第百四十話・狩りの獲物じゃない
僕は竿を引き寄せるのに忙しくて、周りの気配を上手く感知出来ない。
「モリヒト、上は任せる!」
『承知いたしました』
モリヒトが姿を消す。
海に集中する僕には崖の上の物音は聞こえても、目を向けることは出来ない。
僕は思いっ切り竿を立てて釣り糸を引き寄せる。
「そりゃあ!」
魔力を身体強化に回し、引けるだけ引いて竿は捨てる。
波の向こうにかなり大きな魚影、いや、魚じゃなくて海獣が見えた。
ギャウウウ
タヌ子は僕の背中を守るように崖の上を見て唸っている。
僕の前には大きなトドのような海獣が、荒波の向こうで赤い目をこちらに向けていた。
「すごいな。 何という魔力だ」
僕の気配感知は相手の魔力を感じて識別する。
今まで釣り上げたどんな魔魚より強い魔力の気配。
いや、魔魚じゃなく、まさしく海の魔獣だ。
つまり、それだけ魔力量が多いということだろう。
僕は腰からもう一本、短剣を取り出し、双剣を構える。
一瞬、身体強化を続けるか、防御結界を強化するかで迷った。
その隙に相手のほうが動く。
フーッと息を吐いたと思ったら、ピキピキピキッと音がして波が凍り付き、鋭い氷の破片が飛んで来る。
双剣で払ったら剣までが凍り付いた。
「チッ!」
剣から手まで冷気が上がって来て動かなくなる。
グッと歯ぎしりしながら海獣を睨み付けていたら、ふいに手に何かが触れた。
【アタトサマー、イタイ?、イタイ?】
悲しそうなウゴウゴの声が聞こえ、触手が触れた僕の手から冷気が消える。
おそらく発動した魔法の魔力を吸い取り、無効化したのだ。
「偉いぞ、ウゴウゴ!」
僕は真っ直ぐに片方の短剣を海獣に向ける。
「炎よ、走れ!」
構えた短剣から炎が迸り、海獣から放たれた冷気を割くように伸びる。
ドオーンッ
むっ、海獣の顔面を直撃したが弱かったか。
しかし、相手を煽るのには成功したようだ。
ボォーッボォボォーッ
海獣の吠える声が空気を揺らし、凍り付いていた波が砕けた。
白い波を蹴立てて海獣がこちらに向かって来る。
集中して、もう一度魔法を準備。
炎をさらに高温に、収束して強度を上げるイメージ。
腹に力を入れ、迫る海獣に向けて、
「もっと早く走れ」
と、剣を振る。
キュイーン
さっきより細くなった炎がまるで光線のように走る。
ドカン!
ギャボォーッ
今度はちゃんと顔を引き裂いた。
血か体液か、分からないものが海にドバドバッと落ちていく。
うへぇ、こっちまで飛んで来たよ。
「はあ」と、気を抜いた途端に上からグラグラと振動が来た。
あちらも交戦中らしい。
目の前の海獣はもう動かないことを確認。
波の影響で沖に流されそうになる死骸をウゴウゴに引き寄せてもらう。
「ウゴウゴ。 魔力は吸っちゃダメだよ」
ポヨポヨとしたスライムに念押しして、座り込みそうになる体を立て直す。
「タヌ子、アレを見張っててくれ」
ウニャー
他の魔獣や魔魚に狙われたらウゴウゴでは歯が立たない。
僕は防御結界を発動して、崖を駆け上がった。
モリヒトが苦戦しているはずはない。
だが、何故か今日はいつになく時間が掛かっている。
おかしい、と警戒して崖上に出る前に一旦止まり、そっと様子を伺う。
「何だ、あれ」
そこには白色と灰色の二体のタヌ子より大きな狐型の魔獣がいた。
僕はモリヒトの戦闘の邪魔にならないよう、草原に身を伏せる。
やけに静かで、双方とも身動き一つしない。
狐魔獣の尻尾がユラリと動いたと思ったら、モリヒトの防御結界にぶち当たり、バーンッと大きな音と共に揺れ、土煙が上がる。
そして、勿論モリヒトは無傷だ。
「膠着状態なのか?」
いや、モリヒトは攻撃しようとしていない。
僕は悩む。 あの中に入るべきか、否か。
ちょっと待て。
あまりにも気品のあるツヤツヤの毛皮、異常に高い魔力気配。
「あれはー」
僕は立ち上がり、慌ててモリヒトの元に向かう。
そして、横に並ぶと静かに片膝をついて最上級の礼を取った。
「どちらの精霊様か存じませんが、お初にお目にかかります。
私はエルフの森の精霊魔法士アタト。 この大地の精霊の主人です」
『ほお。 我々を精霊と見抜いたか』
灰色の狐魔獣が答える。
『アタトよ。 お主がその精霊の主人であるなら、我々と戦うように命令せよ』
白い狐魔獣からは嘲るような雰囲気を感じた。
僕は俯いていた顔を上げる。
戦うだって?。
固まった顔で、ギギギとモリヒトを見上げた。
「モリヒト?」
二体の魔獣に変化している精霊を無表情のまま、真っ直ぐに睨んでいる。
これはー。 絶対、怒ってるな。
精霊は元来イタズラ好きだ。
他の生き物に対して配慮などしない。
たまに地形や自然を壊すほどのバカもいると、エルフの村で長老から聞いたことがある。
「だから、神は精霊に眷属になるという鎖を与えたのではないかな」
美しいものに惹かれて出会い、眷属となって共に生きる仕組だ。
それにより強大な魔力を、正しく世界のために使うように制御する。
長老はエルフと眷属精霊の関係をそんな風に話してくれた。
この二体は、主人を持たない自由気ままな精霊だろう。
放っておくと何をするか分からない。
「モリヒト、本気でやるなら精霊魔法を使わせてもらうが?」
小声でそう言うと、モリヒトの表情が変わった。
ニタリと口元を歪めたのだ。
『それは良い考えです』
ふう。 僕も覚悟を決める。
どうみても強者相手だ、遠慮なんて出来ない。
『ほお、良い顔だ。 では二体と二体の対戦でよろしいな?』
灰色魔獣が体を大きく見せるために毛を逆立てる。
白い狐魔獣は僕をじっと見つめ、舌舐めずりだ。
フンッ、やってやろうじゃないか。
「草原ごと地下に落下させろ」
『はい、アタト様』
地形や他の動植物に影響が出ないように地下でやろうぜ。
大穴の中。
「逃すな。 あー、あの毛皮は良いな。 傷付けないようにしろ」
『我が主人は、なかなか厳しいですね』
周りは全て土。
大地の精霊であるモリヒトの体内のようなものだ。
ギャー!
一瞬で岩に閉じ込められ、頭、いや、顔だけが岩の中から突き出たようになっている狐魔獣が二体。
動けないよねぇ。




