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祭りの始まりと異国商会の噂


「ヴィル、遅いね」


 今日は一緒に騎士団に行く予定なのに、ヴィルは珍しくまだ起きていなかった。


「ちょっと心配……」


 もう大丈夫と分かっていても、やっぱりこの前の件で、こんな些細なイレギュラーでも不安になっちゃった。


 そう考えているうちにすでに足が動いちゃって、私はヴィルの部屋に向かった。


 こんこん。


 ドアをノックしたけど、返事がなかった。


「し、失礼します」


 ちょっとだけドアを開けて、中を覗いてみると、ヴィルがまだ寝ているようだが、特に異常はなかった。


 勝手に部屋に入るのもなんだし、まだ時間はあるから、居間に戻って待とうと思ったその時だった。


「やめ…‥ろ……」


 低く、苦しげなうめき声が耳に届いた。


 悪い夢でも見ているのか、ヴィルが身をよじらせた。


 気がつけば、戸惑う暇もなく、私は彼の部屋に足を踏み入れていた。


「ぅ……」


 ヴィルの近くにきて寝顔を覗いてみると、彼は眉をひそめて小さな声で何か寝言を言っていた。これは体調によるものじゃないと思って少しはほっとした。


「やっぱり悪夢を見てるのかな」


 ヴィルほど強い人が恐れていることは、私には到底想像できなかった。


 でも……。


 彼のうなされる顔を見ていると、胸の奥がきゅっと痛んじゃった


 見ているだけじゃ、いけない気がして――


 私はベッドに上がって彼をそっと抱きしめた。私が不安だった時は、お母さまに抱きしめられると安心したものだったから、きっとこうすればヴィルを宥められると思った。


「こういう時だけ、私はお姉さんぶるんだね」


 ヴィルはいつも頼りになるし、かっこいいから、つい甘えちゃうんだよね。でも、こういう時だけは、自分の方が年上だって思い出すの。


「すーすー」


 しばらくして、ヴィルの寝息が静かになった。


 もしかしたら偶然かもしれないし、私が何かできたわけじゃないのかもしれない。それでも、役に立てた気がして、胸の奥がじんわりあたたかくなった。


「ふぅ、よかった」


 安堵のため息を漏らして、私は自分に置かれた状況に気づいた。


 私は勝手に部屋に入って、ベッドに上がって寝ている彼を抱き着いている。


「これってまるで――」


 まるで小説で読んだ、主人の部屋に忍び込んで既成事実を作ろうとするメイドみたいじゃない……!?


 そう思うと顔がカーっと熱くなって、慌てて離れようとした。


「ぅ……エレナ……」


 しかし、寝ぼけたヴィルは私の名前を呼びながら、背中に腕を回して抱き返した!


 もともと羞恥心と戦っていた私は、驚きのあまり体がびくんと跳ねちゃった。これは……どうしよう。無理やり抜け出したらきっと彼を起こしちゃいそうだから。


 抱擁の安心感に身を任せながら、解放されるまで待つしかなかった。


 そして数分後――


「ひゃぅ!?」


 いきなりお尻を撫でられた……と思ったけど、それはヴィルの腕がふわりと落ちてきて、偶然触れただけだった。


「んん……ん?」


 それよりも、ヴィルが起きそうだから、今のうち離れなきゃ……!


