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翌朝起きるとすごくいい天気だった。でも風は強い。窓が時々カタカタと鳴ってる。
ガラスがあれば鏡とかも作れると思うんだけど。でも以前、「鏡は高級品」ってリリアさんが言ってた。って事はあるんだよね、鏡。見た事無いけど。
窓に填まってるのは、レトロな建物にあった、歪みのあるタイプの板ガラス。味があって私は好き。ガラス、と言っても本当にガラスかは分からない。魔法があるからか割れることがないし、作ってる所も見たことがない。
ガラスの歴史なんて私は知らないし、どう作られているのかも知識としてあるにすぎない。
キッチンに降りて食料庫で食材を出す。今日は大和さんが休みだから、ってそこまで考えて気が付いた。大和さんにお昼の事を聞こうと思って、忘れてた。
大和さん、もう庭にいるかな?そう思いながら庭に出る。居た。瞑想してる。
「おはようございます、サクラ様」
「おはようございます。皆さんどうされたんですか?」
「新しい剣舞をするというので、着いてきちゃいました」
答えたのはダニエルさん。
確かに新しいって言えば新しいんだけど。ダニエルさん達はなんだかワクワクしている気がする。
「サクラ様」
アッシュさんが近付いてきた。
「おはようございます、アッシュさん。足の具合はどうですか?痛みは出てませんか?」
「ありがとうございます。痛みはありません」
「良かったです」
「明日の事ですが」
「はい。お待ちしています」
「お世話をお掛けします」
アッシュさんはかなり緊張していた。
大和さんが瞑想を解いた。舞台に上がる。両手にサーベルを持った。
「2本?」
誰かの声が聞こえた。たしか前に見た『秋の舞』も剣は2本だった。大和さんが舞始める。
「優雅なんですが厳しいですね」
アッシュさんが言う。
「厳しい、ですか?」
「なんというか、上手く言えないのですが」
「他人にも自分にも厳しくて、身が引き締まるという感じですか?」
「あぁ、そんな感じです」
私に見える紅葉葉はまだ幻のように儚い。でも凛とした雰囲気は確かにあった。
大和さんの舞が終わった。
「大和さん、おはようございます」
舞台から降りた大和さんの元へと歩きながら声をかける。
「おはよう、咲楽ちゃん」
大和さんがぎゅっと抱き締めてくれた。
「ところで、あいつ等、どうしたの?」
ダニエルさん達は誰一人動けてなかった。
「分かりません。けど、アッシュさんが優しくて厳しいって言っていました」
「咲楽ちゃんはどう思った?」
「凛とした雰囲気がありました。それが厳しいって言葉になったんだと思うんですけど。それと紅葉も見えたんですけど、幻のようというか」
「まだ調子は戻っていないってことだね」
「もしかして1度本番が終わって、次の舞を始めたら、前のはリセットされちゃうんですか?」
「ちょっと待っててね。ほら、おまえ等、いつまで呆けてる。動け」
そう言って大和さんが1つパンッと手を鳴らす。ハッと気が付いたようにみんなが動き出す。
「トキワ様、すみません」
ダニエルさんが謝る。
「謝らなくていい。動けなかったようだが、どうした?」
「なんというか、貴族様の前に放り込まれた気持ちになった感じです」
「貴族様ってダニエルも貴族だろう」
「ウチは領民と一緒に畑仕事をしているような、そんな家ですよ。伯爵様や侯爵様がいらしたときの気持ちに似ています」
ダニエルさんが口を尖らせて言う。その様子が可愛くて思わず笑ってしまった。
「ふふっ」
「咲楽ちゃん、どうしたの?」
「なんだか微笑ましくて笑っちゃいました。ごめんなさい」
「いいえ。サクラ様ってお可愛らしいですよね」
「そうだろう」
何故かどや顔で言う大和さん。ついでとばかりに肩を抱かれる。
「大和さん?そのどや顔って何ですか?」
「咲楽ちゃんの可愛さを、ようやく分かったのか、って思ってね」
「トキワ様のお側に居られると、余計にそう思います」
「いったいなんなんですか?」
いきなり可愛いを連呼されて、ちょっと、いや、かなり恥ずかしい。
「トキワ様、サクラ様、それでは失礼します」
私だけが混乱したまま、ダニエルさん達は帰っていった。
「それで?何を聞かれたんだっけ?あぁ、1度本番が終わって、次の舞を始めたら、前のはリセットされるか?だったっけ。リセットまではいかないけど勘を取り戻すには、やっぱりそれなりの時間はかかるね」
家に入りながら、大和さんが説明してくれた。
「それで、いきなり可愛いを連呼したのは何故ですか?」
「今朝、走ってるときに咲楽ちゃんのどんなところが好きなのか、って聞かれてね。色々説明するよりも見てもらった方が早いと思って、連れてきた」
「あれ?新しい剣舞をするって言うから着いてきたって言っていましたよ」
「今日はあいつ等と一緒に走った距離も短かったし、話をする余裕もあったから、話したら着いてきた。その時に聞かれたんだよ」
「かなり恥ずかしかったんですけど」
「本当はキスもしたかったけど、我慢したんだからいいでしょ」
「キスって……2人きりでもまだ恥ずかしいんですよ?」
「うん。知ってる」
