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「シロヤマさん、いいかな?」
ライルさんが診察室に来た。
「この前言ってた栄養の話ね、料理長に話したら引き受けてくれるって」
「本当ですか?ありがとうございます」
「それでね、何を知りたいのか教えてくれって言われて」
「えっと、主食となるもの、パン、パスタは私も分かるんですけど、他にあるのかって言うのと、肉類もこういうお肉だよって言うのと、食べさせたい野菜ですね」
「肉類って分かるよね」
「私には元が何なのか分からないので。鳥肉がダッケイって言うのは教えてもらいましたけど、後は元の世界の似たようなものを選んでいます」
「それだと事情を知ってる人の方がよくない?野菜は聞いておくよ。後は主食となるもののパン、パスタ以外だね」
「お願いします。でもどうしましょう」
「市場の肉屋に聞いてみるとか」
「どうやって?ってなっちゃうんですよね。だいたい味は知ってても元の姿を知らないんです」
「それは僕も同じだね」
「サクラちゃん……あら?ライル様、どうなさったの?」
「この前言ってた食べ物についての絵本の話、料理長に聞いて了解はもらえたんだけど、難しい問題が出てきてね」
「あら、なあに?」
「肉の種類」
「肉の種類?って」
「私は見た目で元の世界の似たようなものを選んでるんです。鳥肉がダッケイって言うのは教えてもらいましたけど、他が分からなくて」
「料理を習うって名目で聞いてみるとか」
「シロヤマさんが?料理ができない人の方がよくない?」
「サクラちゃん、お料理上手だもんね。って料理ができない人って私達かしら?」
「限定して言ってる訳じゃないけどね」
「ちょっとローズを呼んでくるわ」
「もし、ここに患者さんが来たらどうするんでしょう」
「だね。僕は戻るよ」
「お昼休み、ですかね」
「昼休みはネックレスの話じゃなかった?」
「長くなります?」
「貴族の結婚式に関することを含めればね」
「その話次第ですか」
「そうだね。まぁ、僕は戻るよ」
「はい。ありがとうございました」
「ライル様、私達が料理ができないって言うのは本当ですけど、料理を習わなければいけないってなんなのかしら?」
ローズさんが飛び込んできた。
「習わなければいけないって言ってないよ。料理を習うって名目で色々聞いてみたらって話をしていて、習うって名目で聞くなら、料理が得意じゃない方が良いんじゃないかなって言っただけだよ」
「あ、あら、そうなの?ルビーがそう言ってきたから」
「詳しく聞かないで飛び出したのはローズじゃない」
「あのっ、診察は良いんですか?」
「そうだね。3回目になるけど戻るよ」
ライルさんが出ていった。
「肉類の種類ってどう言う事?」
「鳥肉がダッケイって言うのは教えてもらったんです。でも元の世界の豚っぽいのと牛っぽいのが分からなくて」
「あら、アルマに聞いてみようかしら。アルマなら私が材料を教えて、って言ったら教えてくれると思うわよ」
「お願い出来ますか?」
「任せて」
「私は何か出来ないかしら」
「じゃあ、私の話を書き取ってください」
「分かったわ。今日のお昼休みもするの?」
「今日は……どうでしょう。時間があればですが」
2人は診察室に帰っていった。
お話、どうしようかな。好き嫌いの多い野菜とか分かんないし。
後覚えてるのはあるんだけど、こっちの世界観に合ってるかどうか分からない。お仕事紹介とか、みんな違う所があるから良いんだよって言うのもあったけど。魔法属性についてって言うのも良いかもしれない。でも魔術師様にちゃんと監修してもらった方がいいよね。
ヴァネッサさんが処置にやって来た。
「天使様、この前言ってた子育てで困ったことですけどね、近所の奥さんにも聞いてみたんですけど、やっぱりケンカで謝れないって言うのが多いですね」
「わざわざ聞いてくださったんですか?」
「天使様に私が治療を受けてるって知ってる人だけですけどね」
「ありがとうございます」
「何をなさっているのかは私には分かりませんけどね。天使様に協力したいって言うのはたくさん居るんですよ」
お仕事系で、パン屋の仕事の時はヴァネッサさんに聞いてもいいよね。
