第百四十八話・公爵令嬢の想い人
結局のところ、王子の決断が出ないまま、その日は別荘に泊まってもらうことになった。
「質素だが良い部屋だな」
「お褒め頂き、ありがとうございます」
辺境伯邸を参考にしているからな。
殿下は応接室に付属する来客用寝室、側近は殿下の寝室に仕切りをして寝台を追加。
後は全部一階の護衛用部屋。
「ティモシーさんはどうされますか?」
「どうせ殿下が町にいる間はついていないといけないから、泊めて欲しい」
ということで、一階使用人部屋にご案内。
風呂は給湯用魔道具が間に合ったので、地下の大きな浴場に入ってもらった。
殿下以外は一纏めだったが、案外評判は良い。
この世界では裸の付き合いというのは無い。
女性の場合は知らないが、男性は海水パンツのような湯浴み専用の服を着る。
僕は御免だがな。
夕食後、自分の寝室である地下の予備室にいたら王子がやって来た。
「すみませんが、この部屋には誰も入れないので」
と、王子を連れて二階の居間に向かう。
王子が動いたせいで、深夜なのに護衛たちが起きていた。
ハタ迷惑なヤツである。
「眷属精霊がいますから大丈夫ですよ」
彼らには見張り当番以外は休むように伝えてもらい、僕とモリヒトは王子の接待。
まだ春は浅く、冬の名残りの寒さが沁みる。
「酒は無いのか」
こちとら未成年だ、無茶言うな。
あるけどな。
僕はモリヒトに頼んで、紅茶に香りの良い強い酒を落としてもらう。
領都で見つけた酒の一種である。
「これで我慢してください」
恐る恐るカップに口をつけた王子は頷いた。
「うん、イケる」
そんな下品な言葉をどこで覚えるんだ、王子様。
さて、そろそろ本題に入らなければなるまい。
「僕を起こしてまで話したいこととは何でしょう?」
酒のせいか、少し赤くなった顔を背けて、王子が呟く。
「その、クロレンシアのことだが、何とかならないか」
王子の言う『何とか』とは。
「モリヒトにクロレンシア様を見かけ上だけ嫁がせて、すぐに離縁しろと?」
「あ、ああ。 あいつは派手なことが嫌いだから、地味でも良い式を挙げさせてやりたい。 あとは辺境地に来てからなら何とでもなるだろ?。
適当な理由をつけて追い出せ」
その後なら、公爵令嬢でも騎士との婚姻に父親も文句は言わないという策略か。
僕はため息を吐く。
「それでクロレンシア様が喜ぶと?」
「結果的に丸く収まるなら、それで良いだろ」
まだそんなことを言ってるのか。
「人間っていうのは不自由ですね」
地位や金があったとしても、思うようにはならない。
カップの中の茶を揺らしながら俯く王族の青年。
「僕には人間のことなど分かりませんが、何故、幸せになってはいけないのでしょうね」
「それは、将来は幸せになるためだろ」
僕はフッと笑う。
「僕なら、将来の幸せより、今の幸せを願いますけどね」
顔を上げた王子に問う。
「エンディ殿下。 あなたは今、幸せですか?」
顔を逸らす王子に僕は問い続ける。
「クロレンシア様が他人に嫁いで、あなたは幸せになりますか?。 ただ単に安心するだけではないのですか?」
可愛い従妹の嬉しそうな姿を見れば、それだけで気が済む。
本当に?。
「その後の彼女の幸せに責任は取らないのですか?」
「それは、娶った者の責任だろ」
「あなたが安心するために押し付けられたのに?」
「それは!」
僕は首を横に振る。
「親が決めた相手なら、破談になれば親が引き受けてくれるでしょう。
でも、あなたが押し付けた相手は、そんなことになれば最悪、公爵から酷い目に遭いますよ」
想像すればいい。
相手の男性が格下の場合、末娘を可愛がる公爵がどんな手段に出るか。
「殿下も、クロレンシア様も、何故、諦めてしまったんでしょうね」
『奇行王子』だから反対された。
本当にそれだけだったのか。
「僕には、あなたも彼女も、覚悟が足りなかったとしか思えない」
「覚悟?」
「幸せになる覚悟が」
王子がポカンと口を開ける。
「誰でも皆、幸せになりたいと思って生きています。 でも、皆、親や友人や周りの世話になり、迷惑を掛けながら生きているでしょう?」
未熟な子供が大人の世話になるのは仕方がない。
やがて、大人になると互いに持ちつ持たれつで生きているのが分かるようになる。
「迷惑なんて掛けたくないけど、生きていたら誰かに迷惑は掛かるんです」
『奇行王子』なら分かるでしょ?。
「ならば、迷惑を掛けてでも幸せになる覚悟が必要だと、僕は思います」
「我が、幸せに?」
僕は頷く。
「せめて、あなただけは幸せにならなければ、迷惑を被る者たちはたまったもんじゃない」
わざと両手を軽く上げて困った顔をしてみせる。
「あなたは王子です、殿下。 あなたが幸せになるために動かなければ誰も幸せになれないんです」
国民の幸せを願う自分の幸せのために足掻く。
「いいのか?」
「もし殿下が間違えたら、その時は殿下が不幸になるだけです。 ならば、やってみればどうでしょうか」
国政に携わっているわけでもないし、身内といっても元平民の母親は息子の迷惑は笑って許すだろう。
国王や側近に怒られるのは今更だ。
「やるなら今しかないですよ」
ゴクリと唾を飲む音がした。
目が泳ぎ、手が震え、顔が赤い。
「まずは、ど、どうすれば」
何で僕に訊くのか。
「ティモシーさん、いるんでしょ?」
居間の隣の食堂兼厨房から、ゆるい服装のティモシーさんが現れた。
王子が慌てふためく。
「ティモシー、我は」
「ふう、やっとその気になってくれましたか、殿下」
ティモシーさんは僕の隣に座る。
「クロレンシア様の長い初恋がやっと実りそうですね」
そう言って笑う騎士のカップは酒の匂いがした。
「クロレンシアの初恋?」
王子は本当に気付いていなかったのか。
「僕たちから話すわけにはまいりませんから、ご本人に確認してください」
令嬢の初恋の暴露など恐ろしくて出来ない。
「もし教えてもらえなかったら?」
弱腰の王子に、僕とティモシーさんは顔を見合わせる。
「その時は押し倒して」
「しまえば良いと思いますよ」
既成事実、作っちゃえ。




