第二百六十話・訓練所の隣の庭
年寄りの朝は早い。
楽しみがあると、余計に早い。
『おはようございます、アタト様』
「おはよー」
ゆっくり身支度しても、まだ周りは静かな朝もやの中。
宿の窓から外を見ても人影は少ない。
「ここの庭は狭いなあ」
十分に体を動かすには足りないようだ。
「近くに空き地とかない?」
モリヒトに聞いてみる。
公園とか、広場とか、ありそうな気がするんだが。
『空き地ではなく、訓練所ならすぐ近くに』
訓練所?。
『この宿の隣が教会です。 教会の敷地内に教会警備隊の施設があり、そこに隊員用の訓練所がございます』
いいねー。
教会という施設は、この世界では実在する神がその存在を示し、人々が祈りを捧げる場所だと聞いた。
つまり、誰でも入れる。
しかし区別は必要だ、ということで、信者が入れる場所は限られていた。
『ここから先は結界がありますね』
「なーんだ、つまらん」
教会の中まで来たが、庭には出られない。
その先に警備隊の官舎と訓練所があるみたいなんだが。
宿に戻ろうとしたら、誰かが近寄って来た。
「これはこれは、アタト様ではないですか」
「あー、こんにちは。 僕のような子供に『様』は要りませんよ」
アリーヤさんの旦那さん。 この街の教会警備隊の隊長オーブリーさんである。
「いやいや、先日は妻が大変お世話になったからね」
「こちらこそ、急に歌って頂いてすみませんでした。 お客様には、ものすごく感謝されましたよ」
アッハッハと笑い合った。
この人は若いのに器が大きいというか、本当に気持ちが良い人だと思う。
「ところで、こんな朝早くから、ここで何をしていたんだい?」
「あー、それは」
体を動かせる場所を探していたと素直に話す。
「ふむ。 ではこちらにどうぞ」
入り口に戻って建物を出る。
向かった先に小さな門があった。
「私の自宅だよ。 家は小さいが、庭は鍛錬のために広く作ってある」
アリーヤさんから、自宅は教会の敷地内とは聞いていたが、魔法柵にしっかりと囲まれたこじんまりとした家がある。
確か、小さなお嬢さんがいたような。
「ああ、 娘が二人いるが、まだ寝てるでしょ」
すぐ隣に警備隊官舎があり、庭は訓練所と繋がっていた。
なるほど、こうやって『歌姫』を守っているわけだ。
「自由に使って構わないよ」
「ありがとうございます」
僕はありがたく使わせてもらうことにした。
すでに動き易い服に着替えている。
ゆっくり体を解し、いつも通りに軽く飛び回る感覚を取り戻す。
体が小さい分、接近戦では避けることが基本になるからだ。
「面白い動きだねえ」
不意に声が聞こえた方を見ると、訓練用に着替えたオーブリー隊長がいた。
モリヒトに布をもらって汗を拭う。
「そうですか?」
まあ、剣術が主体の騎士様とは違うだろうな。
「一度、お手合わせ願えないでしょうか?」
オーブリー隊長から頼まれると断れない。
「構いませんが」
僕はチラリと家の方に目をやる。
小さな女の子がこちらをじっと見ていた。
「あはは、観客がいた方が燃えるでしょー」
まあいいけど。
木剣を渡される。
子供用らしく持ち手が削られていた。
「準備はいいかな?」
「はい。 いつでも」
向かい合い、お互いに構える。
オーブリーさんの騎士らしい構えはティモシーさんと同じだ。
教会警備隊共通なのかも知れない。
「失礼します」
一言掛けて踏み込むのは、見物のお嬢ちゃんに分かり易いように。
カンッ、と木剣が防がれる音。
すぐに身を沈めて足払いを掛けるが、相手は一歩下がっていた。
そのまま体を旋回させ横薙ぎに振るった剣は、また相手の剣で止められる。
魔法を使わないと体力的に不利なため、後転して離れ、向こうが突っ込んで来るのを見て上に跳躍。
「えっ」
僕は少し焦る。
剣を真下に向けて降下する場所に、オーブリーさんが剣を真上に向けた状態で待ち受けていた。
咄嗟に、小さな結界を作り、無理矢理に落下する方向を曲げて着地。
「はあ。 負けましたー」
僕は両手を上げて降参する。
やはり隊長になると動きが違うなあ。
良い訓練になった。
「とうさまー、かっこいー」
3歳くらいの女の子が駆け寄って来て、オーブリーさんに抱き付いた。
「うおっと。 危ないから離れていなさい」
あはは、可愛いなー。
「オーブリー隊長、ありがとうございました。 僕はこれで失礼します」
そろそろ朝食の時間だろう。
「ならば、我が家で朝食を一緒にどうかな?」
えっ、どうしよう。
僕は思ってもいなかったお誘いに戸惑う。
『宿の方に伝えてまいります』
モリヒトの動きが早い早い。
「はあ。 では、お邪魔します」
オーブリーさんとお嬢ちゃんと一緒に家に向かった。
「まあ、アタト様。 お久しぶりです!」
アリーヤさんに歓迎され、軽く抱き付かれた。
「お久しぶりです。 アリーヤさんもお元気そうで良かったです」
旦那さんが見てるから、いくら相手が子供でも自重してください。
オーブリー隊長が隊員と朝稽古するのは、いつものことらしい。
今日はたまたま相手がおらず、教会から妙な気配を感じて様子を見に来たそうだ。
「アタトくんに会えるとは幸運だったな」
ティモシーさんからは王都を出たという連絡はちゃんと届いていた。
7歳と3歳の二人のお嬢ちゃんと一緒に朝食を頂く。
うん?、このスープ。 まさか。
「お気に召しましたか?。 アタト様が魚醤やカツブシ粉をお好きだと聞いておりましたので」
アリーヤさんの微笑みは、まるで元の世界の母親を思い出させる。
いやまあ、顔は覚えていないんだが。
「これは何というスープなのですか?」
「確かミソスープですな」
オーブリーさんが教えてくれた。
「妻は、お世話になっていた神官様がお好きだった『異世界人の記憶』を元にした料理を研究しているのです」
高齢で亡くなった高位神官は『異世界人の記憶を持つ者』の意思を読む魔道具の継承者。
彼自身が『異世界の記憶を持つ者』だったのではないかと僕は思う。
「王都の辺境伯邸でも、アリーヤさんの料理は大変評判が良かったですよ」
そう話すと、お嬢ちゃんたちが誇らしそうな顔をした。




