第百四十九話・絵の魔力と仔狸
王子は翌日には王都へ向かって行った。
側近には耳打ちしておいたので、上手くお膳立てはしてくれるだろう。
今日は王子一行を森の外まで見送り、ついでにワルワ邸にお邪魔している。
「ほう、ヨシローのように殿下も良い結果になるとよいがなあ」
ワルワさんが、テーブルの上に出したウゴウゴを観察しながら言う。
「そーですねー。 エヘッ、照れますけど!」
ヨシローは何故かデレデレで、気持ち悪い。
「最近ずっと領地経営や結婚式の準備やらで忙しかったからのぉ」
ワルワさんが憐れみの目でヨシローを見ている。
なるほど、非日常過ぎて、どっかブッ壊れたな。
まあ本人は幸せそうなので放っておこう。
それよりタヌ子である。
「いつの間にか、仔狸が産まれまして」
まだ小さくて連れて来れなかった。
「ふむ。 楽しみが増えたのぉ」
ワルワさんが微笑む。
「俺も見たい!」
ヨシローはタヌ子より自分の心配をしなよ。
「え?」
鈍いな、貴族と結婚するということはそういうことですよ。
「こ、こどもっ?」
「ケイトリン様は一人娘ですからね。 たくさん兄妹が欲しいんじゃないでしょうか」
当たり前だろ。
そのために、あの絵に願いを込めて贈ったのだ。
「あっ、そうだ。 良い絵をありがとう、アタトくん」
あの絵が入った額は、現在、領主館のケイトリン嬢が保管しているそうだ。
「もし俺たちが結婚したら寝室に飾らせてもらうよ」
「ええ。 是非、そうしてください」
おや、まだケイトリン嬢に他の男性が現れると思ってるのか?。
でも大丈夫、しっかりと神に祈らせてもらったからな。
『愛情と子宝に恵まれますように』
ふっふっふ、アレにはそういう魔法が込めてあるんだよ。
僕が書いた文字を飾っているガビーによると、あの絵からは微量の魔力が出ていたらしい。
「アタト様は一文字一文字、真剣に心を込めて書かれるじゃないですか」
うんまあ、自分が落ち着くからな。
「アタト様が書いてくれた『火』の文字。 あれから私、すんごく火魔法が調子いいんですよ!」
ガビーの話はともかく、モリヒトに確認してもらうと、やはり微量の魔法の気配はするそうだ。
『墨に魔力が残っているのでしょうか。 アタト様の魔力に反応しているような感じがします』
無心で書いたはずなのに、文字に魔力が反応し、魔法が込められたらしい。
何の魔法が入るか不明なのは恐ろしいので、最近は練習以外は願いを込めて書くことにしている。
まあ、何か入ったとしても破けば良いだけなんだが。
現在、僕が使っている黒色絵の具は、実は魔獣の骨を焼いた煤から作られた墨なのだ。
『異世界の記憶を持つ者』が残した絵の具の製造方法の正規品。
以前、魔道具の不良品在庫になっていたのは、騙されて買わされた物で、ただの木が原料の煤だった。
つまりニセモノだったのである。
あれから僕は、ちゃんと魔獣の骨を使って煤を作り、ガビーに正規品の黒色絵の具を作ってもらって使用していた。
その代償として、ガビーに頼まれ色々と文字を書いて渡している。
初めて渡した『火』も、今は書き直したものを飾っているはずだ。
他にも何点か渡したが、何に使うのかは恐ろしくて聞いていない。
だがまあガビーだしな。
悪い事には使わないだろう。
タヌ子に関しては、もう少し暖かくなったら連れて来る予定。
「いつの間にか、タヌ子にも春が」
感慨深げなヨシローだが、自分が一番浮かれてる自覚は無いらしいな。
「ヨシローさんは読み書きの練習は進んでいるんですか?」
ギクッて顔しないで。
「が、がんばってる」
ハイハイ、もっとがんばろうね。
僕はワルワさんに仔狸の注意点を訊く。
「魔力はどうかね?」
ワルワさんはモリヒトに訊ねる。
『まだハッキリとはしませんが、通常の獣よりは多いかと』
「ふむ。 魔獣の子供は珍しいんじゃ」
大量の魔素に晒されて魔獣化した獣は、繁殖は難しいと思われている。
魔獣の番となると、相手が魔獣なら対立するし、相手が普通の獣だと餌になる可能性が高い。
子供など産まれるはずがなかった。
「大事にしてやらんとな」
珍しいから、希少だから。
人間の価値観はそんなものだ。
「では、ソレが危険な生き物だったらどうしますか?」
僕の問いにワルワさんは少し驚いた。
そして、ゆっくりと近付いて僕の前でしゃがみ込んだ。
「危険かどうかは接してみなければ分からんよ。
ワシはそのために学者をしておるのさ」
未知のモノに出会うと、人々は本能で恐怖を感じる。
しかし、同時に興味も持つのだ。
「出会ったモノが無害かどうか。 人々に知らせなければならんだろ?」
ワルワさんは僕の手を握る。
そうだ。 ワルワさんは、僕が最初に出会った人間だ。
エルフになってしまったけど、人間の価値観、人間の思考の僕だから普通に会話が出来た。
では本当のエルフだったら、ワルワさんはどうしただろう。
すんなり受け入れてくれただろうか。
僕はワルワさんに訊ねてみたくなった。
「それでも、消えた種族はいます」
人間の近くにはいないだけで、どこかで普通に生活しているかも知れないけど。
「そうだね。 彼らにもまた、人間は無害だと伝えられると良いのだが」
相手にとって、ワルワさん以外の人間は有害かも知れないのに。
「雪祭りの間に、僕を育ててくれた長老が会いに来てくれました」
「おお、良かったの」
ワルワさんの顔が明るくなる。
「長老は、僕の家族を探してくれているそうです」
「そうか……」
部屋の空気が重くなっていくのを感じる。
アタト少年と同じダークエルフたちは、どこへ行ってしまったのか。
彼らは、人間にも同族であるエルフにも見つからない場所にいるのか。
それとも。
「僕の、家族は全滅したのでしょうか」
「全滅?、そんなわけないよ!」
ヨシローが大声を出し、僕の背中を叩く。
「ここにアタトくんがいる。
アタトくんが産まれて、こうして生きている限り、まだ望みはあるさ」
タヌ子に仔狸が産まれたように。
ひとりぼっちだった異世界人に伴侶が出来たように。
いつかアタトにも見つけられるのかな。




