第二百九十話・宿の事業と女性神官
一番上等な部屋で、宿の営業に関する契約が結ばれた。
領主と僕との間で。
「宿の持ち主がアタト様ですから」
と、領主の文官に言われた。
「僕はこの町に住んでいませんが、よろしいのですか?」
「こちらを支店と考えればよろしいと思います」
まあ、本店は違う街にあっても王都に出店を出したり、辺境地に支店を持っていたりする商人を知っている。
僕もその一人ということか。
「どこかで、町の商会管理組合に所属していらっしゃいますか?」
そういえば、辺境の町の広場で漁師のお爺さんに代理販売してもらう時にお世話になった。
「はい」
「では、問題ございません」
組合に入っていなかったら、これから入れば良いだけと言われた。
この町の商会組合と辺境の町の組合との間で、資金移動や税金徴収も可能らしい。
それは便利だけど。
「僕はエルフ族で、この国の民ではありませんが?」
「既にドワーフ族とは取り引きを行っておりますから」
前例があるから大丈夫と。
そっか、なら良いのか。
緊急で勝手にやったことだったが、領主からは感謝され、税金は期限付きだが格安に設定された。
但し、何かあった場合の責任は僕にある。
「連絡を取りたい場合は精霊に頼んでください」
僕は領主の文官に伝えた。
モリヒトも『東風の精霊ならば大丈夫だろう』と頷く。
ナマズの方はお断りらしい。
つまり、この町での僕との連絡窓口は友人になったばかりの女性神官ということになる。
「わ、わたくしですか?」
『詳しいことは私が指導いたします』
モリヒトが申し出くれたので任せた。
女性は嬉しそうに顔を綻ばせる。
僕と違って普通の人族である彼女には、精霊の呼び出し方や、礼儀作法をきっちりと教える必要があるそうだ。
東風の精霊が気に入った相手だから無理はさせないとは思うが、何があるか分からない。
気を付けてやってくれ。
宿と一緒に移転して来た人々や女性神官の教育のため、僕はまだしばらくの間はこの町で過ごすことになった。
あれから毎朝、僕はドワーフの少年と二人で体を軽く解した後、湖畔で魔魚釣りをしている。
「見て!、また釣れた」
ドワーフの少年にも釣りを教えたら案外楽しそうにやっている。
人族に比べればドワーフやエルフは魔力が高い。
魔力を餌に魔魚を釣るのに適しているのだ。
彼は盆地である王都育ちで、海どころか、こんなに大きくて美しい湖を見たことがなかった。
もちろん、地下で生活するドワーフ族なので、釣りも未経験。
干し魚も気に入ってくれたから、辺境地でもやっていけるだろう。
「釣れるかい?」
「おはようございます」
居酒屋のおじさんにもよく会う。
しかし、エルフにドワーフに人間が並んで釣り糸を垂らす姿は、なんとも平和だな。
これぞ異世界って感じ。
「だいぶ旅人は減りましたか?」
僕は、ぼんやりと竿の先を見つめながら話し掛ける。
「減ったと言うより、落ち着いたって感じだな」
おじさんは、釣り上げた魚をバケツみたいな器に移しながら答える。
元々ここは観光地で賑やかな町だった。
新しい宿も試験的に営業を開始したので、宿に泊まれずに溢れる者はいなくなっている。
僕は釣れた魚をおじさんのバケツに移す。
おじさんの店に晩御飯を食べに行くので問題ない。
「いやあ、人が多過ぎても困るってことを初めて知ったよ」
あまりにも忙しく、客が落ち着いて食事が出来ない状態だったため店を閉めていたそうだ。
今は僕たちのところから老夫婦がおじさんの居酒屋へ料理修行に行ってる。
そのため忙しくても店を開けていられるそうだ。
「宿が増えたお蔭で治安も良くなったしな」
夜中に精霊を見に行くことも出来なくなったので、騒ぐ奴らもいない。
静かな夜を過ごせるようになっている。
そういえば、先日埋めた奴らは泥だらけのまま、高位貴族に引き渡したら。
「そんな礼儀知らずな者は我が家とは無関係である」
その場で解雇されたらしいよ。
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『それでは昨日の復習からいたしましょう』
「はい!、モリヒト様」
『私に敬称は不要です』
「いいえ。 私にとっては師匠であるアタト様の眷属精霊様ですから」
『師匠ではなく、友人ではなかったでしょうか?』
「私の中ではアタト様は大切な師匠です。 モリヒト様にとっても大切な主でしょう?」
『いえ。 私にとってアタト様は……少し違いますが、それは貴女には関係のないことです。 さあ、昨日教えたところから、気持ちを込めて』
「はい。 神様に愛されし精霊様。 その御姿を私の目に、お示しくださいませ」
『よろしいでしょう。 後は両膝を床に付け、両手を組んで神様に感謝を』
「神様に感謝を。 あの、精霊様に、ではないのですか?」
『神様は精霊を、いえ、この世界を統べる存在です。 精霊と同等に扱ってはなりません』
「すみません。 こんなことを伺っていいのか分かりませんが」
『はい。 何か儀式について疑問がありましたか?』
「いいえ、儀式にではなくて。 私なんかが精霊様との連絡役など畏れ多いと申しますか、本当に務まるのかと不安で」
『アタト様は、この町まで一人で追って来た貴女の勇気を高く評価しています』
「はあ」
『私という精霊と何度か接していた貴女が選ばれるだろうことは予想していました。 アタト様の友人を名乗るのであればお役に立てることを喜んでください』
「はい!、それは勿論、大変光栄に思っております」
『ふふ。 それで良いのです。 逆に、アタト様は貴女が知らない土地で嫌な思いをされていないか心配されています』
「そんな勿体無いお言葉、ありがとうございます。 元から違う土地で暮らす覚悟は、その、教会の神職ならば他の町への出張や赴任は当たり前のことなので」
『そうでしたか』
「私は神官に昇格した上に、こうしてモリヒト様とお話が出来て幸せです」
『まあ、これからも何か不都合がありましたら手紙で知らせてください』
「はい、必ず!。 毎日でも書きます!」
『それはご遠慮ください』
「えっ。 はい」
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