 私は素早くベッドから降りて、慌てて乱れた服と髪を整えていた。



「んん……」


 朝……?なんだか長い夢を見た気がする。最初は辛かったけど、最後は幸せそうな……。


 まだ意識がぼんやりしているけれど、不思議なぬくもりが離れていったような気がして、重いまぶたを開けた。


 ベッドのそばに立って、髪を慌ただしく整える誰かの横姿が見えた。


「エレナ?」

「あ、もう起きましたか。ちょうど起こしに来た……ところです」


 エレナは少し目を逸らしながら、手ぐしで乱れた髪をとかしていた。


 朝日に照らされたその横顔がほんのり紅潮していて、髪に指を通すその仕草が……妙に色っぽい。


 思わずその姿に見惚れてしまった。


「そっか。ん?もうこんな時間!?」


 時計を確認したら、もうとっくにいつもの起床時間をすぎていた。


「はい、だからちょっと心配で、様子を見に来ましたよ」

「心配させてごめん。約束があったし、今すぐ支度するよ」

「まだ時間がありますから、私は朝ごはんをつく――ふぇん!?」

「ど、どうした!?」


 体を起こしてベッドサイドに座ると、エレナが悲鳴を上げて両手で顔を覆った。しかし、指の隙間から金色の瞳を覗かせて、そのバレバレの視線を追っていれば――


 その先で、……自分の下半身の状態に気づいてしまった。


 ……。


 朝だしこれは仕方がないよ。俺だって健全な男だから……。


「こ、これは――」

「し、失礼しますぅ!」


 脱兎のようにエレナが部屋から出て行ってしまった……。


「行っちゃった……」


***


「わぁ~ 大通りが賑やかです」


 朝ごはんの時はちょっとぎこちなかったが、建国祭の熱気にあてられてエレナがはしゃぎだした。


「ああ、いよいよ建国祭が始まったな」


 日曜の儀式を皮切りに、今日からいよいよ建国祭が幕を開けた。大通りにはソラリス王国の旗がはためき、色とりどりのガーランドが通りを彩っている。


「ここはもっと賑やかだぞ」


 いくつかの通りでは、両側にさまざまな出店が並んでいた。今まさに、大通りからその通りに足を踏み入れたところだ。騎士団へは大通りを使った方が早いが、エレナには少しでも楽しい思い出を作ってほしかった。


「まだ準備中の店もちらほらありますけど、活気がありますね」

「そうだな。王都は来週から本番だから、もっと賑やかになるぞ」


 建国祭の初週はスカーレット・タウンのほうが来訪者が多いため、人手の足りない商人たちはそちらに注力することが多いと聞く。


「ねえねえ、ヴィル。その曲ってなに?昨日も聞きましたよ」


 エレナは大道芸の旋律に合わせて、鼻歌をかわいらしく口ずさみ始めた。


「あれは『スカーレット・タウンへ』っていう曲だ。建国祭の第一段階は、王国各領地から一体ずつ彫像がスカーレット・タウンへ送られ、かつて人々が軍神スカーレットの庇護を願った情景が再現されるんだ。昨日その曲を聞いたのは、ちょうど王都から彫像が送り出される頃だったんだろう」

「なるほど~、見物しにいく旅客が多そうです。あっ、だから王都は来週から本番と言ったんですね」


 さすがエレナ、商人の娘だけあって商人の考えはよく見抜いている。


「今年は見に行けそうにないが、来年は一緒にスカーレット・タウンに、彫像が集まるところを見ような」

「うん、約束です!」


 エレナはぱっと笑顔を向けて、力強くうなずいた。


「あっ、あのお店、かわいいドーナツ売ってます!わっ、それ、猫の顔みたいです」


 ……せわしない子だな、本当に。


「気になるなら買っちゃおうか?この先のプラザでブランチできるぞ」

「い、いえ。私は大丈夫です」


 とは言うものの、視線はチラチラとドーナツへ吸い寄せられている。


「遠慮しなくてもいいんだぞ」

「ち、違います!その、えっと……。この国に来てから体重が増えたの……です」


 顔をそむけたエレナ。耳の先がほんのり赤い。


 これは、淑女たちを悩ませるデリケートな問題だ……!


 ……でも、改めて見ても、初めて会ったときと変わらない気がするけどな。


 ま、まさか、胸か!?


 エレナが抱き着いてくるたび、自己主張してくるあの胸が……!?


「ヴィル?どうしたんですか」

「あ、いや!その……エレナならまだまだ大丈夫だと思っただけだ。もし気が変わったら教えてくれ」

「うん、今はお気持ちだけいただいちゃいます」


 そう言って微笑むエレナの横顔は、なんだか愛おしかった。


 祭りの雰囲気を楽しみながら通りを進んでいると、ふと店先の違和感に気づいた。


「あれ、値札が全部、立体映像になってる」


 小さな投影器の上に浮かぶのは、我が国の通貨ソルの記号と値段を示す数字。高級商業区なら見慣れた光景だが、手間とコストを考えると行商人がわざわざ使うものじゃないはずだ。


「それは『光を織る者』のおかげだぜ、兄ちゃん」


 耳聡い商人が答えてくれたが、さらなる疑問が湧いたのである。


「『光を織る者』って?」

「イサベルさんのことですよ。錬金術師ギルドは建国祭が盛り上がるよう、全面的にサポートしています。立体映像を用いた装飾や、この値札はイサベルさんの工房の作品です。私もその中間材料の依頼をやりました」


