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朝、目が覚めたら良い天気だった。風もそんなに無い。
今日はアッシュさんの話を聞く日だ。ちょっと緊張する。アッシュさんは「人を傷つけた」といった感じの事を言っていた。
心理的な傷と言うこともあるよね。ってちょっと現実逃避してみる。アッシュさんの胸にあれだけ大きな傷があって心理的な傷と言う事は無いよね。
着替えて階下に降りる。今日は2人共休みだから、朝御飯だけで良いけど、スープはどうしよう。
考えながらリビングに行ったらナイオンが居た。私の足音を聞き付けたのか、お座りをして、ゆっくり尻尾を揺らしている。
「ナイオン、もう来てたの?」
そう言うと、ナイオンが「外に出よう」というように私をグイグイと押した。
「待っててくれたんだね。分かった。庭に出ようね」
ナイオンと一緒に庭に出る。
大和さんは瞑想をしていた。大和さんの他には誰も居ない。
「ナイオンは久しぶりだね」
瞑想している大和さんには靄が見えるんだけど、奉納舞の時は炎の様だった靄の色が、黄色っぽいと言うか銀杏や秋の黄葉みたいな感じになってる。昨日は気が付かなかった。
瞑想を終えた大和さんが立ち上がった。
「咲楽ちゃん、おはよう」
「大和さん、おはようございます」
挨拶をしてから大和さんは舞台に上がる。サーベルを2本持って舞い始めた。
昨日よりはっきり見える紅葉の舞い散る様子が、庭の木々と重なって見えた。
「綺麗だね。ナイオンにも見えてる?」
ナイオンに声をかけて頭を撫でると、猫のようにゴロゴロと喉をならした。
大和さんの舞が終わった。
舞台を降りた大和さんにナイオンが飛び付いていく。
弾けるように笑い出す大和さんを見ていると、楽しそうだと思う。混ざりたいとも思うけどあのナイオンにもみくちゃにされて平気でいる自信はない。
「ほら、満足しただろ。そろそろ退いてくれ」
大和さんがそう言って、ナイオンが大和さんの上から離れた。
「咲楽ちゃん、おはよう。スープってもう作っちゃった?」
「いえ。今日はスープは作ってないですけど。時間がなくて作れなかったので」
「ちょうど良い。市場に行かない?」
「行きたい!ですけど、ナイオンはどうするんですか?」
「連れていこうかって思ってたんだけど」
チラッと大和さんがナイオンを見ると四阿に歩いていく途中だったナイオンに「え?」って感じで見られた。
「どうも、あの場所がお気に入りみたいでね」
「日向ぼっこしているみたいですよね」
そのまま丸くなって寝始めるナイオンを見て、大和さんは諦めたように言った。
「ナイオンに留守を頼んで、2人だけで行こうか」
「はい」
「じゃあ、ちょっと待ってて。シャワーを浴びて、着替えてくるから」
「ナイオンと居て良いですか?」
「寒くないなら良いよ」
四阿に歩いていって、ナイオンの近くに座ると、ナイオンが側に来てくれた。
「ナイオン、咲楽ちゃんを頼んだぞ」
「庭なんですから大丈夫ですよ」
そう笑って言ったら頭を撫でられた。
大和さんがシャワーに行ってから、思った。市場に行くのに、この格好で行くの?
