないクンは目を丸くする。
「キランと申します。 辺境伯様にお願いして、アタト様のところで色々と勉強させて頂くために参りました」
「ああ、そうなんですか」
ロタ氏もクンも、なんとなく納得したようだ。
「ガビーはすぐ戻って来るだろう。 クン、悪いけどスーを呼んで来てもらえるか」
スーは部屋に篭っている。
「分かった」
クンが呼びに行くと、文句を言いながらもスーは部屋から出て来た。
ガビーも急いで戻って来て、自宅での久しぶりに賑やかな夕食が始まる。
「ねえ、アタトさん。 この間の領地で何かあったんすか?」
食後のお茶を飲みながらクンが訊いてくる。
「あー、ひとり友人が出来たので連れて来た。 今はワルワさんに預けてる」
「それは分かってますけど、剣術大会のあった町からへんな噂が流れて来るんす。 領主家の隣の貴族家で犯罪者が出たらしいって」
お世話になった家のことだから気になったのだろう。
クンは僕が関係していると思ったらしい。
「さあ、知らん」
スットボケておく。
チラチラ見てるから、その関係者じゃないかとキランを疑ってるのか。
残念、違いまーす。
「余計な詮索はするな」
ロタ氏がクンにゲンコツを落とす。
「ギャッ!」
痛そう。
サッサと工房の件を片付けよう。
「一応、書類を預かって来た。 あの爺さん、これなら認めるそうだ」
爺さん、ってスーの祖父で鍛治組合のお偉いさんだろ。
紙を受け取り、じっくりと目を通す。
新しい工房の設立許可だ。
工房の経営者は僕。 工房長はガビー。
所在地はこの塔になっている。
「作成するものに規制はないが、新しく何かを作る場合は許可を取れと言ってきた」
ああ、邪魔臭いけど仕方ない。
「製作物に名前や刻印を入れるのは大丈夫?」
ロタ氏が頷く。
工房長のガビーが認めたものなら良いそうだ。
辺境地ではあまり見られない習慣だが、王都ではドワーフ職人が作ったものにはそれぞれ誰が作ったか分かる印が刻まれていた。
「これからは、このドワーフ街でも使用することになりそうだぞ」
ひとりひとりではなく、工房ごとに意匠を決め、店主が品質を保証する。
僕もこの工房の意匠を決めないとな。
「スー、図案を頼めるか」
こういう図案の仕事は彼女に振ることにしていた。
スーは相変わらず僕の工房とは別の、独立した職人だからな。
「ええー、今忙しいんだけど。 分かったわよ、いくつか描いてみるわ」
「ありがとう、気に入ったら報酬は弾むよ」
「そ、それならがんばるわ」
旅でだいぶ散財したらしいな。
それから僕は、不在の間に何か変化はなかったかを訊ねる。
「この工房の噂は広まっていますよ」
鍛治組合から認められたこともあり、うちのドワーフの女性たちは地下街でよく質問攻めされているそうだ。
「このままだと仕事が忙しくなったら、内容まで色々聞かれるかも知れません」
むう、情報漏洩か。
意匠が刻印される前に図案が盗まれたり、似たものが出回ると厄介だな。
ドワーフ族の女性は男性に対して強く断れないのである。