 ふむ、今年は王国の重大発表もあるわけだし、華やかな光景にしたいのはうなずける。


「嬢ちゃんもその錬金術師か。これは本当にありがとうな」

「どういたしまして」


 礼儀正しくお辞儀するエレナ。


 俺が任務に出ていた間も、彼女はずっと依頼をこなしていたよな。


「イサベルさんは、本当に商売が上手ですよ」


 再び歩き出した俺たちは、値札の話を続けた。


「立体映像の値札を無料で提供することが、利益に繋がると?」

「実はそれが新発明なんです。値段の数字を自由に変えられますよ」


 それって……。


「今までのものよりはずっと便利そうだな。行商人なら喉から手が出るほど欲しがるだろうね」


 立体映像の値札はそれだけで高級感が出るし、数字を変えられるなら商品の入れ替わりが激しい行商人には最適だ。


「その通りです。そして今回配っているのは通貨記号が固定されているもので、ソラリス王国の外に持ち出しても、記念品くらいにしかなりません」


 なるほど、そう来たか。


 自国民には建国祭が終わっても役に立つものだが、外国の商人は通貨記号を変えられるものか、数字だけのものを注文しなければならない。


「本当に抜け目ないな、イサベルは」

「はい、先生のこと、ますます尊敬しちゃいます。……ん?あれは」


 少し前の出店で、一人のおばさんが値札の投影器の前で首をかしげていた。


「うーん、この値札、どうしたもんかねえ……」

「おばさん、何かお困りですか」

「あらまあ嬢ちゃん。ほら、このチューナーだか何だか、使い方がさっぱりでねえ」


 手のひらより小さい台座……。あれは、投影器を調整する道具か。


 うーん、俺も見ただけじゃ操作は分からない。


「説明書はありますか?一緒に見てみましょう」

「それが、なくしちゃったんよ。まあ、そのうち誰かに聞こうかと……」

「私がお教えします!」

「おお、そりゃ助かるよ!」


 エレナはぱっと笑顔を見せ、手際よく説明を始めた。


「まずは投影器をこのように起動して、チューナーの上に置きます」

「ほぉ~」

「次に、内側のリングを回して桁を選びます。そして外側のリングを回せば、数字が変わりますよ」

「なるほど、こうすればいいんだね」

「はい! ……ペンと紙を貸してください。今の手順を書き記しますね」

「まぁまぁ、気が利く嬢ちゃんだこと!」


 微笑ましい光景を横目に、俺は通りの店々を見渡した。


 ふと、一軒の店が目に留まった。まだ店員はいないが、他の出店よりもひときわ大きく、黒地に銀で縁取られた看板が目を引いた。


「レフコリュコス商会……」


 そして、その看板に描かれた白い狼の紋章は、どこかで見覚えがある気が――


 あっ、エレナのアクセサリーボックスには同じ紋章が刻まれていた!


