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「えぇっと……」
「慣れてくれないねぇ」
「慣れません」
「慣らしていこうね」
「何を慣らす気ですか」
「手を繋ぐのは慣れてきたっぽいから、後は人前でのハグとキスかな」
「ハグとキス……って人前で?」
「そうだよ」
「人前は無理です」
「まぁ、徐々にだね」
夕食後のお皿を洗ってくれながら、大和さんが言う。
「夕食で疲れました」
「疲れたならもう休んだら?」
「そういうことじゃありません」
「膝枕でもしてあげようか」
「大和さん、楽しんでますね」
「膝枕?」
「……もう良いです」
「じゃあ、今からの膝枕と白ネコパジャマ、どっちが良い?」
「何ですか?その2択」
「俺が咲楽ちゃんにさせたい事2つ」
「ちなみに白ネコパジャマは着るだけで良いんですよね?」
「頭を撫でるのはセットだよね」
「……膝枕は?」
「セットのひとつ」
「何ですか?そのハンバーガーチェーン店のセットみたいなのは」
「だってね、疲れたって言ったから」
「誰のせいですか」
「誰だろう?」
「大和さんのせいですからね」
「えぇっ?」
「わざとらしく驚きましたね」
「いちゃいちゃしたいじゃない」
「したいんですか?」
「うん」
そんなに素直に頷かれても……。
「私は刺繍がしたいんです。それに白ネコパジャマはしばらく封印します」
「じゃあ、自動的に膝枕だね」
いそいそとソファーに座って、手招きされた。大和さんの隣に座ると肩を抱かれて、横にされる。
「痛くない?」
「はい」
しばらく無言で私の頭を撫でていた大和さんが、静かに話し出した。
「今日の模擬戦は疲れた」
「大丈夫ですか?」
「まぁ、精神的な疲れだけどね」
「どういう事ですか?」
「班の違う騎士から体術を指導して欲しいと、リクエストがあってね。で、指導してたらきゃあきゃあ騒がしくなってね」
「あ、察しました。ご令嬢が見てたんですね」
「そういうこと。途中で第2王子が面白がって試合形式にしたものだから、5班の代表者、俺含め5人で4回戦やらされた。総当たり戦だね」
「お疲れ様です」
「だからって訳でもないんだけど、咲楽ちゃんを構いたくてね。困らせたね。ごめん」
「落ち着きました?」
「咲楽ちゃん成分の補充はできたかな」
「じゃあ、お風呂、行っちゃった方が良いんじゃないですか?」
「咲楽ちゃんからキスしてくれたら、すぐに行くよ」
「つまりは、すぐに行く気はないんですね」
「そう言うこと。もうちょっとこのままで居させて」
私の頭を撫でながら、大和さんが言う。
「あ、そうだ。大和さんに聞きたいことがあったんです」
「聞きたいこと?何?」
「えっと、今日絵本の内容を考えていたんですけどね。主人公を蜂の男の子にしたんです。ただ、名前が思い付かなくて、施療院のみんなで考えてたんですけど、元の世界で蜂って何て言うのか、って話題になって。でも私は「ハチ」と「ビー」しか思い出せなくて。教えてください」
「蜂を他言語でって事?蜂ねぇ……。日本語発音でいくよ。フランス語なら「アベイル」イタリア語なら「アーペ」ドイツ語なら「ビーネ」ラテン語なら「アピス」。後、蜜蜂じゃないけど、「ワスプ」「ホーネット」「ホルニッセ」「ヴェスピナエ」も蜂を指すね」
「一杯出てきました。どうしようかな?ん~。「アピス」が私的には一番しっくり来るんですけど、どう思います?」
「意地悪しちゃったりするけど、最後には良い子って話だっけ?良いんじゃないかな。なんなら書いてあげようか?」
「お願いできますか?」
「OK。咲楽ちゃん成分の補充は満タンだし、風呂に行ってきちゃうね」
じゃあ私は明日のスープの仕込み。と言っても、お夕飯の支度中にあらかた終えてたんだけど。グラタンに使った野菜達を切り方を変えただけだもんね。
明日、大和さんはお休みだけど、お昼ごはんはどうするんだろう。温めも出来るようになったって言ってたし、スープだけでも多めにしておこうかな。
スープの仕込みを終えて、結界具を確認して、自室に戻る。
パジャマを用意して、寝室で少しの時間だけでも刺繍をする。鶴は2羽とも出来たから、次は7神様の色での背景。刺繍だし特に刺す順に決まりはないんだけど、やっぱり主神リーリア様の金色からかな。
これが絵画だったりしたら、淡い色からとか、決まりがあったはず、だよね。確か明度の低い色を先に塗ってしまうと、後から明るくするのは困難だからって聞いたことがあったんだけど。
この金の糸って、何から出来ているんだろう。特に値段が高い訳でもなかったんだけど。銀色の糸の方が高かったんだよね。
背景を埋めるステッチは糸幅を一定にしないと綺麗に見えない。以前、『ガラスの花』を刺繍したときにやり直した理由がそれだ。あの時は落ち着いて刺せなくて、針目が乱れてしまった。