「ナイオン、ちょっと着替えてきて良い?」
そう言って立ち上がるとナイオンも立ち上がった。
「家に行くだけだよ?」
そう言ったんだけど、一緒に家の中まで付いてきた。そのままナイオンはリビングの方に行く。
「あ、ちょっと待って」
リビングの隅にナイオン用に買ってあった若草色の絨毯を出して、深めの木皿に『ウォーター』で出した水をいれて置いておく。
「お水、置いておくね。じゃあちょっと着替えてくるね」
若草色の絨毯に寝そべったナイオンはそのまま目を閉じた。
自室に上がってお出掛け用のワンピースに着替える。今日は髪は結ばない。一応シュシュは持っていくけど。コートを羽織ってリビングに降りる。大和さんはまだのようだ。
「ナイオン、お待たせ」
そう声をかけると庭に出させられた。そのままナイオンは四阿に歩いていく。
「そこが気に入ったの?お水を持ってくるから、待っててね」
一旦家に入ってリビングの絨毯を片付けて、ナイオンのお皿をもって庭に出る。四阿のナイオンのところに行って再び座って、大和さんを待った。
「咲楽ちゃん、お待たせ」
大和さんはそう言って庭に出てきた。
「着替えたんだね。可愛い。じゃあ行こうか。ナイオン、ちょっと出てくる」
庭から外に出る。
「大和さん、結界具の設定って」
「ちゃんと変えて出てきたから大丈夫。どっちの市場に行く?神殿?西街?」
「大和さんが休みの日に行くのはどっちですか?」
「その日によってまちまちだね」
「じゃあ、どうしようかな。神殿の方で良いですか?」
「OK」
手を繋いで歩く。
「私服でのお出掛けって久しぶりです」
「そうだね。先月は一緒にお出掛けって出来なかったしね」
「朝の市場って初めてです」
「そっか。そうだね。夜と違って、かなりな人出だから、手を離さないでね」
「はい」
市場に着いてビックリする。賑やかというか、喧騒というか。
「すごいですね」
「朝だしね」
食べ物の屋台の集まっている所に向かう。
「フードコートみたいですね」
「そんな感じだね。何が食べたい?」
「何がって、何があるのか分かりません」
「スープ系はあっち、サンド系はあの辺かな。飲み物はこっちに固まっている。ちょっとした朝食セットはあの辺だね」
「朝食セットって?」
「以前ゴットハルトとエスターが持ってきていたでしょ。あんな感じ」
「パン無しでしたよね。じゃあ、それと温かい飲み物で」
「こっちだね」
人混みを縫って進む。大和さんに手を握っててもらわないと、1人じゃ進めなかった。
朝食セットはいろんな種類があった。お肉たっぷりのガッツリ系や野菜の多いバランスの取れたのとかもあった。私は野菜多めにフルーツが付いたセットを、大和さんはバランスの取れたセットを選んだ。
「温かい飲み物ってスープとお茶があるけど」
「お茶が良いです」
再び大和さんに引っ張ってもらって、お茶のコーナーに着いた。いろんな種類がある。紅茶や、フルーツティーもあって目移りしてしまう。その中に私の好きなミルクティーを見つけた。
「大和さん、あれが良いです。あのミルクティー」
「はいはい、ちょっと待ってね」
ミルクティーを買って、大和さんはコーヒーを淹れるって言うから、市場の出入り口に向かって歩き出す。
「咲楽ちゃん、パンだけ買ってって良い?」
「はい」
いつものパン屋さんに行くと、ヴァネッサさんがいた。
「天使様、いらっしゃい」
「ヴァネッサさん、おはようございます」
やや声を潜めて挨拶してくれたヴァネッサさんが側に来てくれた。
「黒き狼様とご一緒なんですね」
「今日は2人が休みなので、朝食を買いに来ました」
「屋台の方がいろんな種類がありますのに」
「ヴァネッサさんのパンが良いんです」
「嬉しいことを言ってくれますね。最近ね、こんなのも作ってみたんですよ」
示されたのは、ナッツがたくさん入ったソフト系のパンとベリーが入ったパン。
「旨そうだな」
「美味しそうです」
2人の声が重なった。思わず顔を合わせる。
「他のパンより日持ちはしませんけどね」
「これ、3つ下さい」
「後、こっちのも」
「ナッツ入りが3つとベリーのはいくつ?」
「咲楽ちゃん、食べる?」
「食べたいですけど量が……」
「ベリーのは2個で」
悩んでる間に大和さんが買っちゃった。
「朝に無理でも、昼とかに食べたら?」
「そうします」
ヴァネッサさんの所をお暇して、家に帰る。
「ナイオンが待っていますね」
「案外寝てるかもよ」
そんな話をしながら庭に入るとナイオンが纏わり付いてきた。
「寂しかったの?中に入ろうか」
家に入ったら、まっすぐリビングの絨毯まで歩いていって、その上で寝転がった。
