第二百八十五話・風呂の有難さと精霊
野営用小屋に戻ると、ヨシローに頼まれて簡易風呂を屋外に設置することになった。
宿に泊まれないと、こういう弊害が生まれる。
僕も入りたいから作ってやるか。
土魔法で作った四角い浴槽に肩まで浸かれるようにした。
作れる場所が限られるので、1人用で少し狭いが我慢しろ。
周りは衝立と透明な結界で囲み、夜空を見上げながらの入浴になる。
モリヒトが水を温めてから流し込み、八分目まで入れた。
「おー!。 もう入れるんだー」
この世界では風呂は裸ではなく、ちゃんと湯浴み用の簡易な服で入る。
服というか、ほぼ布で、男性は腰に巻くだけ。
「ヨシローさん、ケイトリン嬢がいないからって全裸はダメですよ」
「え、あははは」
酔っ払いめ。
笑って誤魔化してもダメなものはダメ。
ギャーギャー騒いでいたら、周りのテントの旅行客たちがやって来た。
「すみません。 お金は払いますから、俺たちにも風呂を使わせてもらえませんか」
魔術師がいるのは土魔法の小屋がある時点で明確。
平民から見れば、僕は貴族か裕福な者に違いない。
なので、やけに丁寧に頼まれた。
「はあ、いいですけど」
近隣の町でも宿には泊まれなかった。
平民の旅行者も皆同じように野宿だったのだろう。
羨ましげに僕たちを見ていた。
「お金は不要です。 ただ、こちらの指示には従ってくださいね」
「はい!、もちろんです」
僕は同行者たちを優先して入浴させ、その後、旅行客たちに解放した。
何故か、かなりの人数が押し寄せて来て行列になる。
仕方なく、湯と浴槽を常に清潔にする浄化魔法と温度を一定に保つ保温魔法を付与する。
だって病人とか出て、僕たちのせいにされたら困るだろ。
使い捨てになる魔石が勿体無いけど、しょうがない。
金持ちや貴族たちは、基本的に長旅には魔術師を一人は連れている。
護衛でもあるが、こういう不測の事態に対応させるためだ。
つまり宿に泊まれなくても魔法でなんとか出来るということである。
それなのに。
「我々は高位貴族家の者だ。 その風呂を寄越せ」
とか、訳分からんヤツが出て来た。
高位貴族様本人は宿に泊まっているが、護衛や使用人たちはテント暮らしのようだな。
魔術師が仲間にいても恩恵は受けられなかったとみえる。
しかし、他の旅人と同じように頼むならまだ許せるが、なんだって「寄越せ」になるんだろう。
「持ち帰るつもりですか?」
「あー?。 寄越せと言ってるんだよ、その小屋ごとな!」
なーんだ、ただの馬鹿か。
「モリヒト」
『はい、アタト様』
絡んできたヤツらの足元を泥沼にして、全員沈めておいた。
絡んで来た時点で既に結界を張り、周りからは見えないようにしていたので、他の旅行客にはバレていないと思う。
「アタト様、そろそろ時間ですよー」
ガビーがウキウキしながら小屋から出て来た。
「ああ、もうそんな時間か」
湖に馬魔獣型精霊が現れる時間が近付く。
たくさんの見物人と共に、僕たちも流れに身を任せて湖畔に向かう。
僕とモリヒトの他はロタ氏とティモシーさん、そしてガビーである。
酔っ払いと寝てる者は起こさずに置いて来た。
相変わらずの人混みにウンザリする。
月の光に照らされる湖は幻想的で、精霊なんぞいなくても十分美しい。
この喧騒さえなければ!。
突然、空に雲が増え、月にかかり始めた。
人々がザワザワと騒ぎ出す。
「いよいよですね、アタト様」
ガビーはなんでそんなに楽しそうなんだ?。
「だって、馬魔獣なんでしょ?。 見て見たいです!」
あー、こいつ獣好きだからか。
言っておくが、倒しても素材は採取出来んぞ。
そもそも精霊だし、倒せんが。
やがて真っ暗になり「キャーッ」だの「何も見えんぞ!」と、悲鳴と怒号が起きた。
僕たちエルフやドワーフには暗闇でも問題なく見えている。
空から黒い影が降りて来て、湖の桟橋に設置された器から美味そうに酒を飲む。
その音に気付いた者たちが、近くで見ようと動き出した。
人垣がうねる。
「危ない!。 そんなに押したら湖に落ちるぞ」
ティモシーさんが叫ぶが、暗闇で周りが見えない者たちが無理に動こうとする。
「モリヒト」
『……仕方ありませんね』
光の玉に戻ったモリヒトが宙に浮き上がり、湖の上に移動する。
人々がそれに気を取られ、ポカンとしている間に僕は人混みを抜けて、なんとか桟橋へと向かった。
派手なことはしたくない。
だが、このままでは怪我人、いや、いつか死人が出る。
モリヒトが一瞬、ピカッと強く光り、人々が静まり返った。
僕は被って来たフードを下ろし、魔法を解除。
もちろん、ちゃんと詠唱したぞ。
「こんばんは、東風の精霊様」
モリヒトの光に照らされ、黒く艶々した体の馬型魔獣が姿を見せた。
『おお、久しぶりだな。 エルフの子よ』
僕の体がフワリと浮き上がり、黒い馬型魔獣の前に引き寄せられる。
「先日は失礼いたしました。 しかし、この有様はなんです?」
僕は不快そうに、岸にいる人々に顔を向ける。
『うん?、なんじゃ。 何故、大量に人が集まっておるのじゃ』
あー、精霊自体はこんな状況、気にもしていなかったのか。
「東風の精霊様を一目見ようと集まっているみたいですよ」
『なんと!』
精霊は馬なのにケラケラと笑い声を響かせる。
『我など目にしたところで何も得など無かろう』
「いえいえ。 その美しいお姿を拝見させて頂くだけでも、人々には貴重な体験ですから」
「そうか?」と、精霊は満更でもなさそうな様子だ。
「ですが、このような事態が続きますと、町や人々に悪い影響が出ます。 少しお話しさせて頂いてよろしいでしょうか」
『ふむ、構わぬ』
「沼の精霊様もご一緒にお話し出来ませんか?」
僕は湖に棲むナマズ型魔魚の精霊にも声を掛けた。
モリヒトに合図を送り、光を消してもらう。
辺りは暗闇に戻り、また人々の喧騒が始まった。
お化けナマズが湖面から姿を表わす。
『なんじゃ、大地の精霊とエルフの小僧か』
「お久しぶりです。 よろしければ酒でも如何でしょうか?」
酒瓶を見せると喜んで頷く。
僕は湖の上で遮断結界を張った。




