辛いのは程々に
――彼女に目を奪われ、心を奪われ、そして今、命をも奪われかねない状況に立たされている。
時を遡ればこの街に到着し、まずは腹を満たそうと香りに誘われてとある店に入店したのが事の始まりだ。
店の扉を開けると香しい香辛料の香りが充満しており、故郷でも食べた事のある料理なのだと確信めいて席に座った。
着いた席の先には麗しくも女性らしさが強調された者が、汗を搔きながらも美味しそうに食事をしている姿が視界に入る。
私は腹が減っている事もあり、辺りに充満する香りと、美味しそうに食事をする女性を見た事で思わずごくりと唾を吞み込んでしまった。
これでは只の変態ではないかと、自分を戒めつつ注文をしようとした所で、件の女性が食べ終わったのか先に口を開いた。
「今日のも美味しいー! 私はもう少し辛くても大丈夫かも!」
そう告げられた店主であろう小柄な女性は、喜びつつ件の女性に新たな器を差し出した。
件の女性は眼を輝かせながら器と受け取り、カパ粉焼きに汁を付けて食していく。
再度食べ始めた件の女性からは汗が滲み出し、キラキラと宝石の様に光り輝いて見えてしまう。
視線を奪われていた私に店主の女性が話しかけて来た。
「御注文は何にするんな?」
「あ、あぁ、オススメの物を……いや、あそこの彼女と同じ物を頂けますか?」
私がそう告げると、店主は花が咲いた様に嬉しそうな顔をして言葉を返してきた。
「お客さんもいける口なんなー! 頑張って作るんな!」
「え? はい、よろしくお願いします?」
私は少しばかり疑問を浮かべつつも、料理を待つ間軽く周囲を見渡していた。
すると違和感を感じた。
どの客も食事を楽しんでいるのだが、しっかりと汗を搔いているのだ。
中には滝のような汗を搔きながらも、食べる手を止めようとしない。
それはまるで何かに取り付かれたかの様に――。
「お待ちどおさまなんな! 当店自慢のカレーをどうぞなんな!」
差し出された器からは湯気がうっすらと立ち上る。
と、同時に鼻から吸われた香辛料の香りが喉に襲い掛かり、私は思わず咳き込んでしまう。
「な、何だこれ?」
「ナンの事なんな? それはカパ粉と――「いえ、このカパ粉焼きの事ではなく、こっちのカレーの事です」」
「先祖代々伝わる自慢のカレーなんな! これはちょっぴり辛いけど美味いんな! でも常連のお姉ちゃんに怒られたからこれはサービスであげるんな」
そう言って店主が白い液体が入ったグラスをテーブルに置いた。
どこから手に入れたのか、グラスには氷まで入っている。
作ってもらった物を無碍にする訳にもいかないので、私は匙を手に取り、カレーを掬う。
申し訳なさそうに視線を送る店主ににこりと微笑み言葉をかける。
「大丈夫ですよ。故郷にもカレーはありましたし、こうみえてそれなりに辛いのも食べてきましたから」
「それは嬉しいんなぁ! 良かったらまた後で感想を聞かせて欲しいんな!」
店主はぺこりとお辞儀をすると厨房へと戻って行く。
そして私はふっと微笑み、何の覚悟もせぬままに匙を口に運んでしまったのだ。
「かっっっ――!?」
らいっ!
辛い、辛い、痛い!?
何を使えばこんなにも辛く、そして痛い料理になるんだ!?
私は声にならぬ声を抑えつつ、目の前にあった飲み物で口の中を緩和しようと手に取った。
その飲み物の優しい甘さに癒されると、口に残った料理の余韻が不思議とカレーへと手を動かしていく。
「大丈夫ですか? 無理しないほうがいいですよ?」
汗を滝の様に流す私にそう声を掛けたのは、先程までカウンターに座っていた麗しい女性だ。
私は手を軽く挙げ問題ないと声を出そうと思ったが、返事をする事は出来ない。
「私と同じのだと結構辛いでしょ? この子の商会が作ってるトッポって色んな種類があるんですけど、この子自身辛いのが好きだから食べれる人が来ると嬉しくなって調子に乗っちゃうんです」
「んなぁ~……」
店主が照れながらも申し訳なさそうにするが、私は軽く首を振り何とか声を振り絞る。
「問題ないでず。だじがにがらいでずげど、味は一級品ですから」
そうなのだ。
このカレーは確かに辛い。
辛いし痛いし、食べるのが苦痛な筈なのだが、手を動かしてしまうのは美味いからだ。
「そう言って貰えると嬉しいんなぁ~! お姉ちゃん、お土産のカレーパンが出来たんな!」
「ありがとっ! じゃあお先に失礼します」
麗しの女性はぺこりと頭を下げてその場を後にする。
ふと視線を女性が座っていたカウンター席に向けると、綺麗に完食した皿を店主が下げていた。
負けてれられないな。
対抗心を燃やした私の内臓が後日熱く燃えそうになるのを、今の私は気づいていなかった――。
◇◇◇
「――え~? 今日の予定なくなっちゃったの?」
自室で椅子に腰をかけ、クレアールに髪を梳かれながら今日の予定を確認していた私に、クレアールがそう告げた。
「はい。マリサ様と滞在されてるレイン様向けの衣類や貴金属を扱う商人様との顔合わせがあったのですが、どうやらこの街に来てから体調を崩された様ですね」
「どうせ胸が強調されるドレスとかでしょ? いらなぁい。それなら新しい短剣とか動きやすい服とかの方が欲しいのよね」
「マリサ様はそう言うと思ってましたが、レイン様は凄く楽しみにされてた様で――「お姉様っ!」」
勢い良く開かれた扉の先には烈火の如く怒るレインと、申し訳なさそうに控えるミザリーの姿だった。
「聞きましたか!? 楽しみにしてた商人が来れなくなったらしいのです!」
「聞いたわよ。誰にだって体調不良の時はあるんだから仕方ないじゃない。それに体調が治ったら直ぐ顔を見せに来るでしょ?」
ぷんぷんと怒るレインを宥めようと声を掛けるが、レインの気は治まらない様だ。
「だってお姉様とお揃っ……じゃない! こ、こちらの品々を見てみたかったんですっ!」
「ん~……。クレアール? 私が昔着てたドレスってまだあったかしら?」
「勿論ございます。お持ちしましょうか?」
「お願い。このままだとレインがずっと怒ってそうだもの」
「畏まりました」
その場を後にしたクレアールは、少しの間を置いてから他の侍女を引き連れて様々なドレスや貴金属を部屋に並べ始めた。
レインの怒りの表情はどこへやら。
今では目を輝かせながら、色とりどりのドレスを試着している。
「お姉様っ! こちらのドレスはいかがでしょう!?」
「あら、良く似合ってるわよ。クレアール、少し手直ししてあげて。このままだと少し大きいみたい」
「えへへへへ」
笑っていれば本当に可愛い娘なのよねこの子は。
「一人だけドレス姿だと恥ずかしいです。お姉様も一緒に着ましょう?」
「はいはい。ちょっと待ってね」
私は立ち上がり、普段着ていたドレスをクレアールに着つけて貰おうとするのだが、以前よりも少し抵抗を感じるのは気のせいだと信じたい。
目の前にいるクレアールとふいに目が合うと、彼女は口だけを動かして私に告げる。
「(やっぱり太りましたね)」
その言葉で今日から暫く辛い日々が続くのだと理解した私は、ドレスの試着会を始めた事を後悔するのだった――。
新作の連日更新はここまでです。
こちらの作品はのんびりと更新する予定ですので、
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