第二百二十五話・側妃の部屋とお礼
歩きながら、ふと入って来た時の廊下とは違うことに気付く。
「殿下、どちらに?」
「う、実は母上からアタトが来たら連れて来いと言われていたのだ」
つまり、王宮内にある王族の住居に向かっているのか。
邪魔臭いと思いつつ、女性の頼みは断れない。
まあ、一生に一度入れるかどうかという場所だ。
子供だから入れるのかも知れないから、今のうちに入っておくか。
やはり畏れ多いというより興味のほうが強い。
「分かりました」
僕は仕方なくついて行く。
途中、庭のような場所に出た。
夜空が見える。
しかし、外気を感じないな。
「結界ですか?」
「ああ、王宮は閉鎖的だからな。 少しでも開放感がある空間が必要だと中庭を造ったらしいんだが。 数年前、一度空からの襲撃に遭った」
相手は空飛ぶ魔獣だったそうだ。
広大な盆地の真ん中に立つ塔のような建物。
王宮なら魔力持ちがたくさんいるし、魔道具も多い。
それに惹きつけられた魔獣がいたのかもな。
「それで我の師匠が強固な結界を張ってくれてね」
ふうん。
隠し扉といい、この巨大な結界といい。 前任の宮廷魔術師はかなり優秀な方だったようだな。
夜空に映える白い壁の建物に入る。
ここからは王族の居住区になるみたいだ。
王子は立ち止まり、僕の後ろにいるモリヒトに声を掛けた。
「この時間なら誰にも会わないとは思うが、出来れば気配は消しておいてほしい」
僕は立ち止まってモリヒトを振り返り、頷く。
『承知いたしました』
モリヒトは軽く頭を下げ、黒メガネを掛けた。
側妃の部屋は王宮の奥のまた奥。
中央にある広い廊下からは外れた小径の奥の、小さな階段を登る。
まるで隔離された場所だ。
「あら、お帰りなさいませ」
侍女らしい女性に会ったが、どうも笑顔が笑っていない。
「ただいま戻りました。 お疲れ様でした、また明日」
王子もお愛想程度の挨拶をしただけで、止まりもせずにすれ違う。
僕たちは、すでに気配を消しているので気付かれなかった。
壁や天井になんの装飾もない廊下。
見張りの兵士もいない。
まあ、王宮の奥の奥では下手な刺客も来やしないと思われてるのか。
それとも、人手不足で手が回らず放置状態なのか。
「母上、入りますよ」
王子が扉を叩き、すぐに開く。
「あらあら、駄目ですよ、エンディ。 王宮の中では礼儀正しくね」
母親らしい柔らかな声。
「大丈夫さ。 もう皆、下がったでしょ。
今日は友達を連れて来たよ」
「失礼します、アタトです。 先日はわざわざ足を運んで頂き、ありがとうございました」
黒メガネを取ったモリヒトと二人で礼を取る。
「まあまあ、いらっしゃい。 あの件はこちらがお礼を言いたいわ。 本当にどうもありがとう!」
側妃に笑顔で歓迎されてソファに座り、しばらく歓談することになった。
部屋の中はそれなりに品の良い調度品が並んでいた。
大きな窓に揺れるカーテン、バルコニーもある。
高台にある王城の中、いくつか階段を上がっているから街の夜景も綺麗に見渡せるだろうな。
侍女が下がっているので、側妃が自らお茶を淹れてくれたが、いつものことらしく王子も止めたりはしなかった。
それなりの広さはあるようだが、やたらと衝立がある部屋。
おそらく、側妃の部屋はここだけなのだろう。
寝所や衣装置き場、洗面所、小さな台所が仕切りの向こうにある。
さすがに風呂場やお手洗いは違う部屋になっているみたいだが。
側妃は先日の辺境伯邸の音楽会が大変お気に召したようで、何度も礼を言われた。
それと、僕とエンデリゲン王子の仲が良さそうなのが嬉しいらしい。
ずっと上機嫌で笑っていた。
「うふふ、楽しくて時間を忘れてしまったわ。 今夜はぜひ、泊まっていきなさい。 大丈夫、誰にも叱られたりしないわ」
「はあ」
よく分からないが、すでに深夜に近いので、お言葉に甘えて泊らせてもらうことにした。
が、本当にいいのか?。
「ああ、本当に大丈夫だ。 父上からは許可は出ている」
夕食後に謁見、しかも秘密裏な会合だったので、慌ただしく帰すより王子の友人として王宮に泊めろと指示が出ていた。
なんだか申し訳ないというか、大丈夫と言われても安心出来ないのは何故だろう。
警戒はしておくか。
上が王子の部屋になっているそうだ。
一旦廊下に出て、突き当たりの階段を上がる。
やはり護衛や見張りの兵士はいない。
「ああ、護衛か。 ここは魔道具が設置されてるから兵士は要らないんだ」
要らないことはないだろうが、僕は一応「へえ」と頷く。
王子の部屋も側妃の部屋と同じ造りだ。
広い部屋に衝立が置かれて、空間を仕切られている。
「ベッドを使ってくれ。 我はソファでいい」
王子相手にそんなこと出来るもんか。
「ちょっと失礼します」
王子の寝室に入り、空いた場所にモリヒトが野営用のベッドを置く。
これでヨシ。
王子は驚いているが、拙いのか?。
「いやいや、構わないが。 お前は本当に何というか、色々と不思議なヤツだな」
そうかなー。
「風呂場はどちらで?」
嫌な汗をかいたので流したい。
「ああ、こちらだ」
部屋に二つ扉があり、一つは手洗いで、もう一つが浴室。
思った通り窓が広くて外が見渡せる。
「使わせて頂いてもよろしいですか?」
「それは構わないが」
王子たちは入浴するのは数日に一度で、魔術師が湯船にお湯を張りに来るそうだ。
あとはお湯を沸かして、浴室で汗を洗い流す程度だとか。
「正妃や他の王族は毎日だと聞く。 我は構わないが、母上が不憫でな」
側妃は平民出身なので、元から風呂に浸かる習慣はないから平気だという。
でも息子にすれば、母親が蔑ろにされている感じはするだろうな。
モリヒトにお湯張りしてもらっている間に、そんな話をした。
「ならば、一緒に入って頂いたらどうですか」
「え?」
この世界の入浴は湯浴み用の水着のようなものを着るので混浴でも問題はないが、僕は遠慮した。
「警備はモリヒトが付いていますから、ご安心ください」
呼ばれた側妃は、ただ微笑む。
母親と息子はその夜、久しぶりに一緒に湯船に浸かりながら夜景を楽しんだ。