そう言ってシャワーに行きかけた大和さんを慌てて呼び止める。
「大和さん、お昼、どうします?スープは多めにあるんですけど」
「あ、じゃあ、市場で何か買って、スープも頂くよ」
「陶器の器にいれておきますね」
「ありがとう。じゃあ、シャワーに行ってくるからね」
その間に私は朝食の準備と自分のサンドの作成。
本当はキスもしたかったって。確かに慣らしていくって言ってたけど、言ってましたけど。
私が2人きりに慣れてたら、ダニエルさん達の前でキスしてたって事だよね。
そんな風に考え込んでいた私は、当然ながら大和さんがシャワーから戻ってきていた事に気が付かなかった。
「咲楽ちゃん、何してるの?」
声をかけられてびっくりする。
「何?何って何もしてません!!」
その様子を見て大和さんが爆笑した。
「分かったから落ち着こう。ね。深呼吸……はしそうにないね」
そう言ったらしい。私は聞こえていなかった。近寄ってきた大和さんに両頬を挟まれて、ゆっくりとキスされた。
「咲楽ちゃん、聞こえてる?」
「え?」
「朝ごはん、食べちゃおう、ね」
辛うじてその言葉を聞き取った私が、顔をあげると大和さんの笑顔があった。
「ほら。遅刻しちゃうよ?」
実際にはそこまでの時間じゃなかったんだけど、その一言で「朝食を食べる」という事を思い出した私の手を引いて、大和さんが席に座らせてくれた。朝食後は後片付けを大和さんに任せて、着替えの為に自室に上がる。そこでようやく落ち着いてきた。
大和さん、朝からキスって何するんですか!!って心のなかで盛大に叫びながら、着替えを済ませる。
出勤の支度を済ませて、刺繍道具を持ったことを確認して、リビングに行く。
「お待たせしました」
「行こうか」
結界具を作動させた大和さんと一緒に家を出る。
「大和さん、頼みますからキスとかの不意打ちはやめてください」
「頼みますから、かぁ。咲楽ちゃんからのキスにはまだまだ遠いね」
「ごめんなさい、じゃなくてですね」
「はいはい。でもだいたいキスって不意打ちでするものでしょ」
「でしょ?って知りません。経験もないですし」
朝からする会話じゃないよね。
黙り込んだ私と平気な顔の大和さん。
「大和さんは平気なんですね」
「ん?何が?」
「恥ずかしくないんですか?」
「日本にいた頃なら恥ずかしかったかもね」
「こっちに来て吹っ切れたんですか?」
「もうちょっと自重した方がいいかな?」
「お願いします」
「だって咲楽ちゃんが可愛くて思わず、ね」
「思わずって何ですか……大和さんって最初、ストイックな大人の男性って感じだったんですけど」
「ストイックな大人の男性、ねぇ」
「だってテキパキと色々決めてくれて、それも押し付けじゃなくて、選ばせてくれて、頼りになってたし、今も頼りになってるんですけど、えっと……」
言いたい事が、分かんなくなってきちゃった。
「ずいぶんカッコつけてた感じだね」
「カッコつけてたんですか?」
「意識してって訳じゃないよ。けど元々勝手に決められるとか、相手の言いなりにっていうのは嫌いだったし、自分で決められるならそっちの方が良い」
「それって責任も自分が負うってことですよね」
「当たり前でしょ」
「それって怖くないですか?」
「だから考えるんだよ。こう動くとこうなるとか、いろんなシミュレーションをしてみる。そうしたら最適解が分かるでしょ?」
「難しいです」
「徐々に、で良いよ」
「やっぱり大人って感じだなぁって、思ってたんですけど、キスとかの言い訳じゃないですよね」
「言い訳って。自分の心に従って、咲楽ちゃんが可愛いって行動してたら、自然にあぁなったというか、こうなったというか」
大和さんが楽しそうだ。こうして楽しそうな大和さんを見ていると、仕方がないかな?って思ってしまう。
あれ?これって流されてる?
王宮への分かれ道にはライルさんとローズさんと、クリストフ様とイライジャさん。
「おはよう、サクラちゃん」
「おはようございます」
「私服の黒き狼ってあんまり見ないんじゃない?」
「こら!!クリストフ、そこまで近付くんじゃありません」
「トキワ殿、兄が申し訳ない」
会話が錯綜して、何がなんだか……。
平常運転なのはローズさんと大和さん。ローズさんは平常運転っていうか、呆れているみたいだけど。
クリストフ様は大和さんをぐるぐる見て回ってるし、イライジャさんはクリストフ様を止めようとして、一緒に回ってる。
ライルさんは、大和さんに謝ってる。
この空間だけカオスだ。そっと離れようとしたら、大和さんに捕まった。
「咲楽ちゃん、何1人で逃げようとしてるのかな?」
「逃げようとなんかしてません。離れようと思っただけです」
「それって同じよね」
「ほら、ジェイド嬢もこう言ってるよ」
「だって……ごめんなさい」
「はい。良くできました」
頭をポンポンされた。
「相変わらずねぇ」
「黒き狼って、天使様限定であんな顔もするんだね」
「クリストフ、やめなさい!!」
もう、何がなんだか……。
「あ、そうだ、天使様、これ受け取って」
そんな中、急にクリストフ様から小さな袋を渡された。
「何ですか?」
「治療のお礼ですよ、先生」
「先生呼びは続くんですね……。何ですか?これ」
袋から出てきたのはブローチ?
