第二百八十七話・釣りの時間と交渉役
精霊からの言葉を伝える。
まずは「今後、魔魚の釣りが出来る時間帯を、陽が昇ってから昼の合図の鐘までとする」
天候の良い晴れた日は水の色に関係なく、その時間なら必ず魔魚が釣れるようにするという。
荒れた天候や夜に舟を出されても困るしね。
「釣れるかどうかは漁師の腕次第ですけど」
儀式は必要なし。
「その代わり、釣った者は魔魚の大きさに合わせた酒を湖に返すように」とのこと。
桟橋に設置された器を儀式がなくても活用出来る。
「ふむ、なるほど。 恩恵を受けた者が奉納するということだな」
「その通りです」
神官はブツブツと文句を垂れているが、領主は納得したようだ。
「でも不味い酒では獲れる量が変わるかも知れませんね」
と、冗談半分に言うと、神官は「そうですよね!」と破顔した。
次に、これからの交渉の件だが。
「教会の神職の中から相性の良い相手を精霊様が選ぶそうです」
今夜、闇に紛れて馬魔獣姿の精霊が教会裏を訪れる予定である。
神官が目を輝かせた。
「では、教会に神職者を集めておきましょう」
自分の教会から精霊と話せる者が出るというのは、かなり光栄な話だ。
「よろしくお願いいたします」
実は僕、東風の精霊から『若い女性を』と打診されているんだけど内緒。
チラリと見回すが、この教会に若い女性の神職者はいるのだろうか。
神職に就くための修行は厳しいことで有名で、なかなか成り手がいない。
特に女性。
司祭や高位神官になると、ほぼ男性だ。
女性の神職は修道女と呼ばれ、教会の事務や子供たちを預かる施設で働く者が多い。
アリーヤさんの街から来た女性司書も神職の一人のはず。
期待しちゃうよ。
とりあえず、話は済んだ。
あ、もう一つ。
「精霊様のことではないのですが、領主様にお願いがありまして」
「ほお。 なんだね」
僕はこの町で一番大きな宿で聞いた話をする。
「このままでは働いている方々に負担がかかり過ぎると思うんです」
精霊との話し合いの結果、これから少しずつ負担は減っていくとは思うが。
「応急処置として、知り合いの宿を建物と人員ごと、こちらに移動させようかと」
「ん?。 すまんが、分かるように説明してくれぬか」
「はい。 宿を一軒、働く人も含めて、丸ごとお貸しします」
この部屋にいた文官、護衛や側近たちが騒めく。
「夜の間に移動させるので、敷地を決めないといけなくて。 今、宿に泊まれない旅行者がテントを張っている場所に建ててもよろしいでしょうか?」
「いや、あの辺りは地盤が緩くて建物など無理だ」
メモを取っていた文官らしき男性が指摘する。
「ええ、知っています。 そこは精霊様にお願いするつもりです」
地盤改良はモリヒトの得意分野だ。
「つまり、君はあそこに宿を一軒、建てたいということだね?」
教会の神職らしい老人が確認する。
「はい。 領主様の許可を頂ければ」
僕が町の土地を借りることになる。
領主は腕を組んだ。
「確かに今は宿に泊まれない旅行者が溢れている。 それをなんとかしてくれるというなら任せても良い」
「しかし」と、領主は続ける。
「資材や職人はどうするのかね?」
んー、これは話を理解してもらえていないな。
「おそらく、今ここで説明しても分かっていただけないかも知れません。 でも、土地をお借り出来るのであれば、後は全てこちらでやります」
領主は町のためになることなら文句はないそうだ。
「では、明後日には完成させますので」
細かい契約はその後に、とお願いした。
他にはなさそうなので、一旦、会議用の部屋を出た。
夜に向けて用意しなけりゃならないことがある。
司書の女性が追いかけて来た。
あー、これもなんとかしないとな。
「あ、あの、アタト様」
え、僕?。
「はい、なんでしょう」
女性司書は僕に向かって深く礼を取る。
「アタト様にお願いがございまして、追いかけて参りました」
「えっと、どこかに座りましょう」
彼女と共に中庭に降り、適当なベンチに座る。
「僕を追いかけて来たのですか?」
モリヒトではなく?。
「はい。 私、アタト様の文字の美しさと、あの暗号文の解読に心を打たれまして」
はい?。
「ぜひ、教えを請いたいと」
弟子か生徒になりたいと言い出した。
僕は少し離れて立っていたティモシーさんの傍に行き、訊ねた。
「もしかしたら彼女。 僕たちのせいで教会を追い出されたんでしょうか?」
ティモシーさんは首を横に振る。
「女性の神職は大変貴重なので、教会側が手放すことは滅多にない。 彼女が自ら望んで、あの街の教会から出て来たのだろうね」
まあ、それならいい。
あの街では結構無茶したからな。
僕の都合で彼女を利用したのは間違いない。
もしそのせいで、司書という立場が危うくなって出て来てしまったとしたら申し訳ないと思ったが。
僕は彼女の傍に戻り、諭すように話す。
「申し訳ありませんが、僕は貴女のような若い女性を弟子に取ることは出来ません」
彼女は明らかに肩を落とす。
「何故でしょうか、私が女だからですか?」
僕は首を横に振る。
「僕がエルフだからです」
彼女は僕がエルフだということは知っている。
「それが何か?」と怪訝な顔をした。
住んでいる街の教会から出たとしても、破門にでもならない限り、彼女は神職者である。
「教会の神職が異種族、つまり異教徒に弟子入りするのは『改教』ということになりませんか?」
「あっ」
女性司書は口に手を当てて言葉を飲み込んだ。
「今ならまだ貴女は教会の人間であり、町を移動しただけで済みます」
確か、教会間の移動届けで済むはずだ。
ティモシーさんが頷いている。
「そ、それはそうですけど……」
彼女は俯き、唇を噛む。
女性ひとりでここまで。 きっと大変な思いもしただろう。
その行動力は素晴らしいと思う。
「弟子は無理ですが、友人にはなれそうですね」
彼女は顔を上げ、僕はニコリと微笑む。
「あ、ありがとうございます」
あはは、文字を褒めてくれたから友人になっただけだよ。
「あ、そうだ。 今夜は教会に泊まるんだよね?」
「はい」
大切な女性神職者だからな。




