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「シロヤマさん、ごめんね。妙な物を見せて」
「いえ。あのマリアって子なんですけど、ちょっと悩んでたみたいで、少しお話をさせて頂きました」
「その悩みって……言ってくれないよね」
「本人の許可があればお話ししますけど」
「だよね。シロヤマさんはこういうことは絶対に言わないから。だからみんな安心するんだろうね。でも黙ってるのって苦しくない?」
「苦しいこともあります。でも、話してしまったら、信じてくれた方を裏切ることになります」
「そっか、そうだね」
沈黙が続く。
「あの、施療院に行かなくて良いんですか?」
「行こうか」
玄関先でコートを受け取って、お暇する。
ライルさんの後について、施療院に向かう。
「これを預かったよ」
ライルさんが魔空間から何かを取り出した。
手のひらサイズの直方体が2個。
「治してくれた天使様に、だそうだよ」
「どなたからですか?」
「イライジャ殿と兄上から」
「これ、何ですか?」
「通信装置だって言ってた。双方にしか通じないらしいけど」
2個のみで繋がるケータイ?
「この2個でしか通じない、ということですか。でも受け取っていいんでしょうか?」
「本来はいけないんだろうけどね。所長にも昨日了解は取ってあるよ。兄上がかなり強引だったけどね。それに通信できる範囲も限られてる」
「どれくらいですか?」
「兄上達が確かめたらしいけど、王都の中がギリギリだったらしいよ」
「へぇ……」
「こういうの、あった?」
「はい。ケータイとかスマートフォンとかですね。全世界の人と通信できてました」
「全世界!?」
「もちろん通じない所もありますよ。アンテナが建っていないところとか」
「アンテナ?」
「中継施設、でしょうか」
「そんな物が有ったんだね。じゃあこっちに来たとき不便だったんじゃ無いの?」
「あっちでそういう物が無くなったら、かなり不便だったでしょうけど、意外と無くてもなんとかなる、っていう感じでした。実際に来てから使わず生活できてますし」
「そうなんだね。じゃあこれ、受け取ってあげてくれる?」
「これ、施療院に置いといた方が良いんじゃ?」
「どうして?」
「緊急事態が起きた時に、施療院に待機の人と、現場に出てる人の連絡が取れるじゃないですか」
「そういう使い方なんだね。所長と相談してみるよ。でも、『天使様へのお礼』はどうしようかな」
「要りませんよ」
「兄とイライジャ殿にはそう言っておくけどね。何か欲しいものはないの?」
「今は思い付きません」
施療院に着いた、らしい。
「シロヤマさん、着いたよ」
「え?もう?」
「ここは施療院の敷地内。更衣室はこっちね」
ライルさんに案内して貰って更衣室にたどり着く。
「ここからは分かるよね」
「はい。ありがとうございます」
とは言ったものの、着替えて診察室に行く途中で3の鐘がなった。
ローズさんとルビーさんに抱きつかれた。
「サクラちゃん、おかえり~」
「フリカーナ邸はどうだった?」
「大きくて圧倒されました」
「まぁ、伯爵邸ですもんね」
「侯爵様だともっと大きいわよ」
3人で休憩室に入る。
「朝からサクラちゃんが居なかったから、窓口がちょっと混乱したみたいよ」
「窓口の方に謝らないと……」
慌てる私に、ローズさんが笑って言った。
「それがね、ちょっとって言ったでしょ?常連の方が常連の方を見つけて説明していてね。最終的にはこっちの方が楽だって窓口の子が言ってたわ」
「ヴァネッサさんって方が、お昼から来ますって伝言されていったわよ」
「患者さんってどんな方だったの?」
「病状とか名前とか言わなくていいから、言えることだけ教えてよ」
「言えることだけって……」
「僕が話すよ」
ライルさんが話を引き取ってくれた。
「患者は兄のお師匠様。魔道具作りの腕はかなり良いみたいだね。一昨年から腰痛が出て悩んでいたんだけど、近くに施療院が無くて、諦めてたみたい。しばらくは隠してたんだけど、兄に見つかってね。『実家が王都だから、静養と王都見物に行きましょう』って強引に連れてきたらしい。兄の兄弟子も居るけど、宿に泊まってるよ。滞在を勧めたんだけど、固辞されてしまった」
「その間の滞在費ってどうされてるの?」
