第二百三十話・騎士の将来と恋愛問題
「ティモシーさん、落ち着いてください。 どこへ行く気ですか?」
公爵家に行ったところで、クロレンシア嬢に会わせてもらえるかは分からない。
「そうと決まったわけではありませんから」
僕は単に近衞騎士の再就職のことを聞きたかったんだが。
「ああ、ああ、そうだね」
ティモシーさんは、まだ落ち着かない様子で椅子に座り直す。
食後のお茶を飲んでいた食堂は微妙な雰囲気に包まれていた。
「ケイトリン様、サナリ様。 奥様がお呼びでございます」
そこへ、辺境伯王都邸の家令さんがヨシローたちを呼びに来た。
今日も結婚準備の勉強会のようだ。
いってらっしゃい、と手を振って二人と護衛メイドを見送る。
「ティモシーさん、少しお話ししたいので部屋まで来て頂けますか」
現在、辺境伯の王都邸の別棟にいる客は僕とモリヒト、ティモシーさんの三人だけだが、使用人のキランがいる。
聞かれては拙い。
部屋に入るとモリヒトが防音の結界を張った。
ティモシーさんに椅子を勧め、モリヒトにコーヒーを頼む。
まさか、とは思うが確認しておきたい。
「ティモシーさん、怒らないで聞いてもらえますか」
「ん?、なんだ」
何故か睨まれた。
もう怒ってる。
モリヒトが二人の前に苦いコーヒーを置く。
僕はお気に入りのその香りを吸い込み、ゆっくりと一口啜る。
苦みに頭が冴えていく。
「僕は今まで勘違いをしていたというか、自分の都合で勝手に動いていたんですが、間違ったのかも知れないです」
ティモシーさんは無言のまま眉を顰め、コーヒーのカップに口をつける。
「ティモシーさんって、クロレンシア嬢を恋愛対象として見ていましたか?」
ブッと盛大に噴き出す。
コーヒーはシミになるそうなのでモリヒトがサッサと洗い落とした。
「何のことだ?」
目が三角になるってこういうことなんだなー。
でも、もしティモシーさんがそうだったとしたら、僕は謝らなければならん。
「王子と公爵令嬢と騎士の三角関係なのかと」
怒気が膨れ上がる。
「怒らないでくださいよ、謝ってるのに」
僕に怒気を向けると、ほら、後ろの眷属精霊がね。
「う、すまん」
ティモシーさんが立ち上がりかけた腰を再び椅子に戻す。
そういえば王子と令嬢の気持ちは分かり易かったが、ティモシーさんの想いがどこにあるのか、それは分からなかった。
「僕のような子供に言われると腹立たしいでしょうけど」
申し訳ないが知っておかないと今後に関わる。
僕はいずれ辺境地に王子と令嬢を引っ張って行くつもりでいるからだ。
そこには二人の仲の良い友人としてティモシーさんの存在も必要になる。
「僕はティモシーさんのことも王子と令嬢のことも好きなんです。 だから僕が誰かを不幸にしてしまわないように伺っています」
「私は」
ティモシーさんが苦いコーヒーを一気に飲み込んで、思いっきり苦い顔をした。
「もう終わったことだ。 クロレンシア嬢に好意以上を感じたのは学生の頃だけの話だからな」
ティモシーさんは素直に話してくれる。
王子との縁談はすぐに破談になった。
仲の良い二人の傍にいるだけの平民の自分にそんな可能性はないと分かっていたが、彼女のその笑顔の下の悲しみに気付く。
むやみに剣を振り続けて忘れようとする恋心を。
そして王子の背中に、彼女を大切にするあまり、巻き込まないようにしている姿勢が見えた。
「妹だよ」と笑いながら、着かず離れず守ろうとする姿が。
敵わないと思った。
「元々、クロレンシア嬢もエンデリゲン殿下も私にとっては友人というには遠い相手だ」
ただの学友としても、王子と高位貴族の令嬢に教会警備隊を目指す商人の息子では分が悪い。
「気持ちだけではどうにもならないのだと早くに気が付いて良かったよ」
実家の姉は特殊な才能があったから、奇跡的に想い人だった領主の息子に嫁ぐことが出来た。
「私には剣術しかなかった。 だけど、腕を上げれば上げるほど王子と令嬢に絡まれてね」
どうすることも出来なかった。
騎士養成学校の中でも何とか理由をつけて逃げ回っていた、ある日。
「辺境地の教会から援護要請が来ていると聞いて、すぐに承諾したよ」
老神官の手配で、卒業前に王都から旅立つことにした。
貴族の子息なら国立学校の卒業式に出ないのは不敬に当たるが、ティモシーさんは平民だ。
しかも成績も優秀だったので特例で不問となる。
「辺境地に赴任するまで、あちこちの教会で助っ人を頼まれて、しばらくは放浪生活さ」
生きることに精一杯の毎日。
「学生時代なんて、今では懐かしい思い出しかない」
久しぶりに辺境地で会った時は驚いたが、相変わらずの二人の距離感は、思わず心配になるほど変わっていなかった。
「なんていうか。 その時に吹っ切れてることに気付いたんだ。 ふふふ、アタトくんには少し早かったかな」
「そーですねー」
聞いてて、なんだか切なくなる。
だけど、ティモシーさんがもう吹っ切れてるのは分かった。
恋愛感情ではなく、懐かしい友人、大切な青春の思い出。
クロレンシア嬢の姿がそこにあっただけ。
『アタト様』
「うん?」
モリヒトが結界を解くと、家令さんと一緒にエンデリゲン王子が入って来た。
「邪魔だったか?」
はい、そうですとは言えない。
僕とティモシーさんは立ち上がり、礼を取る。
「いらっしゃいませ、殿下」
一騒ぎして来たのだろう。
廊下に辺境伯や領兵たちも集まっていた。
「お騒がせしてすみません」
僕は辺境伯に謝罪する。
「い、いや、問題がなければそれでいいんだ」
辺境伯は昨夜、僕が王宮に行ったことを知っている。
そのせいで何かあったのか、と心配してくれたみたいだ。
「申し訳ない。 アタトとは気安い間柄なのでな。 今日は押しかけただけだ。 全く問題はないぞ」
一緒に追いかけて来たらしい王子の護衛騎士が息を切らせている。
「とりあえず、お座りください」
ソファの真ん中に王子が座り、向かい側の右に僕が、左側にティモシーさんが座る。
辺境伯たちは本館に戻り、護衛騎士には壁際に椅子と飲み物をキランが用意してくれた。




