第三百六話・『異世界人』の話と令嬢
領主館に戻ると、そろそろお茶会の時間になっていた。
領主家の皆さんには、お茶会を利用した本格的な淑女教育への協力をお願いしている。
ティモシーさんにもお嬢様の教育の一環として講義を依頼した。
「今日はよろしくお願いします」
最初は遠慮していたティモシーさんも、内容が『異世界の記憶を持つ者』に関する話と聞いて、今回だけは引き受けてくれた。
「分かった。 やってみるよ」
僕は資料として図書室から借りた本を渡す。
この本は、子供向けで分かりやすい内容になっている。
お嬢様の勉強用に丁度良いと思う。
「今日のお茶会で使ってください」
「ありがとう」
終わったら図書室に戻しておいてくれてもいいし、お嬢様に渡してもいい。
「僕は部屋に戻りますね」
ティモシーさんとは廊下で別れた。
「ふう」
モリヒトが部屋の風呂にお湯を入れてくれたので、のんびりと浸かる。
明るいうちからの入浴はなんだか贅沢な気分だな。
『今までも時間に関係なく入浴されていたと思いますが?』
僕と二人っきりだとモリヒトの表情がさらに豊かになる気がする。
不思議そうな顔に、僕は笑みが溢れた。
「辺境地の風呂はだいたい地下じゃないか」
塔でもワルワ邸でも、風呂は地下に設置してあるため、明かりはもっぱら火か光魔法の魔道具だ。
魔獣被害が多い町だからかも知れない。
入浴時は誰でも無防備になるからかな。
「こんな風に明るい陽射しを浴びながら、のんびり入浴なんて、あんまりないよなあ」
大きな天窓がある広い浴室は元の世界の温泉宿のようだ。
まあ、風呂の造形自体はかなり西洋風だけどね。
疲れが溜まっていたのか、風呂上がりにゴロゴロしていたら眠ってしまったようだ。
来客を告げるモリヒトの声に目を覚ます。
「やあ、ごめんごめん。 昼寝中だった?」
ヨシローが本日のお茶会の様子を報告に来てくれた。
「大丈夫です。 どうぞ」
ぐっすり寝たせいか、頭はスッキリしている。
そういえば、昨夜は大旦那のせいでモヤモヤして眠れなかった。
考えるとまたモヤモヤしそうだ。
せっかくのんびりして忘れかけてたのに。
「そういえば、少しだけ領主様もお茶会に顔を出してくれたよ」
ヨシローの話では、ほんの僅かな時間だったが嬉しそうにお茶を飲んでいたらしい。
大旦那は教会に対する偏見はないようで、教会所属の騎士であるティモシーさんが教師役をすることは了承されている。
それでもイケメン騎士だから、気になったとか?。
まあ、お嬢様は13歳の多感なお年頃だしな。
しかし彼女の親は、再婚相手の連れ子だからと王都の貴族学校にも通わせていなかった。
今頃はそれを後悔してるかも知れないが。
「そうだ。 領主様からアタトくんの様子を訊かれたんだ。 ちゃんと元気そうにしてると答えたよ。 あちらも声を荒げたことを気にしてるんじゃない?」
ヨシローはニヤニヤと笑う。
僕が多少なりとも気にしていることを読まれてたか。
「相手は高齢だし、孫のようなお嬢様のことも、小さいのに頭の回転が良過ぎるアタトくんのことも心配しているんだよ」
中身は年寄りだが見かけは子供だからな、僕は。
大旦那も領主家のことで子供が傷付くのは避けたい。
そんなところだろうとヨシローは言う。
「分かってます」
大旦那は領主として家や領地のことを守ろうと必死だ。
だけどさ。
「僕たちはすでに巻き込まれているんです」
最初に土下座された、あの時からな。
ヨシローは微妙な顔になり、コホンと咳をした。
「ま、それはおいといて、まずはお茶会の報告な」
お茶会はティモシーさんの『異世界の記憶を持つ者』講座を中心に行われた。
「俺も初耳のことが多くて為になったよ」
「そうですか。 でもケイトリン嬢も同じ教育を受けているはずですよ」
だからといって、すべての貴族が同じ対応になるわけじゃないが。
「そうだよなー」
ヨシローはポリポリと頭を掻いた。
やはり何か思うことはあるのだろう。
「これからは、あのお嬢様にも特別扱いされるのかなあ」
当たり前じゃないか。
今まで彼女はヨシローが『異世界人』と言われてもよく分かっていなかった。
なんせ、見かけは普通の人間だからね。
エルフやドワーフのほうが珍しいと思ってたんじゃないかな。
『異世界人』なんて物語や資料の中だけの存在。
王族でも本物に出会う機会など滅多にない。
特にヨシローは辺境の住民たちに異様に馴染んでいるし、本人が「誰でも友達」の精神で全く人見知りしないし。
『異世界人』という威厳もへったくれもないヤツである。
しかも周りは誰も特別扱いしないから、知らない人にすれば要注意人物には見えないんだよな。
「それが一番安全なんだと、お嬢様に分かってもらえると嬉しいですけど」
それがこの勉強会をやった意味であり、僕の望みだ。
お腹が空いてきたので、夕食は僕の部屋でヨシローと一緒に取ることにした。
家令さんにそのことを伝えると、
「ご夕食の件ですが。 スー様と騎士ティモシー様からも同席したいとお申し込みがきております。 如何いたしましょう」
そっか、今、この館には仲間は4人だけか。
「分かりました。 では4人分の用意をお願いします」
「承知いたしました」
もちろん、モリヒトは給仕として僕の傍に立つだけで食事は取らない。
だから4人分である。
……はずだったんだが。
「食事の作法も淑女教育のうちですよね?」
なんで目の前に赤毛のお嬢様が座っているんだ。
「お爺様の許可は頂きました。 勝手にしろと」
それ、怒ってないか?。
きっと今ごろ大旦那は寂しがってると思うぞ。
今日のお嬢様は僕との朝練に始まり、朝食後は領兵隊の副長と剣術大会用の訓練。
昼食後に休憩してから、お茶会という名の淑女教育。
身だしなみから服や小物の選び方、茶会の作法までを学ぶ。
これから毎日それが続くことになる。
「辛くないですか?」
「はい」
本来なら貴族でもない者に教育を任せるほうがどうかしてる。
「僕たちが指導出来るのはここに滞在している間だけですからね」
「分かってます」
本当かな。