「眠りの月から、黒き狼は神殿勤務なんでしょ?何かあったときにここを押したら、大きい音が鳴るようになってるから」
防犯ブザーですか。
「へぇ、良いですね」
大和さんがにこやかに言った。
「こっちは黒き狼殿に持ってもらってて」
ブローチより少し大きな箱を大和さんに渡すイライジャさん。
「それね、受信機って言うのかな。先生のブローチの信号を受け取って、どこで鳴ったか大まかな方向が分かるようにしてある」
「どこまで届きます?」
「フリカーナ伯爵邸から南の街門までは確認した」
「と言うことは、王都ほぼ全域をカバーできますね」
「どう?気に入った?」
「えぇ、気に入りました。ありがとうございます」
大和さんがお礼を言ってますけど?
「天使様はどう?」
「お気遣いいただいて、って言うか、大和さんのアイデアですか?」
「こういうのは作れないかって依頼を受けたからね。そのブローチのデザインは昨日の女の子だよ」
「ある意味みんなの合作なのね。良かったじゃない」
「ありがとうございます。大切にします」
「そろそろ時間だよ」
ライルさんに言われて、施療院に向かう。
「ライル様、ブローチのアイデアってライル様が言ってたのと似ているわね」
「僕のは大きい音が鳴って不審者を追い払えるようにってだけ。シロヤマさん、こういうのってあったの?」
「音が鳴るって言うのは知っています。防犯ブザーって言うんですけど。方向が分かるっていうのも多分あったと思います。どこかで聞いた気もするんですけど。でも身近に有ったかなぁ?」
「でもこれって、売り出せば売れるんじゃない?貴族とかに」
「子息令嬢の誘拐対策?」
「この国ではほぼ無いけど、他国では聞くもの」
「でも完全受注生産になりますよね」
「何故?」
「私はこのブローチの仕組みは分かりません。でも、同じ信号が発せられてしまったら、混乱しますよね」
「そっか。2ヶ所からの信号があったら、迷っちゃうわよね」
「一組ずつ信号を変えなきゃいけないのか。だから完全受注生産なんだね」
「このブローチのデザインってダフネさんって言ってましたよね」
「そうね。たぶん作ったのもあの子だと思うわよ」
「作った?ダフネさんがですか?」
「細工物とか得意らしいのよ。アクセサリー作りね」
「あぁ、だからあの時、作ってあげようか?だったんですね」
「作ってあげようかって、あの子そんなこと言ったの?」
「ネックレスが、黒き狼の所有物である証の首輪みたいだって言われて」
「所有物である証の首輪って……」
まじまじとネックレスを見つめるローズさんとライルさん。
「そう言われれば、そうよね」
「そのネックレスがトキワ殿からのプレゼントって知ってれば、そう思って間違いじゃないね」
「でも、大和さんはそんな意味はないって」
「あったとしても言う訳無いでしょう」
「似合ってるのは確かだからね」
「ネックレスって何か意味があったりしますか?」
「意味?結婚式に関してならあるけど。でも貴族だけだよ」
「あるの!?」
「あるんですか!?」
「ジェイド嬢は知っていないとまずいでしょう、一応貴族籍なんだから」
「だって、聞いてないもの」
「教えてあげるから。でもお昼にね。施療院に着いたし」
あ、ホントに着いてた。
更衣室で着替える。
「ネックレスに意味なんてあったのね」
「私達の世界では指輪だったんですよね」
「指輪?」
「どの指に付けるかも決まっていて、結婚指輪は左手薬指でした」
「何故左手薬指?」
「おはよう、2人共、何の話をしてるの?」
「おはよう、ルビー、アクセサリーについてね」
「おはようございます、ルビーさん。アクセサリーに意味はあるのかって話です」
「アクセサリーの意味?」
「私の元の世界では、結婚式に指輪を使うんです。お互いの左手薬指に付け合うんですけど」
「左手薬指って指まで決まってるの?」
「はい。一応理由があって、私の知ってるのは、薬指は創造性を象徴する指で、左手の薬指は、昔から直接心臓につながっているとされていて、命に一番近い指として神への聖なる誓いの指とされていた。っていうのですね」
「他の指にも意味はあるの?」
「あったと思います。ただ覚えてなくて」
「でも本当に繋がってる、って訳じゃないわよね」
「1000年以上前から言われていたらしいです。どういう経緯でって言うのは分からないですけど」
「ふうん。指輪ねぇ」
更衣室を出て診察室に行く。途中の待合室には誰も待っていなかった。
2の鐘が鳴って、診察が始まったけど、患者さんが来ない。