「天使様、この前の悩みは解決したんですか?」
「この前の悩み?」
「温かい家庭が築けるかって言ってたじゃないですか」
「あぁ、解決はしてないですけど、折り合いを付けるしかないんですよね」
「黒き狼様には言ったんですか?」
「言いました。でも自分で何とかしないと、って言いました。そしたら、待っててくれるって言ってくれました」
「良かったですねぇ。天使様の笑顔はみんなが幸せになりますよ」
「何ですか、それ。からかわないでくださいよ」
クスクスと笑うと、ヴァネッサさんに真剣に言われた。
「私の所には、けっこう冒険者達も来るんですよ。西の森の一件の後の冒険者ギルドでの話は聞きましたよ。吟遊詩人には話しませんでしたけどね。あれで天使様と黒き狼様のカップルを応援する冒険者達が増えたんですよ。煩わせちゃいけないからって出来るだけ普通に接するようにしてますけどね。だから天使様と黒き狼様が一緒に暮らしてるって知っても、冒険者達も言い触らしませんし、もちろん私達神殿地区の市場の者達も黙ってるんです。天使様が笑ってて、黒き狼様がそれを優しく見守っててって、それを見るのがみんなの楽しみなんですよ」
皆に見守られていた事を初めて知った。
「ありがとうございます」
頭を下げたら、ヴァネッサさんに笑われた。
「何を言うんですか。天使様に感謝してるのはこっちなんですよ。お礼なんてやめてください」
そう言ってヴァネッサさんは帰っていった。
その後も、患者さんは数人で、3の鐘が鳴って、休憩時間になった。
休憩室に入ったら、ローズさんとライルさんがいた。
「それで、ライル様、ネックレスの意味ってなんなの?」
パンに齧り付こうとしていたライルさんは口を開けたまま、動きを止めた。
「性急だねぇ。お昼位食べさせてよ」
「気になって仕方がないんですもの」
ライルさんは仕方がない、という風に肩をすくめて教えてくれた。
「ネックレスはね、首に付けるものでしょ。上級貴族になればなるほど、自分では付けない。だからそれを贈られて受け取ったってことは、貴女の命を守ります、貴方に命を捧げます、って意味になる。大抵そういった装飾品は男性から女性に贈られる。つまりはプロポーズだね」
「じゃあサクラちゃんはプロポーズされたって事?」
「トキワ殿が知ってればの話ね。騎士仲間から聞いてるかもしれないけど、シロヤマさんが知らないからね。プロポーズの意味はないと思うよ。それにトキワ殿ならもっと分かりやすくしそうだしね」
分かりやすいプロポーズ?日本で分かりやすいプロポーズって言うとあれだよね。
「サクラちゃんの元の世界のプロポーズってどんなのだったの?」
「結婚式といったら指輪ですね。プロポーズには指輪を使うのが代表的というか。指輪のケースを開けて、「結婚してください」ってするんです。色んなのがありましたけど」
「色んなの?」
「えっと、そういうのを避けてた時期もあったので、あんまり覚えてないんですが」
「避けてたって……」
「今はそんなことないですよ」
「それならいいけど」
「サクラちゃん、お話って思い付いてるの?」
暗い雰囲気を払拭するように、ルビーさんが明るく言う。
「ん~。もうちょっと考えたいです。今考えてるのは『ごめんなさい』っていう題名ですね」
「ごめんなさい?」
「ケンカして謝れない子も多いってヴァネッサさんが教えてくれたので。あ、それで、この前の「みんな仲良く」の蜂の名前なんですが、大和さんに聞いたらいっぱい出てきました」
「いっぱい?」
「書いてもらいました。これです」
書いてもらった紙を見せる。
「これ、トキワ様の字?」
「綺麗な、お手本のような字だね」
「この中から選ぶの?サクラちゃんはどれがいいと思うの?」
「アピスかホルニッセかなって思ったんですが」
「アピスかしらね」
「そうね。呼びやすいし」
「じゃあ、アピスで決定だね」
物語を書いた紙は、ライルさんが持ってくれてたらしい。名前の所にアピスと書き加えてくれてる。
「所長がみえませんね」
「星見の祭の打ち合わせで神殿に行ってる。ついでに絵本の話もしてくるって言ってた」
「ねぇ、サクラちゃん、言いにくいことかもしれないけど、聞いてもいいかしら。サクラちゃんって結婚に対して何かあるの?」
