第百六十七話・貴族の家の問題は
「実は、この館の庭に魔素溜まりが出来てしまったんだ」
ほう、なるほど。 でも、お前はまず謝罪しろ。
僕は領主の言葉を聞き流し、老人を見ている。
「大旦那様はいつもあのような騎士の真似事を?」
「む、真似事ではないぞ。 ワシは元は王宮勤めの騎士である」
だから、「元」だろうに。
しかし、国軍の騎士隊か。 教会と敵対していたらしいけど、今はどうなのかな?。
チラリとティモシーさんを見ると、緊張しているのが分かる。
僕は何故、彼らがこんなにエルフに執心しているのかが不思議だった。
「僕は、この領地は通過するだけだと聞いてました。 何かを求められるとは思っていなかったので、失礼な発言をしたことは謝罪します。 申し訳ありません」
「とんでもございません、アタト様が謝罪されることなど、何も!。 私もこのようなことは聞いておりませんでした」
夫人は体を振るわせ、顔を俯かせる。
「叔母上は何も悪くありませんよ。 だいたい、辺境伯夫人や異世界人について来ただけで、偉そうなエルフの子供が」
「馬鹿者!」
若い領主が言い掛けた言葉を遮ったのは大旦那である。
「この圧倒的な魔力が分からんのか、情けない」
いやいや、アンタも十分情けない格好してたぞ。
魔力か。
領境の町から騎士姿でついてきたのはそれを確認するためか。
「一つお訊きしても?」
「はい!、何なりと」
辺境伯夫人は顔を上げ、失態を取り返そうと身を乗り出す。
「ご領主はお若いようですが。 ご両親はどうされました?」
「お前には関係ないだろう!」
怒鳴り散らす領主を無視して、叔母である夫人か話す。
「2年前に魔獣に襲われまして、兄夫婦は他界いたしました」
「庭で?」
夫人がコクリと頷いた。
自分の家の庭なら警戒していなかっただろうから、一溜りもなかったかもな。
「どのような魔獣でしたか?」
夫人は甥と父親を見るが、二人は首を横に振る。
「誰か使用人、例えば侍女や護衛のような者が傍にいたはずでしょう?」
領主が室内にいた家令や侍女に訊ねるが、皆、横に首を振った。
はあ?、それはおかしくないか。
「二人きりで庭を散策するのが日課になっていたからな」
仲の良い夫婦だったのだろう。
自分の館の中だし、使用人たちも邪魔しないよう気を配っていたのかも知れない。
「失礼ながら、ご遺体を発見したのはどなたですか?」
家令が一歩前に出る。
「当時、庭師をしていた青年です。 しかしながら、責任を取ってこの世を去りました」
なんとまあ、ご愁傷さま。
「ご遺体を改めた医術師、または葬儀の担当者、駆け付けた館の警備兵。 その中の誰かから話を訊けますか?」
突然、若い領主が立ち上がって喚いた。
「うるさいっ!。 そんな者はいない。 サッサと庭へ行って魔素溜まりを何とかしろ!」
僕に向けられた悪意なので、当然、モリヒトが動く。
一瞬で首を絞められ、長身のモリヒトの手で宙にぶら下げられた男性が出来上がる。
『アタト様、コレを排除してもよろしいでしょうか』
「グェッ、ガッ」
領主はまだ若いからジタバタする余裕はあるみたいだが、何を言ってるのか分からんな。
「エルフ殿、た、頼む、許してやってくれ!」
大旦那の土下座ばりの謝罪に免じて、僕はモリヒトに離すよう命令する。
ドサリと床に落ちた領主に家令たちが駆け寄った。
顔を真っ赤にして何かを喚いているが、何も聞こえないな。
「それで。 遺体を見た者はいないのですか?」
「すでに亡くなられているということでしたので、医術師は呼びませんでした。
ご遺体を棺に入れたのは発見した庭師で、葬儀は近親者のみで館内で執り行い、教会には報告だけさせていただきました。
当時の館の警備兵は、その、責任を取って」
おいおい、酷いな。
しかし、分からない。
こんな街中の、館の庭に魔素溜まり?。
領主夫妻の遺体も見ていないのに、魔獣のせい?。
「他に、その日の前後に館を去った者はいませんか?。 行方不明とか、知らないうちに魔獣の犠牲になったかも知れない者は?」
使用人たちは顔を見合わせ、ザワザワとした空気になる。
「あの、関係ございますかどうか分かりませんが」
メイド長らしい中年の婦人が声を上げた。
「その数日前にメイドが一人、館を無断で辞めております」
どこへ行ったか、足取りは掴めていないそうだ。
「数年前なのに、よく覚えていらっしゃいましたね」
僕が感心しているとメイド長は、
「当時のご領主様が教会から引き取られた子供でした。 まだ幼くて、とても愛らしく。 館内でも人気者でした」
と、話す。
平民の子供だが働き者で、読み書きも出来る優秀な子だったので印象に残っていたそうだ。
教会と聞いてティモシーさんの眉がピクリと動く。
「辞める理由がない、と」
「はい」
ティモシーさんも黙ってはいられなくなって、
「無断で辞めたとなれば教会に問い合わせは?」
と、訊ねる。
メイド長は「分かりません」と申し訳なさそうに下を向いた。
僕は偏見たっぷりにへたり込んで喚いている男性をチラリと見る。
なるほど、コレはアレか。
そして、大旦那に向き直って言った。
「魔素溜まりに案内してもらえますか?。 二人だけで」
ニコリと微笑む。
「ああ。 分かった」
モリヒトが僕にローブを着せてくれる。
「この館から誰ひとり外に出すな」
周りに聞こえるように頼む。
『承知いたしました』
モリヒトがこの館全体に結界を張った。
僕は大旦那と一緒に庭へと移動。
先ほどの東屋とは館を挟んで反対方向になる。
「あれ以来、この場所には誰も手を付けたがらないのでな」
訪れた客には見えない位置のせいか荒れ果てている。
整った庭との比較が甚だしい。
確かに魔素の気配はあるが微々たるものだ。
ここに魔獣が発生するのは無理だな。
僕は大旦那に向かって訊ねる。
「今のご領主の他に、この家に後継者はいらっしゃいますか?」
「……いるにはいる」
まだ十歳にも満たない親戚筋の少年がいて、大旦那が剣術の指導をしているそうだ。
僕が訊ねた理由を察したのだろう。
老人の声はやけに小さく、重かった。