「レフコリュコス商会の噂、聞いたか?」

「商会長の話だろ。もちろん聞いたぜ」

「ん?何か情報あった?教えてくださいよ」


 ちょうど付近の商人が噂話をし始めて、興味を惹かれた商人たちが自然と集まった。


 耳に入ってきた話に、俺は思わず意識を向けた。


「大した話じゃないさ。レフコリュコス商会の商会長、アリストパウロス家の当主が、数か月前に奥さんを亡くしたらしい」

「ああ……そりゃ気の毒に」

「でな、その直後に長女が家出したんだとよ」

「うわぁ、それは災難だな。身代金目当てにさらわれてもおかしくないのに」

「いや、それはなさそうだ。なんでも彼女、見た目がちょっと……呪われてるとかで。物好きでもなきゃ近寄らんって話だ」


 妻を亡くして、長女が家出、そして呪い……。


「で、商会長は今どうしてるんだ?」

「社交界には顔を出さず、仕事に打ち込んでるそうだ。ほら、こうしてユトリテリアから遠路はるばるソラリス王国の祭りに人を派遣して、新しい貿易ルートを探ってるんだよ」

「しぶといもんだな……」


 ――間違いない、この話は。


 心臓がどくりと鳴り、祭りの喧騒が遠のいた気がした。


 俺は、無意識にエレナの方を見た。


「嬢ちゃん、どうしたんだい?顔色が悪いよ」


 エレナは俯いて身を縮こまらせて、おばさんが心配そうに話しかけていた。


「ごめん、彼女はこの国の夏が苦手で、調子を崩したかもしれない」

「なら、ちゃんと休ませてあげなさい。彼女の面倒を見るのが彼氏の役目でしょ」


 訂正する気にもなれず、俺はエレナの腕を引いて裏通りへ入った。


 細い裏通りは午前中でも薄暗く、祭りの喧騒が遠くに霞んでいた。ひんやりとした風が熱を帯びた頬を少し冷ます。


「エレナ、大丈夫か?」


 声をかけた瞬間、エレナは言葉もなく、ふわりと俺の胸に顔を埋めた。


 シャツの胸元が、彼女の涙でじんわりと濡れていく。細い肩が、かすかに震えていた。


 俺は腕を回し、その華奢な体を優しく包み込んだ。背中を軽くさすり、髪をゆっくり撫でるたび、震えが少しずつ和らいでいく。


「エレナって、泣き虫なんだな」

「そんなこと……ないもん……」


 顔を胸に埋めたまま首を振るエレナ。


 まったく説得力がなかったのである。


「さっきの話……やっぱりエレナの家か」


 小さくうなずいてから、涙に濡れた異なる色の瞳が俺を見上げた。


 その顔を見た瞬間、心が切り刻まれるように辛かった。戦場で受けたどんな傷よりも、ずっと。


 エレナには、夢が叶って、幸せになって、ずっと笑ってほしいと思っているから……。


「ごめんなさい……、家名のこと、ずっと黙ってて……」


 潤んだ瞳がまた震えだした。


 隠し事をした後ろめたさか。傭兵をしていた俺からすれば素性を隠すことが日常茶飯事だがな……。


「全然気にしてないよ」

「ふぇ……?」


 一瞬、エレナはぽかんとした顔をした。


「エレナはエレナ、それ以上でも、それ以下でもない」


 アリストパウロス家の長女としてのエレナは、俺は知らない。


 俺が知っているのは、夢に向かって頑張る錬金術師のエレナだけだ。


「……うん」


 うなずきながら、彼女は小さな声で答えた。それから、目の端に溜まった涙がつっと頬を伝った。


「だから、家名を明かさなかったことに後ろめたさを感じなくていい」


 腕の力を緩めると、エレナがまた額を胸に押し付けてきた。


 これは……離さないでってことか。本人が言った通り甘えん坊だな。


 仕方なく、俺は黙ってまた腕に力を込めた。こうなった以上、エレナが満足するまでこうするしかない。


「それだけじゃないの……」


 少し間をおいて、エレナがぽつりと言葉を零した。どうやら彼女が悲しむ理由は他にもあった。


「実家にいた頃……思い出したの……。居場所を失ったって、思い知らされた……」


 小さく震える声は俺の芯まで響き、どんな音よりもはっきり聞こえた。


「怖いの、また失うのが……」


 その言葉に、胸の奥が締め付けられた。


 師匠が亡くなった後も、傭兵団が壊滅した後も、俺は何度も夢で過ぎた日々を見た。


 そして目覚めるたびに、喪失感に襲われた。『ああ、あの日々はもう戻らない』って。


 だから、エレナの気持ちは痛いほど分かった。


「失わせないさ」

「……」


 びくっと小さく震えてから、エレナが脱力するかのように体重を預けてきた。どんな表情しているか分からないが、俺はそのまま耳元で静かに言葉を重ねる。


「エレナの居場所は、俺が守ってあげるよ」


 一瞬の沈黙の後、彼女はおもむろに顔をあげた。しかし、視線が合うとすぐに目をそらし、その長いまつげを伏せた。


「……ほんとう?」

「ああ、エレナがゴールドランクに上がるまで契約を何度も更新するよ。もしこの国での暮らしが気に入ったら、王国籍取得の支援もするからな」


 これで、少しでもその不安を和らげたらいいな。


「そこまで言われるともっと欲しくなっちゃう。私、一応商人の娘だから欲張りだよ?」

「え、それ以上何が……」

「……もっと、ずっと長い契約とか、ね?」


 エレナは上目遣いで見つめてきて、囁くように言葉を紡いだ。


 ふむ、もっと長い契約か。今は2年ごとに更新するようにしているが、商人同士なら5年契約とか10年契約はあり得るか……。


「い、いえ、なんでもない……です」


 あ、また顔をそむけた。今のはなんだろう?


