第二百七十四話・助手のような見届け人
オーブリーさんは一旦、祠を出て行く。
『墓所の外に何人か待機しています』
モリヒトによると、門の外に仲間がいたらしい。
警備隊の隊員かな。
見張り小屋にいた門番と話し、一人だけならと許可されたようだ。
オーブリーさんは野営用の一式を持って戻って来る。
「世話になる」
「いえ。 お世話はしませんよ」
「そうか」
当たり前だ。 勝手に押しかけて来て、何を言う。
門の外の部下たちも、その場で野営するみたいだ。
そこまで警戒されているのか、僕は。
「俺は勝手に見ているが、もし手助けが必要なら言ってくれ」
「はあ」
「じゃ、おやすみ」
あ、寝るのね。
「おやすみなさい」
僕も紙片を読む体勢に戻る。
いつも通りの静けさなのに、モリヒトと二人だけの時とは違う緊張感。
うー、集中出来ないな。
「モリヒト、墨を出してくれ」
墨を磨って落ち着きたい。
モリヒトも気を使っているのか、静かに頷いた。
墓所の中にいるせいか、頭に浮かんでいたのは経文だった。
老神官が仏教徒だったかどうかは分からないが、日本人ならお馴染みのアレである。
シュッシュッシュッ
滑らかに馴染んだ硯と、燻んだ墨の香り。
厚紙で作った下敷きの上に紙を置き、文鎮を乗せた。
南無……心の中で唱えながら書く。
いつものように紙が真っ黒になるまで書き殴ると気が済んだ。
翌朝、モリヒトがテーブルに朝食を並べていると、オーブリーさんが目を覚ます。
寝袋のようにくるまっていた毛布から出て背伸びをする。
外の季節は春だが、地下はいつも冷んやりとしていた。
「早いな、おはよう」
「いつも通りです。 おはようございます」
短い会話を交わす。
が、朝食は一人分である。
パンケーキにバター、チーズを挟んだ野菜巻きと具沢山のミソスープ。
コーヒーにはミルクをたっぷり。
美味い。
オーブリーさんの腹の虫が聞こえた気がしたが、見て見ぬふりをする。
しばらくして、オーブリーさんの部下らしき人が簡単な朝食を運んで来た。
野営の定番、固めのパンに干し肉のスープとお茶である。
「若手たちの野営訓練も兼ねてるんだよ」
なるほど。 郊外とはいえ街に近いのだから、わざわざ野営なんてしなくてもいいだろうと思ったら、そういうことか。
「大変ですねー」
と、棒読みで労った。
サッサと片付けて作業に戻る。
今日は具体的に何が出来るか、やってみるつもりだ。
その点ではオーブリー隊長がいてくれて助かった。
ダメなら止めてくれるだろう。
「モリヒト、石棺を動かせる?。 根を痛めない程度に」
『はい』
通常では見えない位置、床より一段下に石棺はある。
しかし、石造の床に食い込んで伸びている根に絡まっていた。
大事な大木を傷付けるわけにいかない。
モリヒトは慎重に一つ一つ、床の石材を消していく。
石棺から外れた根は垂れ下がり、食い込んでいる根だけが残った。
それを通常の床に引き上げる。
これ以上動かすと根を傷付けてしまう限界まで、石棺を引き寄せた。
僕は振り返らずに声を掛ける。
「オーブリーさんは、亡くなった老神官様のことはご存知ですよね?」
妻が世話になっていて、所属する教会の高位神官。
そんなことを訊いているわけではない。
「う、うむ。 はっきりと訊ねたわけではないが、只の神官ではないことくらいは知っている」
「『神の声を聞く』という才能のこと以外でですか?」
「あー、うー」
どうも歯切れが悪い。
まだ他にも何かあるのだろうか。
「では、この石棺が誰のものかは、ご存知ですか?」
僕は振り向き、オーブリーさんを真っ直ぐに見た。
知らないなら追い出すしかない。
オーブリーさんは真っ直ぐに僕を見返す。
「はっきり言えば、今まで知らなかった。 だけど、今ここで、それがあの神官様の棺だと分かった」
おや、僕はヒントを与えすぎたようだ。
「ですが、あなたは何も知らないことにしてくださいね」
今日は僕を監視するために来ただけ。
そういうことにしておいてほしい。
「僕の手助けをしてくれるのでしょ?」
口を出さないことも手助けの一つだ。
「ああ」
本当に真っ直ぐで、熱い男だな。
アリーヤさんが惚れるわけだ。
「僕の行動は、ある方に頼まれたからです」
死して尚、愛しい者を守ろうとした老人がいた。
そして、その老人を解放したいと願う者がいる。
『腐敗しない』魔法が掛けられた石棺。
これをどうするか、ずっと考えていた。
その遺体には木の根が絡まっている。
石棺に付与された魔素を集める魔法。 その魔力を吸うために木の根がまとわり付いたのだ。
「モリヒト、魔力の無いものは腐敗が進まないなら、魔力を与えれば腐敗するのか?」
『そうですね、おそらくは。 しかし、この石棺が邪魔になります』
魔素を取り込めない『異世界人』を『腐敗しない』ように魔力を集める魔道具。
そちらに魔力が流れてしまう。
「じゃあ、石棺そのものを消して、魔力の無いモノだけにして魔力を注ぎ込めば」
『アタト様。 魔力を与え過ぎると魔樹化しますよ』
あー。 大木の根が厄介だな。
モリヒトに石棺を消させたら、どうだろう。
外したり、動かしたりすれば根が痛むため、単に棺だけを消す。
遺体が露わなってしまうが、それは仕方がない。
そして、魔力を纏わせ、一気に腐敗させる。
「根に吸収されるのが早いか、腐敗が早いか。 賭けになるな」
チラリとオーブリーさんを見る。
もしも、この大木が魔樹化したら討伐に手を貸してくれるだろうとは思うが。
出来るなら、そんな賭けはしたくない。
僕は休憩に戻る。
結局のところ、魔道具化している『異世界人』を解放するには、本体を消滅させなければならない。
どうやって?、ってことなんだよな。
テーブルに残る黒い墨の跡を見ながら、椅子に座った。
「モリヒト。 詠唱文の本、出して」
ピクリと眉が動き、嫌そうな顔をしながら『これですか』と出してくれる。
「何だ?、それは」
オーブリーさんが興味深そうに見ている。
「今は使われていない古の魔法詠唱を集めた本です。 何か使える魔法がないかと思いまして」
僕は藁にも縋りたい気持ちだった。