大和さんがお風呂から上がってきた。
「咲楽ちゃん、今日は髪を乾かさせてね」
大和さんの髪も乾いていない。
「大和さんのも乾かします。座ってください」
大和さんの後ろに回る。
「咲楽ちゃんが乾かしてくれると、良い感じに纏まるんだよね」
「自分でやると、見えてないからじゃないですか?」
「そうなのかな」
「私は大和さんに撫でてもらうと安心します」
「安心?」
「上手く言えないんですけど」
「俺は咲楽ちゃんといると、穏やかになれるけどね」
「穏やかになれるって、大和さんはいつも穏やかで優しいですよ?」
「それは咲楽ちゃんがいるからだよ」
「穏やかでない大和さんって、想像がつかないです」
「見せるわけにいかないしね」
「大和さん」
「何?」
「このままの関係って続けるわけにいかないんでしょうか」
「同棲状態って事?」
「おかしいでしょうか?」
「海外ではわりとポピュラーだけどね。事実婚カップルって」
「そうなんですか?」
髪を乾かし終わった。そのまま、大和さんの後ろで話を続ける。
「公的サービスの問題とか、色々あったみたいだけど。こっちの事は分からないけどね」
「そう……ですよね」
「俺達は婚約者って扱いになってるし、俺は初めからその気だったけど、咲楽ちゃんは最初戸惑ってたもんね」
「その気だった?」
「とりあえず、お風呂だけ行っちゃったら?」
「はい」
その気だった?どの事を言ってるんだろう?同棲状態の事?婚約者の扱いだって事?
シャワーを浴びながらの考え事っていつもの事なんだけど、大和さんがどの事を言っているのか分からなくて混乱する。
正直に言って、結婚式に憧れはある。ウェディングドレスも着てみたいとは思う。不安なのはその後の事だ。しばらくは今の状態と変わらないと思うんだけど。
考えても意味がないと思う。未来の事なんて誰にも分からない。異世界転移っていう事実も自分に起きてしまったから受け入れているけど、過去の自分にとってはフィクションでしかなかったし。
考えても結論がでないのはいつもの事。髪をざっと乾かして、寝室に行く。
大和さんに足の間に座るように促されて、髪を乾かして貰う。
「大和さん。さっき言ってた『その気だった』って、どの事ですか?」
大和さんの手が止まった。変な事、聞いちゃった?不安になっていると押し殺したような笑い声が聞こえた。
「大和さん?」
「ごめん。分からなかったの?もしかしてお風呂で考えていた?」
「はい」
そう返事をすると、笑い声が大きくなった。
そのまま大和さんは答えてくれなくて、私の髪を乾かし続けている。笑いながら。
「はい、乾いたよ」
いまだに笑いながら、大和さんが言ってくれた。
「それで、その気だったってどの事なんですか」
大和さんの方を向いて再度聞いてみた。
「俺はね、この家に来て最初から事実婚状態かな?って思ってたんだよ。あの時は咲楽ちゃんの事情もほとんど知らなかったけど、それでも一緒に暮らせることが嬉しかった。男性が怖いっていうのは分かっていたから、少しずつ距離を縮めて、って思っていたしね。咲楽ちゃんの嫌がることはしないつもりだったけど、いずれはそうなりたいって思ってた」
「嫌がることってその、そう言うことですか?」
「それ以外に何があるの?」
「他に……無いですね」
「他に聞きたいことは?」
「今はないです」
「咲楽ちゃんの良いところだね。分からなかったら素直に聞けるっていうのは」
「この世界に来てからですよ。あっちでは友人以外に聞ける人っていなかったし」
「そうなの?」
「家族には聞けなかったし、学校内では葵ちゃんたちとしかいなかったですもん」
「俺はそういうのは分からないんだよね。疑問に思ったらまず調べろって家だったから。人に聞いても良いけど答えは聞くな、って言われてた。知ることは楽しかったから、良かったけどね」
「学校のお友達って居なかったんですか?」
「その言い方って俺が淋しい子みたいだね。学校の友人ね。いたけどね。ほとんど側仕えが一緒で遊びにもいかない、そんな奴と仲良くしたがるのってどんなやつだと思う?」
「分かりません」
「下心のある奴だよ。そういうのじゃなくて声をかけてくる奴はいたよ。でも通り一辺の付き合いっていうか、家の事を知って近付いてくる奴は警戒してたしね」
「何故ですか?」
「高校にもなるといくら俺が周りに関心がなくても、下心のある奴って分かるんだよ。仲良くしておけば何らかの利益を享受できるって考える奴は必ずいるし、そんな奴でなくても、やっぱりね、かかわり合いになりたくない奴もいたし」
「なんだか複雑ですね」
「複雑?」
「下心があってもいい人とか、お近づきになりたいって人もいたと思うんですけど」
「居ただろうけどね。高校の友人で家のかかわり合いがない人物でってなると、試験前に声を掛けられることがほとんどだったな」