「寒かったのか?」
暖炉を入れながら大和さんが聞くと、しっぽがパタパタと揺れた。
「ナイオン語は難しいです」
思わずそう言ったら、大和さんに笑われた。
「朝食を食べちゃおう」
ナッツのパンとベリーのパンを1/4づつ切って、残りを紙に包んでおく。
「いただきます」
「あの人は患者さん?」
「常連で通ってくださってる方です」
「感じのいい人だね」
「だから困っちゃうんです。あの方、ヴァネッサさんって言うんですけど、何でも話したくなっちゃいます」
「何でも?」
「悩み事とか」
「聞いてくれるんでしょ?って言うか話しちゃった人ってあの人でしょ?」
「はい」
「信用できそうだったし、良いんじゃない?言いふらす人でもないでしょ」
「神殿地区の市場って見守ってくれてるって感じで好きです」
「そうだね」
朝食を食べ終わった頃に大和さんが言った。
「やっぱりみんなで来たみたい。咲楽ちゃん、ゴットハルトは引き受けるから、ダニエル達を頼める?」
「分かりました」
正直に言うと、対処なんてできるのか不安だ。
「サクラ様、トキワ様、申し訳ありません」
「直接お前を保護してるのは私だ。私も聞くべきだろう」
「ゴットハルト、ちょっと来てくれるか?」
大和さんがゴットハルトさんを連れて、ダイニングの方に行った。
「申し訳ありません」
「アッシュさん、気にしないで下さい」
「サクラ様、私にもアッシュの話を聞かせてください」
「ダニエルさんもエイダンさんもシンザさんもラズさんも同じ気持ちですか?」
「オレ……私達も聞きたいって気持ちはあるんですが」
「私は皆さんがあの場所で暮らしてた訳を知りません。だけどそれぞれ事情がありますよね。それをみんなに聞かれて平気ですか?」
「それは……ヘリオドール様1人にだったから話せましたけど」
「ですよね。ですから今回は遠慮してください」
「私はアッシュの妹です。それでもですか?」
「はい。ブランさんもアッシュさんに話せない事って無いですか?」
「あり……ます」
「皆さん、心配されてるのはわかりますけど、今回はすみません」
「サクラ様にも秘密はありますか?」
「ありますよ、たくさん。ほぼ大和さんには知られちゃいましたけどね」
「それを1つ教えてください」
「ダニエルさん、オレが話せないのとこれとは違います。サクラ様を困らせないで下さい」
「ん~、私が秘密にしている事ですか……魔法属性ですね」
「魔法属性?」
「この事は神殿のエリアリール様、スティーリア様、王族の方達、施療院のみんな、ゴットハルトさんしか知りません。出来れば騒がれたくないんです」
「サクラ様、良いんですか?」
「そうしないと納得されないでしょう」
「属性がどうかしたんですか?私だって3属性持ちですよ」
「私は5属性です。魔力量も人より多いです」
「5属性!?嘘でしょう?」
「使えるのは火属性以外ですね」
「本当に?」
「信じられませんよね。でも本当です。お疑いなら、ゴットハルトさんに聞いてみてください」
「本当だ。シロヤマ嬢はそれが出来る。アッシュの肩の痛みを取ったときも一度に光と闇と水と風を使っていた」
「ゴットハルトさん」
「いったん帰ろう。アッシュも私達がここに居たら話し難いだろう」
「居てもらっても良いぞ。聞こえなくするからな、咲楽ちゃんが」
「何をなさるんですか?」
「結界を張ります」
「は?結界って、防犯用の結界ですか」
「いえ、そうじゃなくて。えっとお見せした方が早いですよね」
「咲楽ちゃん、ダイニングで」
「分かりました」
昨日の練習でイメージが固まっていたせいか、昨日より早く結界が張れた。
「咲楽ちゃん、こっち側ってもう少し曇らせる事って出来る?」
曇りガラスをイメージする。
「良い感じ。こんな感じだ。納得してもらえたか?」
「これって声は漏れないのか?」
「そのはずだ。誰か試してみるか?」
ダニエルさんとエイダンさんが恐る恐る入ってきた。
「中は変わらないんですね」
「強度はどのくらいですか?」
「強度ですか?お部屋くらい?かな」
鉄筋コンクリートの部屋だけど。3人で話していたら、外からノックされた。
「そろそろ良いか?」
大和さんがアッシュさんを連れて入ってくる。ついでにナイオンも。入れ違いに2人が出ていった。
「トキワ様、サクラ様。申し訳ありません」
「それは話をすることか?それともみんなが付いてきたことか?」
「どちらもです」
「後者は不可抗力だろう。本題に入ろうか」
「はい。トキワ様にお聞きしたい。貴方は人を殺したことはありますか?」