「兄と兄弟子と我が家が1/3ずつ出してるよ。ついでに魔道具を売るんだって市場のフリースペースで出店してるみたいだね」
「そのお師匠様は何をなさっているの?」
「痛みがあるだけで暇だからって、邸内の魔道具を修理してくれてる。兄と一緒に」
「へぇぇ」
「ライルさん、あの注意事項、ちゃんと伝えてくださいね」
「その辺は任せてくれて良いよ」
そこに所長が入ってきた。
「おぉ、ご苦労じゃったの。報告書は昼から書いて貰ってよいからの」
「王宮での用事は終わったんですか?」
「終わったな。と、言うても星見の祭の会議じゃから、この先も度々行くことになるがの」
「救護室は決まりですか?」
「そうじゃな。それと今年は、迷子預かりが隣に設置されることになった」
「迷子センターですか?」
「シロヤマ嬢……これからシロヤマさんでいいかの?」
「もちろんです」
「シロヤマさんに聞きたい。迷子預かり所というのは、元の世界にもあったのかの?」
「ありました。ちょっと大きいお祭りとか、ショッピングモール……何て言ったらいいんだろう……えぇっと、市場を1つの大きな建物に入れたみたいな、買い物施設があって、そこに1つはありました」
「そのショッピ……って楽しそうね」
「市場みたいなものなの?商会の大きいのみたいね」
「そんな感じです。違うのは例えば洋服やさんも色んな所が一緒に入ってるってことでしょうか」
「色んな所が一緒に?争いにならない?」
「これこれ、今は迷子預かり所の事を聞かせてくれるかの」
所長に止められた。
「それでの、迷子預かり所に必要なものを聞きたいのじゃ」
「遊ぶための玩具だとか、退屈をさせないでお身内を待ってられるようにする工夫がありましたけど。絵本とか。後は見ていてくれる人ですね」
「絵本って?」
「こういうのです」
持っていた児童書を見せてみた。
「これはどういう話じゃ(なの、なんだい)?」
みんなが一斉に食いついた。
「熊の子が最初は乱暴者で独り占めしたり意地悪するんですが、最後にはちゃんと謝って、良い子になるって話です」
「この模様みたいなのが元の世界の文字?」
「はい」
「熊の子っていうのは決まっておるのかの?」
「何でも良いんです。ちょっとしたわんぱく坊ややおてんばっ子でも良いです。熊の子だったのは、乱暴者って感じでしょう?だからだと思います」
「ちょっとした教訓ってことか」
「後はおとぎ話とかですね。星見の祭だったらジンウとユエトの話とか、7神様のお話とかも良いと思います」
「サクラちゃん、作ってみたら?」
「お話は浮かぶんですけど、時間的に無理な気がします」
「じゃあ、絵は絵師に頼んでみましょうか?」
「作るのは決定ですか?」
「天使様の作った話だったら、みんな聞くだろうねぇ」
「字の勉強にもなるのう」
「私はこの世界の7神様の事は分かりませんよ?」
「その辺は神殿がどうにかするじゃろ。神官様に話してみるかの」
「じゃあサクラちゃんは教訓系ね。刺繍しながら話してくれたら書き取るわよ」
「口述筆記ですか……考える時間はくださいね」
「当たり前じゃない」
昼からの診察の時間になったので診察室に移動する。何か、待合室で騒ぎが起きていた。
「どうしたのじゃろう」
「ちょっと様子を見てくるから、女性はここで待ってて」
所長とライルさんが先に見に行った。
「何なのかしらね」
ライルさんだけ戻ってきた。
「3人とも来て良いよ。シロヤマさんはちょっと巻き込まれるかもだけど」
「どうしたんですか?」
「順番の横入り。天使様に見て欲しいって人のね」
「あらあら。それはそれは」
「ちゃんと順番は守らないとよね」
ローズさんとルビーさんが怒ってらっしゃる。私は困惑の方が強かった。
みんなと待合室に行く。
男の人2人がこっちを向く。どっちも知らない人だ。
「天使様、俺の方が約束は先ですよね」
「天使様、こんなヤツ放っといて、診察を始めてください」
「なんだと!!」
「やんのか?!」
お互いに胸ぐらをつかみ合ってる。
「あのねぇ、順番を守りなさいよ」
「そうよ。迷惑でしょ」
ローズさんとルビーさんが言ってくれたんだけど……。
「うるさい!!女は口を出すな!!」
ちょっと怒った。
「貴方がたが診て欲しいって言う『天使様』も女ですよね」
思ったより低い声が出た。男の人2人が一斉にこっちを見る。
「お2人共、怪我をされているんですか?」
「そうです。俺は足を」
