百戦錬磨の戦士にも休息は必要である
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「お帰り、ヴィル!」
この数日ずっと心配していたけど、その心配が嘘みたいに今は元気な声を出せた。
疲れ切ってふらふらしていたヴィルが一瞬目を丸くして、すぐに柔らかい微笑みを見せてくれた。そして彼は口を開いて何かを言おうとして――
その言葉が声にならず、彼は力なく私に倒れ込んできた。
ヴィルの重さが全身にのしかかり、私は後ろによろめいた。
「……ヴィル!?ヴィル!!!」
心の奥底から湧き上がる不安に、全身が凍りつく。
ヴィルの帰還で胸がいっぱいだった私は、喜びが一瞬で吹き飛び、頭が真っ白になった。
「エレナちゃん!?何があったの?」
叫び声を聞きつけたのか、リリアが駆けつけてきた。私は視界が涙でぼやけて、彼女の表情がはっきり見えない。
「ヴィルが……ヴィルが……!」
息が浅く速くなって、胸が苦しくて、言葉が喉に詰まった。ヴィルが倒れていること以外どう説明するか分からない、ただ震えるばかりだった。
「落ち着こう。まずは深呼吸して」
「すー、はー……」
呼吸を整えると体の震えが少し収まった。
「……これは、もしかして霊体疲労か。ヴィルってやつまた無理をしたようだな」
「霊体疲労……?」
落ち着いていると、私は同調の力でヴィルの状態を感じ取ることができた。魔力パスがめちゃくちゃになって、霊体が酷い有様になっている。肉体で例えると、血管と筋肉がズタボロになっている状態なのだ。これが、霊体疲労ということかな……。
「とりあえず彼をベッドに運ぼう。私も手伝うから」
「そ、そうですね」
身体強化すれば何とかなりそう気がするけど、自分より体格が大きい人をどう運べばいいか分からないから、リリアの提案に甘えた。
私達はヴィルを部屋に運び、装備を外してベッドに寝かせた。
「ヴィルの特殊体質を知っている?」
すると、リリアが話の続きをしてくれた。もちろんヴィルの体質はもう知っている。同調を行った瞬間でお互いの霊体について知り尽くしたから。
「うん、ヴィルの魔力は体の許容範囲を無視して、異常な速さで湧き続けることですね」
「知っているなら話が早いね。肉体を酷使すれば倒れるように、魔法を使い続けると霊体疲労が発生する。ただし、通常はそうなる前に魔力が枯渇してしまうから、魔力回復薬を飲み続けながら魔法を使わない限り、ほとんど起きない現象なんだ」
私は魔力枯渇で倒れたことがあるけど、それは例えるなら疲れというより、飢えか渇きに近かった。
「それってつまり、ヴィルの体質なら普通に起こる可能性がありますよね」
「その通り。でもさ、ヴィルは鍛えられている戦士で、強靭な肉体と霊体を持っているはずなんだから、よっぽど激しい戦闘じゃなければ、彼は霊体疲労で倒れないはず。いったい任務でどんな敵に遭遇したのやら……」
ヴィルが無理してまで戦う敵……。戦闘経験に乏しい私には全然想像できなかった。
それにしても、リリアの冷静な口ぶりからして、ヴィルは霊体疲労が理由で倒れたのはこれで初めてじゃないようだ。
「ヴィルは以前にも同じ理由で倒れたことがあるんですか」
「そうだな。私が知っている限りは数回あった。一番ひどかったのは魔王討伐の時だったかな」
「あの時、ヴィルがどうなっていたか教えてくれますか」
何も知らないのは怖い。過去の経験から少しでも現状を把握できれば……。
「……そうだね。面白い話じゃないけど、エレナちゃんが知っておいた方がいいと思う」
「うん」
あの時のことを思い返しているからか、リリアの視線はふと遠くに泳ぎ、微かな緊張がその表情に滲んでいた。
「『太陽の剣』と魔王の戦いは熾烈だった。半径2キロほどが近づけない激戦区となり、私たちも魔王軍を牽制するだけで精一杯だった」
リリアは強襲部隊にいて、魔王軍の精鋭部隊と戦っていたようだ。
「そんな時ゲートから新たな軍勢が現れて、一時どうなるかと思ったけど、魔王二体が倒されて、その手下がゲートの向こうまで消えた時、やっと勝ったと感じたんだ」
その前置きをして、リリアが本題に入る。
「安全を確認した直後、軍医と共にジルバルド様とヴィルの元に駆けつけたけど、その場で立っていたのはジルバルド様とクリスティーナ様のみだった」
「……他の人は?」
過去の出来事で彼らが無事と分かっていても、やっぱりこの話は怖いと思ってしまう。
「他のみんなは意識を失っていたさ。魔王を倒したジルバルド様とクリスティーナ様でさえ話す余裕のない状態だった。後で分かったけど、ヴィルが体を張って倒れていた仲間を守ったと」
「ヴィルはやっぱり盾役を務めたんですか?」
騎士だったからその役割を担っただろうと考えた。
「盾役は守りに特化したメンバーに任せていたな。ヴィルの役割はね。他のメンバーみたいな飛びぬけた能力を持っていないけど、多芸多才な彼は戦況に応じて空いている穴を埋めるオールラウンダーを務めていたよ」
