第二百六話・庭の音楽会の開催
その日は、案外早くやって来た。
辺境伯の承諾、伴奏のヤマ神官の都合、そして王子が母親を連れ出せる日が重なるのは中々ないというのに、である。
王子、がんばったな。
「あらあらまあまあ、素敵なお庭ね」
変装用の化粧をした美しい婦人は、侍女の制服を身に付けている。
四十代と聞いたが童顔で小柄。
肉感的で柔らかそうな肌質、金茶の長い髪を纏めて髪飾りで留めていた。
思ったより若い印象だ。
顔立ちはエンデリゲン王子にどことなく似ている。
「ようこそ、お客様」
辺境伯夫妻が恭しく礼を取る。
ここでは名前を呼ばない決まりにした。
一応、身分は隠しているので。
辺境伯王都邸の庭にある小さな広場を会場にして、ステージ用に台を組み、楽器を運び込んである。
先日、キランと訓練した場所だ。
その一角にある東屋に特別席を用意した。
そこに王子と側妃が座り、護衛が周りを囲う。
やはり護衛までは断れない。
しかし、その中には近衞騎士であるクロレンシア嬢が入っていた。
おや、ちゃんと仕事はしているのか。
「現在の王族の方々はとにかく人数が多いので。 特に女性騎士が不足していますから」
なるほど。 だから公爵令嬢でも近衞騎士が務まるのか。
いや、失礼だな。
腕は頼りなくても、女性騎士が傍にいるのは心強いだろう。
女性王族も、その親としても、男性騎士では心配なこともある。
今回、辺境伯は公爵家にも招待状を送っている。
「先日、お茶会を途中で退席したことに関するお詫びとして」のお茶会名目である。
まあ、僕も公爵家当主がどんな人間なのか、見ておきたかったのもあった。
だが、招待に応じてやって来たのは、クロレンシア嬢の兄で次期公爵という青年だった。
代理としては妥当か。
「ご招待、ありがとうございます」
詫びの言葉はないが、ちゃんと招待に応じたのはお互いに険悪の仲ではないと証明したことになる。
「ようこそ、おいで下さいました」
辺境伯と挨拶を交わす。
三十歳代前半、まだ独身と聞いたが婚約者はいるそうだ。
濃い金髪に灰色がかった目、背は高く細身で優しそうな印象を持たせる。
「こういう趣向だったのですね」
皮肉っぽい喋り方は高位貴族らしい口調だ。
やはり公爵家。 侮れん。
招待状には「いつもと違うお茶会を開催します」と書いてもらってあった。
「先日の公爵様のお茶会も変わった趣向でございましたので、それを見習いました」
辺境伯はしらっと答える。
待ちぼうけを食わされたお茶会、忘れてないからな。
と、いうことらしい。
あれは辺境伯も困惑していた。
その仕返しに、こういった趣向だと返すのは粋だな、と僕は思う。
驚け、そして反省しろよ、公爵家の跡取り息子。
「素晴らしいお庭でございますな」
ヤマ神官は興奮気味だ。
興奮し過ぎてないか?、大丈夫か?。
今日は神官服ではなく、芸術家っぽい衣装である。
ヤマ神官は小柄で髪は薄いが、くっきりとした目鼻立ちで、若い頃は可愛らしかっただろうと思われる容姿。
実家は下級貴族らしいが、気さくな性格で信者にも人気があるそうだ。
本部警備隊隊長の老騎士も「あれは近いうちに神官長になる男だ」と言う。
そう。 何故か、神官の護衛に本部隊長が来ている。
はあ、ちょっと面子が豪華過ぎないか?。
こっちまで緊張してきた。
僕もモリヒトも、今日は内々のお茶会ということでエルフのままである。
今日の僕は、仕立師の爺さんに任せ、新しく誂えた薄い黄色を基調とした上品な衣装だ。
褐色の肌色にも合う。
モリヒトはそれに合わせた衣装を翡翠色にしている。
うん、やっぱりどうしてもイケメンは隠せないな。
僕も今日は目立つつもりはない。
隅っこで大人しく鑑賞である。
モリヒトには辺境伯王都邸を全て覆う結界を張ってもらった。
せっかくだから館内で働いている使用人の皆さんにも、微かでも聴いてもらいたいとアリーヤさんからの希望である。
働いていても『歌姫』の歌を聴けるなんて、ありがたい話だ。
やがて、客たちは設置されたテーブル席の椅子に座り、テーブルの上にはお茶やお菓子が配られる。
一応、名目はお茶会なのでね。
ヤマ神官がピアノのような楽器の音を確かめるために軽く短い旋律を弾く。
おお、いいねー。
アリーヤさんが辺境伯夫人から借りたというロングドレスで現れた。
昼間だが、王族も出席された格調高い演奏会らしい雰囲気に包まれる。
木々の隙間から陽光が降り注ぐ中、静かな曲が流れ始め、やがて、美しい歌声に誰もが引き込まれていった。
しばらくして。
『アタト様、来客のようです』
モリヒトが耳元で囁く。
僕は黙って頷いた。
庭から建物に入り話を訊くと、どうやら知り合いのようだ。
「本部隊長を呼んで来てくれ」
モリヒトに頼んで、僕は玄関から出て門へと歩く。
辺境伯家の領兵がついて来た。
若干イラついているのは鑑賞を邪魔されたからだろう。
門の外、騎乗した護衛を引き連れた馬車が停まっていた。
「やあ、エルフの少年。 また会ったな」
気安く声を掛けて来たのは、教会警備隊の制服を着た男性である。
「オーブリーさん、お早いお迎えですね」
王都近郊の街の教会警備隊隊長で、アリーヤさんの夫であるオーブリーさんだった。
「せっかく『歌姫』の歌が聴けるのなら聴きたいじゃないか」
早いほうが良いのは確かだ。
「おや、オーブリー」
本部隊長がやって来た。 やはり知り合いか。
辺境伯領兵に頼んで門の中に入れてもらうと同時にモリヒトが結界内に馬車ごと取り込む。
歌が聴こえたのだろう。
夫は幸せそうな顔になる。
「魔道具の件、ありがとうございました」
オーブリー隊長はすぐに感謝の礼を取る。
「ふふふ、無粋な話は後にしよう。 まずは楽しもうではないか」
いやいや、アンタらは警備の仕事中じゃないんか。
まあ、僕も無粋なことは言わない。
一緒に楽しむことにした。
その日、辺境伯のお茶会は伝説に残る音楽会になった。
客たちは満足して帰ったが、初めて『歌姫』の歌を聴いた護衛や使用人たちは、しばらくの間、使いものにならなかったらしい。