 ……さてと。


「じっとしてくれ」

「ひゃぅ……」


 エレナが完全に落ち着いたのを確認して、ハンカチで顔を拭いてあげた。


「気分転換にアイスを食べようか?甘いものを食べると幸せな気分になるらしいぞ」

「私はもう十分満たされてます……。あっ、えっと……これ以上重くなっちゃうのは困るって話です!」

「エレナは全然重くないって」


 さっきまでくっついていたから改めて思ったけど、彼女、相変わらず細いのだ。


「うぅ、でもぉ……」

「仕方がないな。よっと」

「ひゃあ!?」


 俺はエレナをお姫様抱っこで軽々と抱き上げた。


「ほらね、全然重くない」

「あわわわっ!おろしてください」


 驚きのあまり、小鳥のようにじたばたしていてかわいい。


「どうしようかな。このまま騎士団に向かって、エレナの軽さを証明するのも一興かもしれないな」

「そんな~」

「アイスを食べるか、このまま騎士団に向かうか。さあ、選ぼう」

「そんな二択はずるいですぅ!」

「じゃあ?」

「ヴィルのイジワル~!」


***


 結局、肩を並べて、アイスを食べながら騎士団に向かうことになった。エレナはピーチ味、俺はメロン味アイスを選んだ。さっきのことが嘘かのように、彼女はおいしくアイスを食べている。


「んん~おいしいです!」


 ちろちろとアイスを舐めるエレナはまるで小動物のようで、思わずその愛らしい横顔に見惚れた。


 さっきの彼女の辛そうな表情に心がざわついたけど、今はあの顔に、さっきとは違う意味で心臓が早鐘を打っている。


「ん?どうしましたか」

「あ、いや別になにも……」


 じっと見つめたのがばれてしまった。


「あっ、もしかして、ピーチ味アイスが気になります?」


 あれ、この流れって前も……?


「はい、どうぞ~」


 やっぱりこうなった!


 満面の笑みで差し出されたアイス、断れないっ……!


 長引くとかえって目立つから、思い切ってやるしかない。


 パクっとエレナのアイスを一口食べた。


「ああっ!ヴィル、食べすぎですよ!」

「ごめん」

「代わりにメロン味アイスを食べさせてください!」

「わ、分かった」


 アイスをエレナの方に差し出すと、彼女もまた身を乗り出すように近寄ってきた。


 むにゅ。


 胸が腕に当たった……。意識しないようにしていたけど、やっぱりちょっと大きくなっていない!?


「食べられた分、取り返しちゃいますね!」


 そう宣言してから、エレナがちろちろとアイスを舐める。猫のように慎重で、いかにも育ちのいいお嬢さんらしい食べ方だ。俺と正反対に、彼女はゆっくりと味わうから、すれ違う人たちの視線を集めていた。


 しかも歩いているから、その柔らかさが離れたり、また押し付けられたりして、意識せずにいられなかった。


「メロン味もおいしいです~♪」

「お、おう。それはよかった」


 食べさせあった後も距離が近いままで、時折腕に柔らかな感触が伝わってくる。


「えへへっ、幸せな気分です」


 ……。


 アイスの話だよね。


「そうだろ。こういう時は甘いもの食べるべきだって」

「うん、本当にありがとうございます。さっきのこと、私一人だけだったらどうなっていたか……。ヴィルが隣にいてくれてうれしかったです」


 はにかんだ笑顔を見せるエレナ。


 その笑顔のためなら、いくらでも隣にいてあげたい。


 けど、俺も『また失うのが怖い』という悩みを抱えているから、言葉にできなかった。


 ……でもそれはいくら考えても解決しない問題だから、今それは心の奥にしまっておこう。


「あっ、時間が!ヴィル、早く騎士団に行きましょう。あまり待たせるのはよくないですよ」

「ああ、分かった」


 今考えるべきなのは、この建国祭でどうやってエレナに最高の思い出を作ってあげるかだ。


 そして、その時に彼女がどんな顔を見せてくれるのか。今から楽しみだ。

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