「何か?」
ルビーさんがおずおずと聞いてきた。
「どう見てもトキワ様とお似合いで、いつ結婚してもおかしくないって感じなのに、そういう予定がなさそうだし、トキワ様がって感じじゃないのよね」
「その、理由はあるんですけど、自分で何とかしないといけない事ですから。大和さんに待ってもらってるのは分かってるし、待たせてる自覚もあるんですけど、どうしてもそれを乗り越えないとっていうか、折り合いを付けないと進めないんです」
「それは何?って聞かない方が良い?」
「出来れば今は聞かないで欲しいです。すみません」
「結婚って大変ねぇ」
「ローズ、何を他人事みたいに言ってるの。来年には帰ってみえるんでしょ?ユリウス様」
「ユリウス様?」
「文官として赴任中のジェイド嬢の婚約者殿だよ。ユリウス・ヴェルーリャ殿、ヴェルーリャ子爵家の次男殿だね」
「ライルさんって……貴族の方のお名前とか、全て覚えてるんですか?」
「覚えさせられたしね」
「何でもない事のように言いますね……」
「トキワ殿の方がすごいと思うけどね。こっちに来てから全部覚えてるんでしょ?僕は小さい頃からだからね」
「そう考えるとトキワ様ってスゴいのね。強くて奉納舞の剣舞も綺麗だったし、頭も良いんでしょ?出来ないことなんて無いんじゃない?」
「出来ない事ですか?ありますよ。大和さん自身も言ってますし」
「何が出来ないの?」
「お料理です。壊滅的にダメらしくって、幼馴染みの人に絶対にするなって止められたとか言ってました」
「どれだけ出来ないのよ」
「見たことはないです」
「サクラちゃんがお料理出来るから良いじゃない」
「そうなんですけど」
お昼休みを終わって診察室に行く。待合室には誰も居ない。
「今日って患者さん、少ないですよね」
「そうねぇ。私達が暇なのは良いことじゃない?」
「やっぱり寒いから、出歩きたくないんじゃないの?」
「コルドって雪が降るって聞きましたけど、積もったりするんですか?」
「積もるわね」
「子どもの頃は喜んでたけどね」
「今は寒いだけだしね」
「3人共、寒いの苦手ですか?」
「やることないじゃない」
「家の中で居るしかないのよね」
「真っ白になってしまうのを見てるのは好きだけどね」
「雪だるまとか作らないんですか?」
「雪だるま?雪像は水属性使いが氷属性を習得するために、作ってたりするけどね」
何故か私の診察室で話を始める3人。刺繍をしてようかなって思ったけど、どうしようかな。
ひとしきりしゃべった後、3人はそれぞれの診察室に戻った。これで刺繍ができる。って違う違う。ここは職場。
でも実際、患者さんは来ないんだよね。私の常連の方はお昼までに来る方が多い。
刺繍を進めよう。金の糸での刺繍を1/5位終えた頃に、所長が戻ってきた。
「シロヤマさん、ちょっとよいかの」
「失礼します。お久しぶりです」
所長が神官さんを連れて入ってきた。あの頃何度か話したことのある神官さん。名前は知らないんだけど。
「お久しぶりです。どうかなさいましたか?」
「絵本の話をしたら、どう言ったものが良いか聞かれたんじゃが、ワシには分からんと言って連れてきたんじゃ」
「7神様のお話を、ということでしたが」
「はい。7神様がいらっしゃるということは、生まれたばかりの赤ちゃんを除いてみんな知っています。でも、成り立ちというか主神リーリア様との関係だとかって知らないって人もいるんじゃないかな?って思って」
「それでしたら神殿にいらしてくだされば、お話いたしますよ」
「幼い子が理解できるように、絵や文字で伝えたいんです。耳だけで聞くより耳と目を使った方が覚えやすいですよね」
「それはリーリア様や神々のお姿を描くということでしょうか」
「神殿に神像がありますよね。本当の神々はお姿を見ることができません。でもイメージはできます。別にはっきりとした絵でなくて良いんです。輪郭をぼかしたりそれぞれの属性の光が後ろから照らしているシルエットでも、こういうものだ、と分かれば良いんです」
「あぁ、そう言うことなのですね。何かあったのですか?こういった事を思い付かれたのは」