「そうなんですね」
ヴィルは個の力が強いけど、チームで戦う場合は特化した人に劣るのは戦闘経験のない私でも分かる。それでも、彼が認められて、彼しかできない役割を任せてもらえたのは、なんだか自分のことのように嬉しくなる。
「あ、ごめんなさい。話を逸らしてしまって……」
「気にしないで。ちなみにゲートの出現から魔王討伐まで一連の事件が映画化されるらしいよ。建国祭に合わせて第一弾が上映されるから、この話が気になるなら是非」
「それは興味深いです」
この国にとっては大事件だったから、きっと私以上に興味がある人が多いよね。
「話を戻すけど、数人が霊体疲労で意識がなかなか戻らないままでいて、ヴィルがその一人だった」
……。
「そういう時に備えて用意されていた霊体回復薬のおかげで、彼らは次々と意識を取り戻したが、ヴィルだけはそうはいかなかった」
霊体回復薬は霊薬クラスだから、悔しいけど今の私の技術では作ることすらできない。それほどの代物でさえ、効果がないなんて……。
いえ、後ろ向きに考えちゃダメ。今は役に立てなくても、今後のために理由を知っておかなくちゃ。
「そんな……。どうしてそんなことに……?」
「軍医によるとヴィルは体質のせいで、霊体疲労状態に陥ったら一般人より回復に時間がかかる。軍医が使った例えは確か……、洪水発生中に決壊した堤防を修復するみたいなものとか」
魔力パスがボロボロになっている状態で魔力が止め処なく流れ続けることだね。
「つまり魔力回復が早いせいですか」
「それが問題の一つなんだな。最大の問題は魔力が体の許容量を無視して回復し続けることだよ。余剰分を体外に放出する必要があるから魔力パスが必然的に使われるんだ」
なるほど……。それで霊体の修復が難しくなると。
私は小さく頷いて、彼女の次の言葉を待った。
「結局ジルバルド様が自分のために特別に用意された霊体回復薬をヴィルに使わせて、彼は一週間後に意識が戻った」
「一週間も!? そ、そんなに……!」
一週間もかかったと聞いて、胸の奥がざわざわと騒いで、不安が広がっていくのを感じた。
「安心して。ヴィルが自力で戻ってきたから、あの時みたいな深刻なことにはならないよ」
そ、そうよね。戦闘の直後倒れたのと違って、ヴィルが家まで戻って来てくれたもの。きっと大丈夫……。
そう考えると少しは胸をなでおろした。
「これは内緒話だけど、その後ジルバルド様がクリスティーナ様の休養と北方地域の視察という名目で凱旋式を遅らせたんだ。ヴィルが元気になるまでに」
「やっぱり仲がいいんですか。お二人は」
王族のために用意されたから、その霊体回復薬は高品質なものだろう。王子はそれをヴィルに譲ったし、彼が本調子になるまで凱旋式を遅らせた。普通の主従関係ではありえないと思う。
「うーん、そうだね。傍から見てもジルバルド様はヴィルに信頼を置いているし、尊敬の念もあるかな。ヴィルは彼に武術を指導していたから、自然とそういう関係になったんだと思うよ」
ヴィルの言動と立ち振る舞いではそう思わせないけど、彼のことを聞けば聞くほど、すごい人なんだなと思う。
「いろいろ教えてくれて、ありがとうございます」
「いえいえ、大したものじゃない。……それで、少し気が楽になった?」
「はい、おかげさまで」
リリアと話しているうちに、ヴィルの状況が少しずつ見えてきて、最初のような胸を締め付ける不安は少し和らいだ。
「晩御飯は私が簡単なものを作るよ。エレナちゃんはヴィルの傍にいてあげて、きっと彼もそれを望んでいるから」
そう言い残してリリアが部屋を後にした。私としてもその心遣いはありがたい。おそらく私はご飯を作るのに集中できないから……。
「……ヴィル」
身を乗り出して彼の顔を覗き込む。
ヴィルは微かに眉を寄せて、時折苦しげに呼吸をしていた。彼の顔には何かを耐えているような苦しみが滲んでいた。
私がいなかったら、ヴィルは一人でこの辛さを耐えていたのだろうか。そう考えると、悲しみがこみ上げてきて泣きそうになった。
「私が傍にいてあげなきゃ」
小さく震える手を彼の頬に添えて、溢れる思いが言葉となった。
気がつけば役に立ちたい、支えてあげたい気持ちがいっぱいで、居ても立っても居られない。
「私にできることはないかな……」
今の技術では霊体回復薬を作れない。リリアの言った通り霊体疲労は珍しい現象だから、その回復薬の需要が少なくて、錬金術師ギルドやポーション店に在庫があるかどうか分からない。
「霊体回復薬の効果を含む上位霊薬はあるけど、手を出せる値段じゃないんだよね……」
傷んだ魔力パス、溢れ出る魔力……。
私にできること、私にしかできないこと……。
「あっ!」
あるかもしれない!『同調』のパートナーである私にしかできないことが!




