第二百四十七話・種族の話と老魔術師
モリヒトが苦いコーヒーを淹れてくれる。
女性エルフが一口飲んで「にがっ!」と顔を顰め、平然と飲んでいる僕を睨んだ。
「こんなの飲む子供なんて信じられない」
ボソッと呟く。
イヤなら飲むな。
「確かにコーヒーは苦い飲み物だからね。 ほら、砂糖とミルクを入れなさい」
「はあーい」
あ、ちょっと入れ過ぎだろ、それは。
「おー、これなら飲めるわ」
え、甘過ぎない?。
今度はこっちが顔を顰めた。
「殿下に見せてもらった、あの紙はアタト様だったんだね。 特殊な魔力だから覚えている」
老人は深く頷く。
魔力を確認出来るものが欲しいって言われて何を書くかを迷って、結局名前を書いた名刺サイズのカードにした。
「その時に思い出したよ、かつて『魔族』と呼ばれた異種族がいたことを」
「一つの国を築いていたと聞きました」
誰から聞いたのか忘れたけど。
「正確には、一つの小さな町だね。 昔はまだ固定した国というものがなく、小さな町は代表である領主が支配する小さな国という認識だったのだよ」
確かに他の町を知らなければ、その町が一つの国という考えも分かる。
長い時を経て、人族は急激に増え、周辺にあった小さな町は大きな街に呑まれ、小さな国は統合されて一つの大国となる。
これが今の王国の前身。
辺境地を治めていた領主たちは、国からの命令もあって、民を養うために森を切り拓いていくしかなくなった。
「魔獣や魔物が多い魔素の森。 なかなか大変だったようだよ」
やがて、森の中の小さな町は発見された。
それが現在の辺境伯領、異種族が住む国があった場所。
当時、周辺は深い森と荒れた土地しかなかったため周りの町とは交流がなかったようだ。
「その町を訪れた者たちには他の町より豊かに見えたそうだ」
周りから隔離されたような森の中の小さな町が?。
「そんなことが可能でしょうか」
「魔獣などの資源が豊だったせいだと言われているね」
価値観は人それぞれだから、と老魔術師は続けた。
そんな中、ある噂が立った。
「あのような場所に町を作っているのは『魔族』に違いない」と。
それは、なかなか開拓が進まない僻地の領主たちの言い訳だったのかも知れない。
資源を独り占めしている町の領主に嫉妬して流した噂だったのかも知れない。
真実など関係なく、あっという間にその噂は広まっていった。
獣は大量の魔素に晒されて『魔獣』になり、魚は『魔魚』に、それ以外のものは『魔物』と呼ばれるようになる。
『魔族』とは、人族が変化したものだという。
「当時の噂を聞いた人々は、おそらく『魔獣』のような恐ろしい姿の人間を想像しただろうね」
実際には普通の人間の姿だったが。
「しかし、魔素の森に囲まれ、他の土地と交流せずに生活していた彼らには特徴があった。
それは『特殊な魔力』を持っていたということだ。 アタト様のようにね」
顔を上げ、僕は確かめる。
「それは本当ですか?」
老魔術師は首を横に振った。
「さあ。 ずいぶんと昔のことだから分からないねえ」
疑問は、まだある。
そんな人々が何故、消えてしまったのか。
「消えたって、どういうこと?」
女性エルフが口を挟む。
「文字通り、その町の住民全員が突然、いなくなってしまったんだよ」
老魔術師は、まるで僕に言い聞かせるように続けた。
「何故か。 それは誰にも分からない。 ただ、当時の隣国であった我が国の調査員からの報告書では」
ーーーある日、いつものように町を訪れたが、建物はそのままに、住民が誰一人いなかったーーー
「……」
僕は腕を組んで考える。
「家具や家畜は残っていたし、商店には商品が残されたままだったそうだ」
ただ、多少の荷物は持ち出されたのではないか、という報告もある。
「日頃使っていたであろう日用品、毛布、普段着。 そういった物は家から持ち去ったらしい。 家人か、他人かは分からないが」
僕は老魔術師の話を黙って聞く。
「それなら、どこかに引っ越したんじゃない?」
女性エルフはいつの間にか、老魔術師の隣に椅子を持って来て座っていた。
「うむ。 皆、そう考えた。 しかし、町一つ分の人数が移動したなら、周辺の土地に足跡ぐらいは残っているはずだ」
それが見当たらない。
消えた、と言われる所以である。
「色々と考察されてはいたが、ワタシが閲覧した資料からは、これくらいしか読み取れなかった。 アタト様のお役に立てたかな」
「はい。 ありがとうございます。 大変参考になりました」
僕は深く礼を取る。
「もう一つだけ、伺いたいのですが」
老魔術師は頷いて先を促す。
「その『特殊な魔力』を持った人々は、今は亡き『古の種族』だったのでしょうか」
「ふむ、『古の種族』か。 それはダークエルフのことかね?」
僕はドキッとした。
ダークエルフのことを知っているのだろうか。
「ど、どんな種族だったか、ご存知ありませんか?」
「そうじゃなー」
老魔術師が思い出そうとするように目を閉じた。
「確か、資料があったはずだが。 探してみようかの」
立ち上がり、温室のような室内を歩き出す。
僕たちも後ろをついて行くと、小径の先に木の扉が見えた。
扉を開くと、中には辺境地の蔵書室より広い部屋にズラリと本が並んでいる。
「ワタシの唯一自慢の書庫だ。 良かったら一緒に探してみるかね?」
「はい!、喜んで」
僕は懐かしい、古い紙の匂いを吸い込んだ。
しかし、この大量の本の中から目当てのものを探すのは骨が折れそうだな。
「私も手伝うわ」
女性エルフが僕を見て言った。
「ありがとうございます」
案外良いヤツみたいだ。
『お食事とお茶はお任せください』
モリヒトは部屋の隅のテーブルに茶器を並べた。
「うん、適当に声を掛けて。 皆、忘れそうだし」
本を読むのが好きな者の共通点は、読んでいたら時間も空腹も、どうかしたらお手洗いに行くことさえ忘れてしまうことだろう。
「ふふふ。 ありがたいねえ、眷属精霊というのは」
老魔術師がモリヒトを褒めると、女性エルフは頬を膨らませる。
「私はいつも注意してるでしょ!」
張り合わなくてもいいのに。




