第百六十五話・親戚の領主の館にて
途中の町で一泊した後、翌日の夕方に、この貴族領の領都に到着した。
やはり頑丈な石塀に囲まれ、門には審査待ちの馬車が並んでいる。
「しばらくお待ちください」
老騎士が門番に話をすると、審査もなく、辺境伯家の馬車は優先して中に入ることが出来た。
街中で一番大きな館の前で停まると、ゆっくりと門が開く。
馬車はよく手入れされた庭を進み、玄関に着いて馬車から降りると、領主らしき三十代くらいの男性が出迎えた。
いつの間か、老騎士の姿は無い。
「辺境伯夫人とその御一行様。 お疲れ様でした」
「またお世話になります」
どこか気安い話し方にキランを見やる。
「こちらは夫人のご実家になります」
現在の領主は夫人の甥に当たるそうだ。
辺境伯家の使用人や護衛たちは荷物を運び込む。
「お食事の用意は出来ておりますが、先にお部屋へご案内いたしますか?」
この家の夕食の時間になっていたようだ。
家令に訊ねられ、夫人は振り返って僕と視線を合わせる。
僕は黙って頷く。
「本日は疲れたでしょうから、夕食は簡単なものを各自の部屋にお願いしますわ」
夫人は家令に伝えた後、僕たち同行者に対しても、
「明日は一日休みにしますから、皆、のんびりしてね」
と、話した。
前の領地ではゴタゴタした。 その分、ゆっくりしたい。
僕は到着前に夫人には伝えてあった。
さすが上位貴族の館である。
全員に個室が与えられ、それぞれの部屋で休む。
僕たちが案内された部屋は客室の中でも豪華な仕様になっていた。
僕とモリヒトの二人にしては広い。 広すぎる。
「お世話を仰せつかりました」
と、まだ少女のようなメイドが入ろうとして来たが、モリヒトが扉の前で丁寧に断った。
「でも」とか「あの」とか、「私が叱られますから」と涙声まで聞こえたが、僕はまるっと無視する。
モリヒトが強引に扉を閉め、静かになったと思ったら、
「入浴のお手伝いに参りました」
と、今度は妙齢のふくよかな女性がやって来た。
モリヒトがピリッとする。
先ほどと同じような問答が続く。
あーあ、早く引いてくれないかな。
これ以上モリヒトの機嫌を悪くしないでほしい。
揉めている間に夕食が運ばれて来た。
何人もの使用人が廊下に列を作り、入れ替わり立ち代わりワゴンや皿を持って入って来る。
二人分にしても多過ぎない?。
僕はウンザリして、近くにいた一番偉そうな男性の使用人に訊ねた。
「ねえ。 こいつにも食事させて良い?」
数名の男女の使用人がいるせいで、フードも外せなくてイラついた僕は、懐からウゴウゴを出した。
「は?、あの、それは」
幼い子供の頭くらいの物体が、テーブルの上にデロリと現れ、ユラユラと蠢く。
「ウゴウゴっていうんだ」
子供っぽく笑ってみせる。
「な、何を召し上がるのでしょう」
男性は恐る恐る訊いてくる。
「魔力だよ」
ウゴウゴが男性に挨拶しようとして、シュルンと触手を伸ばす。
「ヒッ」
男性が悲鳴に近い声を上げると、他の使用人たちも震え出し、そそくさと全員が出て行った。
ふう、やっと静かになったな。
モリヒトに防御結界を張ってもらい、誰も入れないようにしてからローブを脱ぐ。
「なんなんだろう、この邪魔な厚遇は」
部屋にあった浴室にお湯を張ってもらって入ったが、まだモヤモヤが収まらない。
「紙と墨、あったっけ」
『はい。 ございますよ』
モリヒトがいつもの書道セットもどきを出してくれた。
紙と下敷きを出し、硯と固形墨を出す。
水差しから少しだけ水をもらい、硯に垂らした。
ゆっくりと磨る。
シュッシュッと慣れた感覚に、少しずつ心が穏やかになってきた。
使い慣れた筆を取り出して、白い紙にスッと黒い線を描く。
ただただ心が落ち着くまで何度も縦横無尽に筆を走らせた。
結界の外で誰かが呼んでいるらしい。
音も通さない防御結界なので、僕は気が付かなかった。
モリヒトが扉を開けて話をしている。
僕はまだ集中を切らせたくなかったので、そのままの姿勢で目を閉じて待つ。
目を開くと、部屋にキランが居た。
「何かあったのですか?」
ため息混じりに訊ねる。
「こんな時間に申し訳ございません。 大旦那様がどうしてもお会いしたいと」
はあ、そうですか。
「疲れて寝てしまったので、明日の朝、お会いします、と伝えてください」
子供だからね。 多少の我が儘は許してよ。
「はい。 そちらの件は承知いたしました」
キランは僕の前に並んだ書道具セットをじっと見ている。
線を引き過ぎて真っ黒になった紙を見て、
「えーっと、もしかしたら、かなり怒ってらっしゃいますか?」
と、言い出した。
ほお、怒られるようなことをした自覚はあるんだ。
「……これは僕の趣味なのでお気遣いなく」
モリヒトに片付けてもらう。
「あの」
キランはまだ何か言いたげに立っている。
「申し訳ございません」と、突然謝罪を始めた。
「こちらの領地の方々はエルフ殿がいらっしゃると聞いて、毎日楽しみにしておられたそうです」
それで僕の部屋に入りたがるのか。
おかしいだろ。
「大旦那様がその件でお詫びしたいと」
僕はキランの言葉を遮る。
「この館の長はどなたですか?。 大旦那様ですか?」
「いえ、ご領主様かと」
キランの声が小さい。
まあ、孫と祖父という関係らしいから、年長者には逆らえないんだろう。
だけど。
「キランさん。 あなたの主人は誰ですか?」
キランはハッとして顔を逸らした。
「謝罪はこの家の長からしか受けません。 大旦那様に関しては、明日の朝食後に庭で話をする機会を設けてください」
「はっ、承知いたしました」
深く礼を取ると、キランは足早に出て行く。
なんでお前が出てくるんだよ。 この館の使用人でもないくせに。
『まだ修行が足りませんね』
モリヒトは、僕の前に酒の匂いがするお茶のカップを置いた。
「ありがと」
モリヒトが淹れてくれたお茶が体を温めてくれる。
飲み終わると、ようやく眠気が来た。
翌日、朝食の後、フード付きローブを普段用から接客用に替える。
「こちらです」
家令に案内されて庭の東屋に向かった。