「俺は腕だ。とにかく天使様に治療をしてもらいたい。約束もあるしな」
「私はどなたとも約束をした覚えがないのですが。いつお約束を?」
「あんたが天使様か?」
にっこり笑って言う。
「不本意ながらそう呼ばれています」
「じゃあ、俺の治療を早くしろ。約束しただろ?」
「ですからいつですか?」
「二月前だ。忘れたのか?酒を飲んでたしな。可愛がってやっただろ」
「二月前ですか?その頃は王都にいませんでしたが」
「は?あ、いや、王都じゃねぇ。他の地方だ」
「さっき酒を飲んでいた、とおっしゃいましたね。私、お酒を飲んだらすぐに寝ちゃいますけど」
「だからその前に……」
「だからお酒は飲まないようにしています。初めて飲んだのも2週位前ですし」
「そうよね。子供でも飲めるのを飲んで、寝ちゃって、黒き狼様に抱きかかえられて帰ったものね」
ルビーさんの援護が来た。
「それで?いつの、どこでの話ですか?」
「いや、あの……」
威勢の良かった人がシュン、として来た。
「止めてくれてありがとうございます」
「いえ。当然の事です」
「どうやって止めたんですか?まさか施療院内で暴力沙汰とか、無いですよね」
「スミマセン……」
騎士様が来てくれた。あ、大和さんもいる。
「騒ぎが起きていると、通報があったのですが」
大和さんと目があった。黙って首を振る。
「騒ぎの原因は?誰です?」
「その男だよ!!」
何人かの患者さんから声が飛んだ。
「事情を聴かせてもらおうか」
騎士様が嘘を吐いていた人の腕をとる。
「ちょっと待ってくれるかの」
所長の「待った」がかかった。
「その人は腕を怪我していると言っておった。見せてもらおうかの」
「所長が、ですか?」
「怪我をしておるなら治さねばならんし、万が一嘘なら、お仕置きが待っておるからの」
「分かりました。他の方には個別に聴取いたしましょう」
私の所には大和さんが来てくれた。2人で診察室に入る。とたんに足の力が抜けた。倒れそうになった私を大和さんが支えてくれた。
「大丈夫?」
「ごめんなさい。ちょっと気が抜けたみたいで」
ため息が聞こえた。
「それで?何がどうなった訳?」
私を椅子に座らせながら大和さんが聞く。大和さんは私の前に片膝立で座った。
「あの、嘘を吐いていた人が、先に診察をしろって横入りをしたらしいんです。もう一人の人が止めてくれてて。最初は所長とライルさんが対応してたんですけど、ローズさんとルビーさんが口を出したとたんに「女は黙ってろ」って」
「それで咲楽ちゃんは怒ったんだね?」
「そうです。約束をしたって言い張るから、覚えがないけど忘れてるのかもって思って聞いてみたら、お酒を飲んで可愛がってやったとか言われて……」
「ふうん。あいつはお仕置きが必要だね」
にっこり笑う大和さん。久しぶりに見た。「怖い笑顔」だ。
「事情は分かった。後はこっちでやるからね。咲楽ちゃんは無茶をしないように」
「はい。すみません」
ポンポンと頭を叩かれた。ちっとも痛くない。
「それじゃ、戻るね」
大和さんが診察室を出て行った。そのあとを追いかけて診察室の前で見送る。
その後は順調に診察が進んだ。
4の鐘近くにヴァネッサさんが来た。
「天使様、何か騒ぎがあったらしいですね。大丈夫でした?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
「朝からの診察に天使様が居ないって言われてビックリしましたよ。何があったんです?」
「立てない方のお家に行ってました」
「大変ですねぇ」
「いいえ。頼ってくださったのですから」
「天使様は優しいんですねぇ」
「そんなことないですよ。あ、そうだ。ヴァネッサさんってお子様いらっしゃいましたっけ?」
「お子様だなんて上品な子じゃないですよ。独立して他の領で、嫁さん貰って暮らしてます」
「子育てしてて、これを教えるのが大変だった、みたいな話、無いですか?」
「大変だった、ねぇ。男の子だったからすぐにケンカするんですよ。それと好き嫌いですね」
「あぁ、なるほど」
「何かあるんですか?」
「少し計画中です」
「内緒ってやつですね」
「はい」
処置が終わって、ヴァネッサさんは帰っていった。
好き嫌いかぁ。食育系でいくつかあるんだけど。どれにしよう?
5の鐘がなって、診察が終わった。往診の報告書を所長に提出して着替えに行く。