第二十三話・コーヒーの香りがする
ワルワさんの家に着いた。
「やあ、アタトくん、いらっしゃい」
ヨシローが出迎えてくれる。
ワルワさんは不在らしい。
『お邪魔します』
警戒するようにモリヒトが姿を現し、ヨシローは「こんにちは」と軽く手を上げて挨拶した。
「魚醤の漁師さんに小魚を納品してきました。
何かあったら、こちらに連絡が来るのでよろしくお願いします」
「はーい、了解です。 さ、座って座って」
僕はワルワさんに用事があるのであって、ヨシローには無いんだが。
ヨシローがお茶の準備を始めた、が、何だ、この香りは。
「あ、この匂いはエルフ的にはダメだった?」
「いえ、大丈夫です」
でも、かなり刺激的。
「コーヒーっていってね。 今、王都で流行ってるんだよ。
今度、店でも扱おうかと思って、感想を聞かせてもらえると嬉しいな」
ゴクリと喉が鳴る。
僕は懐かしい香りに包まれて目を閉じた。
じわりと記憶が蘇る気がしたが、まだ鮮明ではない。
「苦かったらミルクがあるよ」
ヨシローがミルクの瓶をテーブルに置く。
「はい、ありがとうございます」
この町は牧羊が盛んで、ミルクは勿論のこと、良質な乳製品が多く作られている。
僕は遠慮なく、たっぷりとミルクをカップに注いでもらう。
なにせ、この体は七歳のエルフの少年である。
どういう影響が出るか分からない。
「美味しい……」
ブラックでも飲んでみたい。
買って帰りたいなあ、と思いつつ味わっていると馬車の音が聞こえて来た。
「ただいま戻りましたー」
元気な声で扉を開けたのはワルワさんではない。
「やあ、バム。 任務ご苦労様」
誰でも友達のヨシローが手を上げて挨拶する相手は、二十歳くらいの人間の男性。
「は、へっ、あのヨシローさん、お客さん。 ってちょっと待って!、エルフっすか?」
しまった、ワルワさんの家だからって完全に気を抜いていた。
今からフードを被って知らん顔しても良い?、ダメ?。
しどろもどろになる若者の後ろからワルワさんが入って来る。
「おや、アタトくんか。 モリヒトさんも久しぶりじゃの」
「はい、こんにちは」『お邪魔しております』
僕とモリヒトが挨拶する。
「こいつはバムだ。 近所に住む青年でな」
子供の頃から家族ぐるみの付き合いだという。
『バム様、よろしくお願いいたします』
モリヒトが他言無用の威圧を込めた笑みで若者を見る。
「ヒャイッ!」
止めてやれよ、モリヒト。
「バムは気の良いヤツだよ。 時々ワルワさんの護衛の仕事をしているんだ」
人口の少ないこの町では、たいていの者が職業を兼任していた。
農業や牧羊など季節で忙しさが変わるため、暇な時は短期の仕事を紹介する斡旋所がある。
「バムの家は農家だけど、彼自身は要人護衛や雑用なんかもやってくれるんだ」
ヨシローの話では、以前は三人組の護衛の一人だったらしいが、最近はバムくんも成長したので町中ならば単独で十分となったそうだ。
それなりの革の鎧と剣を身に付けているし、身のこなしは一人前。
少し落ち着きがないけど、魔獣の森に近い町に住む住人らしい鍛えられた体をしていた。
ヨシローがバムくんにもコーヒーを淹れて渡す。
彼もミルクをドバドバ入れている。
落ち着かない様子でチラチラと僕とモリヒトを見ながら離れて座わった。
やっぱりエルフの存在は住民には脅威なのだろうか。
「で、今日はどんな用事でおいでなさったんじゃ」
ワルワさんの問いにモリヒトが小魚の納品に来たことを説明する。
『それと、こちらの販売もお願しようと思いまして』
干し魚がたくさん入った袋を渡す。
それとは別に魔獣や魔魚の素材が入った袋もある。
こっちはワルワさんが研究用に引き取ってくれることになっていた。
「ほおほお」
ワルワさんは嬉しそうに袋の中を検める。
バムくんとやらがワルワさんに近付き、一緒に袋を覗き込んだ。
「ひぇっ、すごいっすね。 魔獣もだけんど、魔魚がこんなたくさん?」
『アタト様は獣より魚がお好きなので』
モリヒトがそんなことを言い出したが、そうだったっけ?。
「そりゃあ、売れるならそっちのほうがいいでしょ」
別に好き嫌いでやってるつもりはないけどな。
魔獣を狩る猟師は多いが魔魚を獲る漁師が少ないと聞いている。
「ああ、漁師でっか?。 この町には狩猟をする狩人はおるけど魔魚を獲る漁師はおらんので」
バムくんが頭を掻く。
何故いないのか。
簡単なことだ。 海で剣は振れないし、攻撃魔法を使える人材がいない。
そもそも魔魚は陸へは上がって来ないため、倒す必要がないのである。
「つまり、魚を食べるのは漁師たちぐらいで、たまに大量発生する小魚の処理が漁の大半を占めると」
漁師自体の数が少ない上に、普段から兼業の者が多い。
そりゃあ、安全で儲かる仕事を優先する。
おそらく大量発生するのは繁殖期だろうし、それが魚醤作りになったのは僕やヨシローにとっては幸運だった。
「あのー、この町の産業は牧羊だけですか?」
僕は子供らしく訊ねる。
「主要産業は酪農で、農業は町内で消費する分のみじゃ」
魔獣の素材に関しては交易というよりワルワさんの研究用。
有名な魔法研究者であるワルワさんは資産家というか、国からの援助があるらしい。
今の産業では、まだ辺境地の人口を増やすには至らない。
「この町独自の産業でもあれば良いのだがの」
「最近はケイトリンお嬢さんのお茶事業が軌道に乗りやしたね」
バムくんは誇らしげに語る。
ヨシローが彼女の事業を手助けしているという話だったな。
バムくんの隣でヨシローがウンウンと頷く。
「お茶をこの町の特産品にしたのはケイトリン嬢だよ」
ヨシローはあくまでも助言をしただけの立場らしい。
まあ『異世界人』の知識を勝手に使ってはいけないので、その辺りはティモシーさんが目を光らせているのだろう。
「大きな食料品問屋との間に伝手があるんで、それでコーヒーも取り寄せられたんだ」
へえ。
「それで一つアタトくんにお願いがある」
「なんでしょう?」
「エルフは薬草茶を飲むんだろう?。 それをぜひ教えてよ」
は、何で?。