「勉強を教えて、みたいな?」
「そう。どの辺りが出るか教えろ、とかね。そんなの知るかって突っぱねてたけど、めげずに湧いてくるんだよ」
「それって話す口実ができたってこれ幸いと寄ってきてたんじゃ?純粋にお友達になりたいって人は絶対いましたよ」
「そうかな?」
「そうですって。大和さんは格好いいし優しいし、憧れる人はいましたよ、絶対」
「なにそれ」
大和さんが私を抱き寄せながら言う。
「憧れてる人とお友達になりたいって言ってる子って結構いましたよ」
「高校時代に咲楽ちゃんが居たら良かったのにな」
「それ、無理でしょう、年齢的に」
「麓の町に居たら、離さなかっただろうけどね。まぁ良いか。今、咲楽ちゃんはここに居てくれるんだし」
「はい」
「ハグしても緊張しなくなったしね」
「それは慣らされたんだと思います」
「後は人前でのハグとキスだね」
「嬉しそうに言わないでください」
こんな風に何気なくする会話って結婚しても変わらないのかな。
「正直に言うと、やっぱり結婚式って憧れはあるんです。ウェディングドレスも着てみたいとは思うんです」
「うん」
唐突な私の話を、大和さんは何も言わずに聞いてくれた。
「でも、その、家族が家族だったから。あれがおかしいって思ったのもここに来る直前くらいで、ずっとああいう状態の家族を普通だと思っていて、自分に温かい家族が築けるのかって思ったら、不安になってきて」
「咲楽ちゃんなら大丈夫だと思うけどね」
「この前常連さんに相談しちゃって、それもあって落ち込んじゃって。施術師なのに患者さんに相談ってどうなんだろうって思っちゃって」
「もしかしてこの間の落ち込みの原因ってそれ?」
「はい」
「俺との結婚を意識してくれたから、って事だよね」
「はい」
「その常連さんは何て言ったの?」
「自分でもなんとかなったんだから、天使様なら大丈夫って、言ってくれました」
「いい人だね」
「はい」
「その人の為にも一杯いちゃいちゃしようね」
「はい……はい?」
「だって、その人、俺と咲楽ちゃんが結婚することを望んでくれているんでしょ?だったら、それに答えなきゃ」
「どういう思考回路でそうなるんですか」
「おかしい?」
大和さんが笑いながら言う。
「分かって言ってますよね」
「そりゃあね。意味分かんないし。でもいちゃいちゃしたいのは本当」
「私は刺繍がしたいんですけど」
私が刺繍の道具を取り出すと、大和さんが残念そうに離してくれた。
「さすがに針を持っている人を構うのは、危ないから我慢するよ」
大和さんはベッドに横になって私が刺繍するのを見ている。見られているとやりにくいことが多いんだけど、大和さんが見ていてもそれを感じない。
「大和さん、東の街門って何があるんですか?」
「東は草原なんだけど、岩場が多い。どうして?」
「明後日東の街門って言ってたじゃないですか。北はちょっと行ったら草原だったし、西は森ですよね」
「あぁ、そう言うこと。あの時はエタンセルを走らせるのに岩場が無い方が良いから、北に行ったんだよね」
「じゃあ南は?」
「今はスラムが広がってる。街門の外っていうより、王都を囲む壁の外にまでね。そこまで行くと犯罪も多いし、女性は何人かで纏まってても絶対に行っちゃダメだよ」
「大和さんと一緒でも?」
「止めた方がいい」
「分かりました」
「行きたいって思った?」
「どんなところかな?って思いますけど、1人では無理でしょうし、大和さんが止めるってことはかなり危険なんでしょう?」
「掏摸は当たり前だし、暴行傷害事件もしょっちゅう起きる。たまに寝てると思ったら瀕死ってこともあるね」
「殺人事件?」
「ってことは少ない。多くは餓死とか、病気とか、怪我が元で、っていう理由だね」
想像したら苦しくなってきた。
「大丈夫?」
「想像したら苦しくなってきました」
「そればかりは仕方ないね」
刺繍を一旦やめる。はふっと息をつくと、起き上がった大和さんに頭を撫でられた。
「今日はもう止めておいたら?」
「そうします」
刺繍道具を魔空間に仕舞う。
「想像するなって言っても無理だしね」
「大和さんは平気なんですか?」
「まぁ、数は見てきてるしね。慣れるものでもないけど」
「私は無理です」
「話さない方がよかったね」
「聞いたのは私ですし」
引き寄せられるままに、頭を大和さんの胸に預ける。
「大和さん」
「ん?」
「明日は朝から『秋の舞』ですか?」
「見たいの?」
「はい」
「仕方がない娘だね」
「すみません」
「謝らなくていいよ。元々咲楽ちゃんに見せたいってやり始めたんだし。咲楽ちゃんが見たいって言うならいくらでも、って訳にはいかないけどね」
そう言いながら、横にされる。
「おやすみ」
優しい声と共に、額にキスが落とされた。
ーーー異世界転移45日目終了ーーー