「星見の祭に迷子預かり所を作るって聞いて、迷子の子が退屈せずに待ってられるように、って思ったんです。絵のついた本があれば字の勉強にもなるし、って思って」
「なるほど。スティーリア様が気にしていらっしゃいましてね。聞いてきて欲しいと仰られましたので」
「スティーリア様が……。またお伺いしますとお伝え願いますか?」
「はい。お待ちしておりますね」
神官さんは帰っていった。
「すまんの、シロヤマさんに説明をさせて」
「いいえ。分かっていないと説明は難しいですよね。7神様のお話は、私が異世界の人間だから思い付いたことですし」
「どうもシロヤマさんがここに馴染んでおるから、異邦人だと言うことを忘れておるの」
「馴染めてますか?嬉しいです」
「良いことじゃ。困ることはないのかの?」
「分からなければ聞きますし、皆さん親切ですから」
所長は満足そうに頷いて自分の診察室に戻られた。
その後は数人診察したのみで5の鐘が鳴った。窓の外には大和さんとマルクスさんが見えた。2人で楽しそうに笑って話をしていた。何を話してるんだろう。
着替えを済ませて、施療院を出る。
「咲楽ちゃん、お疲れ様」
「大和さん、寒くはないんですか?」
「寒いから暖めてくれる?」
「大和さん?」
ちょっと睨むと苦笑された。
「じゃあ手だけ暖めて?」
「仕方ないですね」
大和さんの手を両手を握って息を吹き掛ける。
「サクラちゃんも大胆になってきたわね」
「あ、良いなぁ。ルビーもあれやって」
「何言ってるの」
そんな会話が聞こえてきた。そぉっと振り返ったら、みんなが見ていた。
「あ、続けて続けて」
ライルさんが笑って言った。慌てて手を離したら、大和さんが残念そうな顔をした。
「止めなくて良いのに」
「意識したら恥ずかしくなりました」
「手はつないでて良いでしょ?」
そう言って手を繋いでポケットに入れた。
「帰ろうか」
「はい。皆さん、失礼します」
黙って歩いていたけど、大和さんが笑っているのに気がついた。
「大和さん、何を笑っているんですか?」
「今日ね、ゴットハルトとエスターが来てね、あいつ等も料理が出来ないらしくて、失敗談を聞いたんだけど、料理が出来ない人間ってみんな同じような失敗をするんだ、って思っただけ。肉を焼いたら黒焦げなのに中が生だったりとか、スープは味がどうやっても不味いとか」
「お肉は火が強すぎたのと厚みがありすぎたんだと思います。スープは大和さんと同じで余計なアレンジをしたんでしょうね」
「俺と同じって。まぁ、そうなんだけどね。話を聞いただけでよくそこまで分かるね」
「お肉は表面だけ火で炙ってる状態ですよ。厚みがあれば中まで温度が伝わるのに時間がかかるじゃないですか」
「なるほど」
「大和さんはちゃんと理解してくれてるのに、『料理は苦手』っていう自分に囚われすぎてるんですよ」
「最初に何度も失敗すれば、そうもなるって」
「分かりますけどね」
「それで、今日は何を作ってくれるの?」
「何にしましょう?何かリクエストはありますか?」
「リクエストねぇ。寒いからスープ系?あ、でも、野菜と肉の蒸したの、あれ旨かった。あれかな」
「お鍋系が出来れば良いんですけどね。洋風鍋なら出来るかな」
そんなことを話ながら市場に入った。
野菜とお肉の薄切りを買う。大和さんがお肉屋さんと話をしていた。
「咲楽ちゃん、この肉ね魔物の肉なんだって」
「魔物のお肉?」
肉屋さんを出た所で大和さんが教えてくれた。
「牛系の魔物でヴァーモウって言うんだって。牛系って色々種類がいて食用にされてるのも何種類か居るんだけど、これはヴァーモウって言ってた。「黒き狼様も見たことがないはずですよ」って言われちゃったよ」
「どこかで飼育しているとかっぽいですね」
「そういうのもいつか一緒に見に行きたいね」
「待たせてしまいます」
「待つって言ってるのに。精神的な物って時間がかかるのが当たり前なんだから、気にしないの」
頭を撫でられた。不意にヴァネッサさんの言葉を思い出す。
『天使様が笑ってて、黒き狼様がそれを優しく見守っててって、それを見るのがみんなの楽しみなんですよ』
「大和さん、ありがとうございます」
「どうしたの?」
「言いたくなりました」
大和さんは笑って私の肩を抱いた。
「どういたしまして」