第百七十一話・擬装の魔法と宿
僕たちの部屋は湖が見渡せる、景色の良い場所にあった。
「この宿は、ここの領主様の持ち物なのよ」
部屋担当は元気の良い地元の少女。
ローブ姿の僕たちを見ても嫌な顔もせずに話し掛けてくる。
「色んな客が来るから慣れたー」
かなり大きな宿なので、他にも多くの客がいるようだ。
絡まれないように注意しよう。
部屋は二人部屋と四人部屋に分かれたが、夕食は宿の食堂に全員で集まる。
まるで元の世界の体育館の半分くらいの広さに、長いテーブルとベンチ型の椅子が並んでいた。
さすがにこれは高位貴族の女性には無理かなと思ったが、
「こういう場も慣れておきませんと」
と、辺境伯夫人は謎のやる気に満ちていた。
いや、無理しなくても、特別に部屋へ運ぶこともあるそうだよ?。
「一度、こういう所で食べてみたかったんですの」
はあ、そうですか、としか言えん。
全員が平民ぽい服装で食堂に向かう。
とりあえず、変な奴に絡まれないようにと、ティモシーさんは護衛や侍女に最大限の警戒を言い渡していた。
「アタトくんも気を付けて」
いつものフード姿はやはり目立つ。
「ええ。 分かっています」
女性たちを真ん中にして、左右に護衛たちが並び、向かい側に侍女や使用人たちが並んでいる。
僕はスルッとフードを下ろす。
「え?」「おっ」「まあ!」
モリヒトも目を見張った。
ドッキリ成功、である。
「魔法かい?」
ティモシーさんがそっと囁く。
「ええ。 擬態する魔法を見つけました」
僕の今の姿は、完全に人族に見えるようになっている。
元々、僕は耳だけがエルフ族らしく特徴的だが、肌の色や背丈は普通の人族の子供と変わらない。
目の色はエルフでは珍しい色だから、問題無し。
「ただ、あまり長時間は無理なので」
自分の属性魔法ではないので魔力消費が大きい、ということにしておく。
実は、あの黒炎魔法と同じ、今は亡き種族の特性魔法なのだ。
ダークエルフを調べているうちに彼らが人里で暮らすために『人族に擬態していた』ことを知る。
「どうやって?」となり、「魔法だろ」となったわけ。
モリヒトが旅の準備で忙しい間、僕は密かに訓練していたのである。
あの黒炎の詠唱文があった本は何の魔法かの解説が全く無い詠唱文ばかりなので、一つ一つ検証していくしかなかった。
それを調べていたら、ついに発見したのだ。
擬態魔法を。
誰にも言えないが、僕にとってはあまり魔力を消費しない魔法になる。
あ、モリヒトが睨んでる。
あの詠唱の本は、なるべく使うなって言われてたんだよな。
「なるほど。 でも美少年には違いないから気を付けてね」
ヨシローが変なことを言う。
「美少年?、僕がですか?」
つい聞き返してしまう。
周りがザワッとした。
「え、なんなの?」
「アタト様は、その、顔立ちは元々整っていらっしゃいましたよ」
「ウンウン。 近頃は身体に筋肉が付いてたくましくなったし、表情も人間っぽくて豊かになったからね」
ケイトリン嬢とヨシローは息の合った返答をする。
「そうだね。 モリヒトさんが隣にいると気が付かないけど、アタトくん一人なら間違いなく美少年だね」
ティモシーさんも頷く。
モリヒトは精霊なので姿は自由に変えられる。
僕の傍にいる時はエルフの青年だけど、それが一番しっくりくると言ってた。
今は僕に合わせて、容姿はそのままだが耳だけは人間と同じにしている。
その目立つ容姿は僕を隠すためだったのか。
ここの食堂の料理は各自で取りに行くことになっている。
まあ、これだけ人数がいたら、それぞれに対処は難しいよな。
侍女や使用人たちが皆の分も手早く運んで来る。
モリヒトが上手く彼らを補佐しているので、零したり、他の客に迷惑を掛けたりする心配はない。
「魚だな」
『湖魚の蒸し物です』
あんかけみたいなトロリとしたソースが掛かっていた。
甘酸っぱくて美味しい。
主食はパンもあるが、オートミールもある。
久しぶりにオートミールを食べてみると仄かに甘味があって、これも美味しい。
茹でた野菜や切った果物はどこにでも出て来るお馴染みの料理だ。
気が付くとヨシローが僕を見ていた。
「何か?」
首を傾げて訊いてみる。
「いやあ、アタトくんは魚もキレイに食べるなあと思ってね」
「そうですか?」
普段、こんなに庶民的な食堂でワイワイと食べることがないので気付かなかった。
普通の平民は魚を食べること自体が稀なんだとか。
だから旅行客は魚を食べるのが下手過ぎる。
「僕は魚が好きなので」
釣った魚なんかを自分で捌くことが多いので、意識して食べ易く下拵えしている。
ここの料理はそれに近い。
「ヨシローさんも魚好きなんですか?」
「うん!、刺身が食べたいけど、こっちにはないからなあ」
「刺身ってなんです?」
ちゃんと訊いておく。
「生で食べるんだ。 こう、キレイに捌いて」
身振り手振りで説明するヨシローに周りの客の目が集まる。
「あはは、その話はまた今度な」
ティモシーさんが立ち上がって止めた。
忘れていたが『異世界人』も狙われる対象だ。
キランがハラハラしている。
後片付けを使用人たちに任せて、僕たちは先に部屋に戻った。
部屋で食後のお茶を飲みながら、夕暮れで色が変わっていく空と湖面を眺める。
美しい。 心が洗われるようだ。
片付けを終えた使用人たちが部屋に入って行く足音が聞こえた。
隣の部屋との壁が薄いせいか、
「ヨシロー様、不用意な言動は謹んでください」
と、キランの声が丸聞こえである。
お前の声も不用意だよ、と言いたい。
ふいにモリヒトが防音結界を張る。
あ、これは説教が来るな。
僕はおとなしく椅子に座った。
『魔力に異常はございませんか?』
「うん、大丈夫」
モリヒトに手を取られ、久しぶりに魔力で体中を探られる。
ムズムズするから嫌なんだが。
モリヒトが大きくため息を吐く。
『もう少し信用して頂いていると思っておりました』
ん?、どうやらドッキリはお気に召さなかったらしい。
「すまん。 ちょっと驚かせたかっただけなんだ』
長い旅である。
たまにはメリハリも必要だと思ってな。




